「なんとかさん」という名で活動しています。主にナンセンスな物語を公開しています。
作品紹介:
ナンセンス物語
★郵便受けの愛 ★曲がる鼻 ★バードとボーン ★お気に召すまま
★くだらねぇ ★いろどりじゅーす ★おもめのしょうせつ ★じんにん
★さんぷる ★みゃーみゃー猫魂 ★姉 ★でたらめフレーム
★理性の悲鳴 ★トリック ★もっと前に ★のっぺりサンドイッチ
★ある色 ★吹き出し ★切実なチョコレート ★ピーマンと玉ねぎのワルツ
★ちょこれゐと ゐず びゅうてぃふる ★デリケート ★わらいばなし ★けっかい
★かびんとほこり ★夢VS夢 ★あれとこれ ★怪獣が
★五雷食堂のカレーライス ★短絡的思考の見本 ★疎遠な仲間達(酔っ払い?) ★ごった煮
★そうあれる瞬間 ★かちろん ★流行らないそう ★お約束
★とことんなつ ★扇子 ★難扇子 ★フラジャイルに囚われて
★り婦人 ★ようせい ★人力にゃんこ ★熱さまし
★流れるもの ★あてなし ★ノスタルジックな人形劇 ★猫のような人
★じょうけんはんしゃ ★吠える獣 ★蛇年に ★王様は過剰装飾
★ネコ話 その1 ★もしもし亀さん ★つくしんぼう ★おち
★すりこみのーと ★オンリー ★だんでぃずむでいらいと ★あめらんこりー
★切れない包丁 ★張り出しケンジ ★だきあわせベッドタウン ★飛べるねとべる
★背中で語るな ★要素はよそう ★話にならない話 ★虚しさの奏でる音
★まっさらな ★さるディニーニャ ★禁じに近似 ★無内容の
★はんてい ★私という君 ★ぜんひてい ★シーディー対いーえふ
★類型A ★何とも言えない味 ★ガラクタの町 ★あれれ
★顔に酢 ★あそびたいのさ ★オチない ★「意味がない」という事の体験
★関係ない関係 ★いやな食事会 ★ガムの思い出 ★ぐにゃにゃするもの
★ありがとう畑 ★にゃんにゃんこにゃんこ ★正気の沙汰 ★余白に込めた思い
★何だ乱打 ★らいふ ゐず ちょこれゐと ★激しく無駄な、エトセトラ ★苺の友達
★ちょっとだけメッセージ ★アツい子 ★我々が住んでいる世界に、住んでいる、我々とは呼びたくない我々
★ちょこれいと まいんど ★ねこかわさんの動画 ★そばの蕎麦屋 ★ぐちいんふるえんす
★けちょんけちょん ★TNTな毎日 ★足りてますか?エナジー ★馬鹿者どもの共演
★ぷりいずぷりいずへるぷみい ★ちょこれーと・りたーんず ★ねこかわさんの動画(後) ★気分爽快
★父親として ★「そうかい」感 ★食にまつわるエレキテル ★迷惑行為
★めんどめんど ★超絶 ★ぎりぎりに虹 ★失敗
★手に入れた経緯 ★かのデリバリーを待ち ★都合をつけてボルドネス ★はしごして、おくのほそみち
★楽しく踊る ★立て掛けて窓際 ★よく分からない絆 ★吉岡家の食卓~肉喰いジルバ~
★安定C ★めらねったー(前編) ★めらねったー(後編) ★金物細工師的な
★南国気味 ★げえむ談義 ★結社とたらこ ★黄金旅程のその後で
★ふくらし粉バーゲンセール ★作戦ダイナキント ★ホロスコープ越しのマイウェイ
★べたなんじゃー ★さぷらいず・干し芋 ★弾丸ボッシュート ★ちょこれいと・りばいばる
★あず・ゆー・らいく ★スーミーとの出会い ★斜交いに蓮買いに カニカマと匂い
ガララシリーズ
★憂いのガララ ★流離のガララ ★魅惑のガララ ★眠りのガララ
★お嬢様の退屈 ★運命のガララ ★ガララの里 ★ガララ対策委員会
★ガララ輸送計画 ★ガララの明日 ★ガララの旅 ★安らぎのガララ
完結
そらまちたび
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭
完結
徒然ファンタジー
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27 28 29
30 31 32 33 34 35 36 37 38
39 40 41 42 43 44 45 46 47
48 49 50 51 52 53 54 55 56
57 58 59 60 61 62 63 64 65
66 67 68 69 70 71 72 73 74
75 76 77 78 エピローグ
完結
・登場人物紹介
ステテコ・カウボーイ
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮
完結
ナンセンセンス物語(ナンセンスなんだか意味があるんだかよく分からない物語)
★てつがくねこ ★秋晴れ ★けんりのねこ ★ぶんがくねこ
★隠れた王子 ★体験 ★あんばらんす ★こけしに焦がれる
★何でもない日 ★安眠枕 ★猫通り ★盛るミス
★こうこつねこ ★黒い羽根 ★保管 ★タンジェントの嗤い
★ねこつんでーれ ★動きだした時 ★政治口調 ★グローバルマン
★任意の戦い ★焼き肉の日 ★擬態男子 ★ハッピーアイランド
★けいさんねこ ★かしょうねこ ★ぐるめねこ ★最高のパスワード
★てれびねこ ★運命はなんぞ ★嫉妬して猫 ★春へ
★別の世界で ★ねこせらぴー ★捧げられた変奏 ★肩慣らしに捧げる不届きものの賛歌
★素敵なダイアログ ★魔法使いメリーちゃん ★固形物と供に ★夕陽の答え
★雪のない夏 ★いなかのまじゅつ ★風のない日 ★微妙なステージ
★いじわるにっき ★リマーク ★ここまで来た 一つの道
★貴方へ ★さがして ★憧れと空 ★頼もしい何か ★何処かに何かを
★なっしんぐ ★ナイーブな曇り ★そんな世界を ★こんなコーヒーのCMがあったら
★だけど、それは ★花火を見に ★演じ得る ★演じぇない
★休憩地点 ★TO YOU ★演じぇないⅡ ★呼び名
境界の店
境界の店 白い猫 現実とファンタジー 猫との戯れ ニアミス 成長
進展 起りはじめる事 桜咲く 衝撃 コンサート終わり 朝河氏
『大宮望』 N市観光 一日の終わり 絵をめぐって 朝河氏の帰還
大掃除 「そら」 繋がる世界
完結
掌のワインディングロード
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ㉑ ㉒ ㉓ ㉔ ㉕ ㉖ ㉗ ㉘ ㉙ ㉚ ㉛ ㉜ 33 34 35 36
完結
カーテンの申し子
① ② ③ ④ ⑤
物語: 「ATJ あなざー」
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ㉑ ㉒ ㉓ ㉔
完結
物語:「スカイ・ブルー」
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳
㉑ ㉒ ㉓ ㉔ ㉕ ㉖ ㉗ ㉘ ㉙ ㉚ ㉛ ㉜ ㉝ ㉞ ㉟ ㊱ ㊲ ㊳ ㊴ ㊵ ㊶ ㊷ ㊸ ㊹ ㊺ エピローグ
完結
物語:「アルブロガー」
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ㉑ ㉒ ㉓ ㉔ ㉕ ㉖ ㉗ ㉘ ㉙ ㉚ ㉛ ㉜ ㉝ ㉞ ㉟ ㊱ ㊲ ㊳ ㊴ ㊵ ㊶ ㊷ ㊸ ㊹ ㊺
完結
小説: 「淡く脆い」
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪
⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ㉑ ㉒
㉓ ㉔ ㉕ ㉖ ㉗ ㉘ ㉙ ㉚ ㉛
完結
短編
★見つめられて ★贈り物 ★気の早いクリスマス ★この世界は
★キープユアマインド ★酔え酔え ★夏のモノローグ
あとは日記を時々書いています。
twitter @nonsensky
YouTubeのアカウント
スポンサーサイト
『夕日が沈みかけた空が際立って美しい。暗くなる前の蒼い色が心に優しく語り掛けている。まだどこかに残っている希望のように光は明日へと旅立っていった』
表示されたテキストそのもののようなグラフィックが心に焼き付いてゆくのを感じる。背景画を担当した「Asita」さんが伝えたい事もゲームを通して伝わってくるようなそのシーンは、「WHITE LIE」の何週目かのプレイ時に辿り着いたイベント。トゥルーエンドを見ることを目標にゲームを続けているわたしは、なるべく攻略サイトの情報を頼らないようにしていたせいか、途中の選択肢をほとんど虱潰し的に選択していた。たぶん、『フラグ』と呼ばれる言葉を用いればどこかの選択肢で『フラグ』が立ってこのシーンが見れるようになったのだろうけれど、主人公である『笠置君』の心が回数を経るごとに段々と分るようになっているからなのか、このモノローグに至るまでになった経緯に胸がジーンとしてくるまでになった。
<今日の空もあんな感じだったかも>
なんとなく物寂しく感じることもあれば、その寂しさがかえって美しさを引き立てることもある。『笠置君』は文芸部の先輩が温かな眼差しで伝えてくれた言葉を『優しい嘘』と感じていた。どこか儚さのある先輩である『箕輪愛』の過去と秘められた想い、そして登場人物たちがまだ大人ではないからこそ成り立ってしまう微妙過ぎる関係。そのどれもがわたしの人生とは似ても似つかないのに、どうしてなのか同じものがあるような気がしてしまう。誰かを何かの理由で傷つけてしまう事なしには進めて行けないような選択肢が出てきてその度に心は締め付けられる。それでも想いやりながら、どこかに辿り着かせてあげたい。
そんな心境にさせてくれるこの作品に浸っている時間を段々と愛するようになっていた自分に気付く。もしかしたら最初からそういう時間を求めていたのかも知れない。あんまりにもトロンとした気分が続いたせいか、ハンナがわたしの方を向いて何かを訴えているような視線を向けていた事に気付くのが遅れた。
「ごめんね、水かな?」
留守の事を考えて猫用の給水機を常時起動させているのに、ハンナはその都度コップに注いだ水を飲むのが好きだ。大体夜わたしが寝る前に水を与えているのだけれど、ハンナが個性的だと思うのは水を飲むときにコップに顎が浸かってしまう体勢になる事だ。濡れていても気にならないのか飲み易さを優先したのか、この日のハンナはぴちゃぴちゃと音を立てて一生懸命水を飲んでいた。
「美味しい?」
満足したかどうかを確認するように訊ねてみる。「にゃー」という返事はなかったけれどその落ち着いた姿にわたしも安心感を覚え、その頭部を何度も撫でてあげる。日常の中でついつい忘れてしまう心掛けとか、大切にしたいと思っている事とか、世の中にある作品の中にはそういうものを思い出させてくれる力がある。誰かを思いやる気持ちはいつの時代も大切で、時に自分も思いやってもらいたくもなる。前に付き合っていた人とは結局何かが掛け違いになって、思い描いた通りにはならなかった。でも、そんな彼がゲーマーだったから疎かったわたしもそういう知識を身に着けたし、そして今一人で作品に触れて感動している。
「与えてもらったのかも知れない」
そう思うと過去は少しだけ色合いを変える。全ては今に繋がっている、とそう思える。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
火曜日。職場の先輩と廊下ですれ違った際、「あ、そうだ!」と彼女がニコニコしながらわたしを引き留めてこんな事を伝えてくれた。
「河口エリスさん、今度○○町の書店で握手会するんだってね!知ってた?」
「え!?ほんとうですか!?チェックしてませんでした」
「書籍の発売のイベントなんだって。近いし行ってみたら?」
その先輩も猫を飼っている人で職場では一番親しくしている。なのでわたしが声優の『河口エリス』さんが推しという事実も知っていて、なんなら一緒にアニメ鑑賞もしたことがあるくらい。ハンナを飼い始めてからも色々アドバイスをしてもらった恩もあるし、ある意味で今の職場で楽しくやれているのは彼女のお陰と言っても過言ではない。
「行くしかないですよね。実物を見られるんだから」
わたしがそんな風に気持ちを表現したら嬉しそうに笑っていた。自他共に認める『世話焼き姉さん』という感じで、時々そのテンションに圧倒されたりもするけれど、彼女も彼女で最近はアイドルの推し活が忙しいらしい。後でイベントの詳細を調べてみたらなんと『土曜日の13時から』となっていた。
<ランニングの後でも十分行ける…>
実際それは絶妙な時間帯で、早朝からランニングで一度家に戻ってシャワー浴びで着替えて…などを考えてゆくととても都合が良い。疲れはすると思うけれど、すごく行ってみたい気持ちがあった。その理由の一つに『ハンナ』の存在があった。ハンナが夢の中で喋る声がこの人のものであるなら、実物の声を直に聴いた場合にどういう変化があるのか無いのか、その時とても気になってしまった。怜がこの間わたしに伝えてくれた『仮説』によれば、ハンナの声はわたしの脳が勝手に選んだもので、たぶんわたしの記憶の中から選ばれている。考えてゆくうちにわたしは怜にメッセージを送信していた。
『へぇ~イベントがあるんだ。行ってきたらいいよ』
『土曜の13時からだから、ランニングの後あなたも一緒に行けるよ』
『いや、わたしはむしろ『ハンナ』ちゃんと留守番をしていたいなぁ。その方が都合よくない?』
『まあそれでもいいけど』
わたしが想定していた事とは違う展開になる。確かに怜はあまり声優には興味がないようだし、別に一人じゃないけないという事でもない。けれど、怜がその次に送ってきたメッセージでわたしは色々悟ってしまった。
『わたしはテレビで競馬でも見てるよ。確か香純の家もBS映るんでしょ?』
うちのテレビ事情まで把握している親友に少し戦慄を覚えたけれど、何故かそれでもいいかと思えてしまうのは不思議。
河川敷を走っていると散歩をしている人とすれ違う。太陽の位置はまだ低くて光背のようにも見える光から清々しさを感じ取り、川沿いの新鮮な風は走っているうちに火照りだした身体に心地よく馴染む。今回は怜と並んで一定のペースをキープしたまま、そのリズムを大事にするように足を弾ませ、次第に走っている事が意識されなくなると呼吸も安定してきた。
「そういえば桜花賞だっけ?本命決まったの?」
何気ない感じで訊ねてみると「うーん」と唸るような声を出して、
「枠も関係するんだ。内が有利な時もあれば、馬場の状態次第で外が良く伸びる年もある。今回は外の方になったけれど、15番の馬がいいんじゃないかなって思ってる。名前はツバサアスタリスク」
「ツバサアスタリスク」
不思議な響きの名前を確認してから「どういう意味なんだろう?」と訊ねてみたら、
「その馬主さんが馬の名前に『ツバサ』っていう言葉を入れるようにしているんだよ。ツバサハネムーンとか、ツバサなんとかって感じで名前を付けていって、その馬は『星』を意味するアスタリスクという単語を選んだんだね」
「へぇ~」
知らない文化なので名前について過去にも似たような事を説明してくれたような気がするけれど、そう聞くとなんとなくいい名前に思えてくる。すると怜はこの馬について熱く語り始めた。
「『ツバサ』のオーナーさんは実はわたし達の地元の県の人で、調べたところによると会社の社長さんだそうだ。彼には馬主をする上での拘りがあって『高い馬は買わない』。強い馬は基本的に血統が良くて、だから値が張る馬も多いんだけど彼の買う馬はほとんど血統が良いとは言えない。でも愛情をもって馬を大切に走らせるからか、不思議と馬主孝行の馬も多くて、ツバサアスタリスクはその母親がもともと彼の持っていた馬だから特に思い入れの強い馬らしい」
走っている間にこの説明をする怜は全く息を切らせない。現役時代同様、心肺機能が優れている証拠だ。
「そして、ツバサアスタリスクのこれまでのレースは全て『最後方』からごぼう抜きしてゆくスタイルだった」
「すごいね」
「競馬で『追い込み』と呼ばれる戦法なんだけど、やっぱり陸上でもそうだけど前が止まらなくて届かない時もある」
「陸上だとほとんど前の方にいないと上位にはいけないよね。前の方が有利だもん」
「そうそう。だから今回は前が速くなってバテたところを抜き去ってゆくイメージでその馬を応援するつもり」
「上手くゆくかな?」
「わかんない。だってレースだもん」
その時の怜が浮かべた困ったような表情にはわたしも共感する部分がある。今みたいに走るのではなく『本番』で走ることはプレッシャーもあるし、突然お腹が痛くなってきたり、力が発揮できない事も結構ある。怜はその辺りのコントロールも上手い方だと思うけれど、二人で同じレースに出た時にいつもと変わらない話していたのがスタート直前に一気に表情が変わって強張った顔つきになったり凄い集中をしていた時もあったから、そこで何かが嚙み合わないと崩れてしまうというのはきっとお馬さんも同じなのだろうと思う。
そんな話を続けている間にも前へ前へ進んで足も大分温まってきた。今なら少しスピードを上げることも出来る。
「ちょっとペース上げてみる」
そう伝えて怜を引っ張るカタチ。ジョギングだけでもいいとは思っていたけれど、ある程度筋肉痛になるくらいスピードを出してみたい気持ちはわたしにもある。時々テレビで中継している陸上競技やマラソン、駅伝などを見ていて
<わたしもあんな風に走れたらなぁ>
と感じた事を思い出す。走っている間はキツイと感じていても、イメージ通りの走りができた時にはやっぱり嬉しい。メンタルとフィジカルが上手く嚙み合って自己ベストを出せた時の達成感は、たぶんテストでいい点を取るのとは別の意味で自分の努力を認めてあげたくなる何か特別なものだと感じていた。スピードを上げても特に表情を変えないままスーッと着いてくる怜と自分を比べてもしょうがない事は初めから分かっている。それを悲しいと感じるというよりも、わたしの場合はこの『桑原香純』というメンタルとフィジカルの存在が分かり切っているからこそ、その分かり切っているわたしに何か凄いものを見せてあげたいという『気持ち』は大きいかも知れない。今も15分くらい緩やかな曲線と直線のコースを走ったところだけれど、長距離だからそんな『気持ち』がはっきりと足の運びに現れる。
『香純はハートが強いよ』
中学3年で怪我をして本調子でなかったある日の練習の場面で怜に言われた事。怪我にも負けずにその時できる最善を尽くしている怜の方がよっぽどハートは強いと思ったのだけれど、その時の怜はすこし気持ちが弱っていたのは確かだ。それまで怜を中心に回っていた長距離の練習が一時わたしが後輩の女子部員を引っ張るようなカタチになった時、それまでよりも一生懸命に取り組む必要が出てきた。実際のところは後輩の方が速いし能力もある。でもその時だけは『怜の代わり』になるように、先頭を引っ張って走ってみたりもした。そんな姿に対して怜がその言葉を掛けてくれた時、二人の間で一層何かが通じ合ったような気がする。そして実際、こうして同じ場所で走っているのだから、その時と同じような『気持ち』はどこかで見せていきたい。
「香純ちゃん!ちょっと待って!!」
そんな心境でちゃん付けで呼ばれて変だなと思ったら怜の姿が思ったよりも後方にあって、しかもしゃがんでいた。
「大丈夫?どうしたの?」
駆け寄ってみたところただシューズの紐が解けてしまっただけらしかった。
「いやぁ、流石にペース上げるとちょっと足に来るね」
紐を結びながら笑顔でおどけていた怜。
「そう?あなたのことだから余裕あると思ってた」
「なに言ってんの。わたしだって大分ブランク長いんだから香純と同じだよ」
「まあ確かにそうだね」
「というか、香純の方が余裕ありそうに見えたなぁ。あんまり運動してなかったんだよね?」
「『気持ち』だよ!」
「『ハート』ね」
そこから再び走り出してお互いに『もうそろそろよくない?』と思った辺りで引き返し最後はクールダウンしながら無事に第一回のランニングを終了した。思いのほか水分が欲しくなったり、ちょっとだけ『トイレ』の心配をする時間もあったのでその辺りは次に活かそうと言い合った。
☆☆☆☆☆☆☆☆
土曜の夕方まで自宅に怜を迎えてハンナとじゃれ合ったりしながら過ごしていた。怜曰く、
『ハンナと触れ合う時間を作っておけばハンナも喜ぶんじゃないかと思って』
だそうである。やはり前に浮かんだ怜の『入り浸り説』が有力になってきた。大体において、怜もわたしもほとんど気を遣わないで済むから、これだけ近くに住んでいたら自然と出向いてしまう。更に言えば、わたしの方がこの街は先輩だという事実を踏まえれば、怜にとってはわたしはなにかと便利な存在なのだ。ただそうは言いつつも、リサーチ好きの彼女から教えてもらったこの街の情報として、とあるネットの有名人がこの辺りに住んでいるらしいという話を聞いた時には、その調子で色々調べて行ったら立場がいずれ逆転するかもと。
その日は流石に泊りがけにはならず、日曜日は完全にハンナとの蜜月。要らないのにと言った『お土産』であるハンナの為の『正規品』は怜なりのカンパのつもりだそうで、その存在を察知しているせいか朝も早くからおねだりが始まって、ごはんとは別に袋から舐めとらせている自分がつくづく『甘い』と感じてしまった。
ハンナにはどうしても甘くなってしまう。それを愛情と呼べばそうなのだろうけれど、何故だろう、おねだりの視線と鳴き声が強烈過ぎて仕方なしにズルズルと与えてしまっているだけのような。一人暮らしも大分長いけれど、正直自分で自分を甘えさせるという事はなかなか難しく感じることもあり、スマホゲームの推しキャラに甘い台詞を言って貰った時に少し心が潤うような感覚は、誰かに与えてもらいたいという偽らざる本音だと感じることもあるけれど、一度恋愛で幻滅を味わっている身からすると理想はなかなか実現しないものと思ってしまう事もある。
ハンナが自分に向けてくれる気持ちは猫の事を知れば知るほどに、ただならぬものだと思えてくる。わたし以外の人の元にゆく世界線だってあったわけだけれど、夢の中で話もできるハンナのような猫は他に探しても絶対見つからない。偶然でありながらも必然。そんな出会いだったんじゃないだろうか。
昼を過ぎて、太ももに鈍く懐かしい痛みを感じながらストレッチやマッサージを施して疲労を残さないように心掛けていた時に怜が話していた『ツバサアスタリスク』という名前をふいに思い出した。
<レースは確か3時…>
レースの時間を調べてみたところ3時40分に発走となっていたので、あと10分程だった。急いでテレビを付け中継を観る。緊張感のある様子でアナウンサーが解説をしている。盛り上がっていったところでファンファーレと呼ばれるレース前の演奏が始まり、わたしでもドキドキし始める。実況の人が
『「ツバサアスタリスク」も順調にゲートに入りました』
と言って、スムーズに各馬がスタートの『ゲート』に入っていった。全頭が揃って一斉にスタート。ものすごいスピードで疾走する馬たちに圧倒されながら、わたしは必死に15番の馬を探した。怜が言っていたとおり最後方近くで前を見るカタチでレースが進んでいる、コーナーに入り、外側に膨れるように『ツバサアスタリスク』が上がってゆく。
<さあ、直線だ!!>
そこからは流石に大レースらしい盛り上がりで競馬場に来ていたお客さんの歓声と実況で気持ちがヒートアップしてゆく。
15番はまだ?ツバサアスタリスクは伸びるの?
と言っていたところ前で内側で一頭の馬が抜け出している。リードがあってそのまま行ってしまうのか?と思ったところで外からスピードを上げたツバサアスタリスクが一気に追い込んでくる。その疾走感は爽快でさえあって、前との差が一気に縮まってゆく姿を見守ったまま、ゴールに2頭が並んで入って行ったのを確認した。
え?勝ったの?負けたの?
しばらく画面を見つめていると、お客さんたちの「あー!」という声が響いて黒い電光掲示板には1着のところに「5」という数字が。2着のところが「15」という数字だから、おそらくツバサアスタリスクは2着という事らしい。あんなに後ろからでも2着に来たのは凄かった。残念ではあったけれどすぐに怜に、
『ツバサアスタリスク、2着だったね!惜しかった!』
と送ると、
『内も結構伸びたんだね。能力は勝った馬と互角だと思った』
と返事が来た。少し経って怜が応援していたとは言っても、ああいう風に負けるのはちょっと口惜しいだろうなと感じたし、全然関係が無いように感じていたわたしも『微妙』な心境になっていたあたり、怜から話を聞かされて感情移入のようなものがあったのかもなと感じた。あと、とにかくお馬さんが『綺麗』だった。
朝方の少しひんやりとした空気で気付いたら起きていた、という具合。身体を動かすイメージが高まっているせいかベッドで横になっていても足がムズムズするというか、ウズウズしているというか。無意識にハンナの姿を探していたらちょうど猫用のトイレの中に居た。グリーンのプラスチック製の容器に入っている砂の上にちょこんと前足を立てている様子から察するに、いましがた用を済ませた気配。スコップを持って、
「ハンナ、大丈夫だよ」
と声を掛けるとバッとトイレから飛び出し、ささっとカーテンの中に戻っていった。コミュニケーションが上手く行きすぎているのかわたしが『ブツ』を片付けるまで伺っていることがあって、この日も上から砂も掛けないままで放置されていた。部屋の静けさもそうだけれど、いつもよりなんでもない事が意識されているような気がするその心境。
<なんだか懐かしい感覚>
漠然と何かに似ていると思われたところで、脳裏に浮かんだのは『大会』の朝。陸上の大会がある競技場までバスで遠征したりする為に休日普段よりも早めに起きて身支度を済ませる。レースに出場する日だったりすると、本番まで気持ちを高めてゆく必要がある。ソワソワしながら何となくテレビを付けてみて、特に興味があるというわけではない朝の番組の内容が妙に気になったりする。
その頃と同じような心境でスマホで天気や気温を確認してみて走り易そうなコンディションだなと感じた。春先だからそれほど暑くはならないけれど、晴れ女のお陰か快晴が見込まれる。たぶん、一人で走るだけだったらここまで意識する事は無かったと思う。
『先頭は○○中の△△さん、ラスト一周です』
小さな大会でも大会本部には実況を担当する人が居たという事思い出す。『星怜』という名前とわたし達が通う中学校の名前が何度も繰り返されていたレースは羨ましくもあったけれど、誇らしくもあった。今思うと『その世界』は日常からはちょっとだけ遊離していて見えていた光景も普通とは違っていた。それらを懐かしく思う反面、アスリートみたいな毎日を生きることはわたしが望むものではなかったようにも感じる。それでも『陸上』という世界を知らない誰かに、その独特な雰囲気を説明したいと思う事もある。あの経験が合ったお陰でオリンピックで競技を観る時にも今でも臨場感や緊張を感じることが出来る。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「え…?めっちゃやる気満々ですやん!?」
怜を戸惑わせるほどにわたしは気合が入り過ぎていた模様。彼女を玄関で出迎えたわたしは既にトレーニングウェアに着替え、首元にタオルを巻いていた。
「なんか落ち着かなくって」
大きめのバッグを抱えてきた怜は比較的身軽な装い。靴だけはランニングシューズなので合理的。そしてフレグランスがいつもと違う気がしたのだけれどそれを指摘したら、
「ハンナちゃんがどんな反応をするのかなって思って」
と一言。ハンナと面会させるとカーテンから少しだけ動いて怜に撫でまわされていた。抵抗もせずに目を細めて喉をゴロゴロと鳴らしているところを見るとすっかり彼女に心を許している。人懐っこい猫だとは思っていたけれどここまでとは。そうしているうちに怜はボチボチ支度を始め、上着を脱いだ時にニヤっとしながらこんな事を言った。
「今週は『乙女の戦い』の週ですよ!」
何の事か分からずに、
「わたし達が戦うって事?」
と訊ねたらやっぱり嬉しそうに首を振って、
「明日は競馬の『桜花賞』というレースがあるんだよ」
という説明をした。UMAJOを自称する怜らしく競馬で「GⅠ」と呼ばれる大きなレースの週はそのレースの解説をする事がある。わたしは聞きかじった程度の知識しかないけれど桜花賞が若い女馬の為の大きなレースだと説明されて、しかも陸上競技ではそこそこ登場する『マイル』という言葉、つまり1600メートルの競走であるという事はすんなり理解できた。
「サラブレッドの1600メートルは人間の800メートル走ととてもよく似ているんだ」
ほぼ着替えが終わった状態で身体をすこしねじる様にして解説を続けている。万能選手でもあった怜は800メートルも1500メートルも良い成績を残しているけれど、わたしのスピードでは『地獄の800メートル』という印象しかない。
「じゃあスピードが大事って事?」
「いや、むしろ最近では直線の『瞬発力』じゃないかな」
「瞬発力?加速力って事?」
「近いけどちょっと違うかな。一気にトップスピードに持って行ける脚があるかどうかだよ」
「トップスピード…」
「例えばハンナちゃんは瞬発力がありそうだよ。一緒に遊んでるといきなり飛び出すからね」
「確かに、ハンナはすばしっこいの」
人間と馬と猫の間で話題は目まぐるしく動いてはいるけれど、現役時代にはあまり考えてこなかった『走る能力』について考察が深まる時間になった。
「それで桜花賞の本命は何ていう馬なの?」
「まだ考え中。今日走りながら考えようかなって思って」
話をしているうちに予定した時刻になったのでお皿にキャットフードを少し盛ってから、ご飯目当てに近寄ってきたハンナ抱き上げる。頬ずりしながら「お留守番お願いね」と伝えると、
にゃー
と一鳴き。その時怜が、
「ハンナは人間の言葉が分かっているのだろうか?」
と素朴な疑問を発した。本来なら『そんなわけないじゃん』で終わる疑問もハンナの不思議な能力のことを踏まえるとあながち雑には扱えない。
「どうなんだろうね?」
玄関から道路=ロードに出ると予定には無かったけれど河川敷まで移動する間も走ってみたくなる。怜に提案したところ同意してくれたのでその場で軽めに体操をして、通行の邪魔にならないよう気を付けながら住宅街の道をジョギングで走り始めた。休日で人通りは少なく、車もこぐ稀にという頻度。すれ違った人も特にわたし達を気にしている様子もなく、しっかり風景に溶け込めている。河川敷まではとりあえずわたしが道をよく知っているので先導する格好で、後ろに着いてきている親友の姿を時々確認しながらしっかり前を向いてフォームの確認をする。2週間前に走った時に感じた事だけれど、やっぱり足の運びは全盛期の頃と比べるとぎこちなく、スピードをある程度上げてしまったらすぐに息が上がってしまいそうな感覚。
「今日のコンディションはどう?」
後ろから声が聞こえたので、
「まだ硬いかも。身体温まってこない」
と返答したところ、
「リラーックス!」
という単語を伝えられた。そこからなるべく自然体を意識して『いい時の感覚』を思い出してみることにした。ある曲がり角までやってきた時不意に『陸さん』の事が思い出された。もしかしたらこうやって走っている時に偶然彼が通りがかる事もあるという事が意識される。恥ずかしい事をしているわけではないし彼にはわたしがランニングをする事を伝えている。想像が想像を呼ぶように、頭の中で色んなイメージが駆け巡ってゆく。
<そういえばロードを走っている時、色んな事考えたなぁ>
田舎の道では時々不思議な光景を見る事がある。思わぬ場所で犬の散歩をしている人とすれ違ったり、道端に持ち主不明の落とし物が見つかったり。基本的には田んぼだらけの『何もない』光景なはずなのに、だからなのかちょっとしたものでも目立ってしまう。この街はほとんど平らで走り易いし、道中に『怪しげな看板』があったりという事もない。
「そろそろ広場だね」
「走るとあっという間だ」
広場に着いて一度クールダウン。ランニング用のポーチに持ってきたドリンクがとても美味しい。
「まだ越してきたばかりだけど、この街はわたしに合うような気がする」
「どういうところが?」
「空気…かな?」
自分と同じようにドリンクを飲みながらタオルで汗をぬぐう姿を見て、
<わたし達って結構『さま』になっているかも>
などと思うのだった。
桜前線が北上し、怜とわたしの地元に開花宣言が出されたらしい。季節は待ってくれないもので既に散ってしまった場所を通り過ぎてもあの淡い雰囲気はあまり感じられなくなる。けれど今はどちらかというとさみしさよりも少しづつ変わってゆく感覚を楽しむような気持ちがあった。陸さんと出会ってからというもの彼に教えてもらった事が切っ掛けで新しいものにも目が留まるようになっているからなのかも知れない。
週央、とある理由で帰宅後ソワソワしながら外の音に聞き耳を立てていた。ハンナと一緒にソファーに並んで体育座りのような格好になっているので「いつでも動き出せるぞ」という体勢。そして事前に指定した夕方の6時を過ぎた頃、玄関の方に向かってくる人の足音が聞こえる。急いで出迎えて配達員の人に手渡された包装物を抱えてリビングに舞い戻る。
「よし、きた!」
ハンナは突然移動したわたしが即座に戻ってきたきた様子に多少面食らっているらしくて玄関のチャイムも彼女にとってはちょっとした驚きだったかもしれない。意気揚々と包みを解くとそこには何年か前に発売されたというノベルゲームのパッケージが現れる。
『WHITE LIE』
日本語だと『優しい嘘』という題名になるそのゲームを知ったのは、陸さんの活動名である「Asita」さんがゲーム内の背景画を担当したという情報をネットのデータベースで見つけたからだ。いわゆる美少女が登場するゲームなのでプレイヤーに想定されているのは男性なのだと思うけれど、このゲームを少し検索してみた限りでは恋愛だけではなく純粋に登場人物と紡がれるストーリーを楽しむというジャンルのものだという事は分かっている。実は陸さんに会ったその日の夜に気持ちが高まって注文ボタンをタップしてしまった。今度彼と会った時の『話題』として、そのゲームをプレイしてみるのがいいんじゃないかと思ったから。ゲームについて検索はしたものの、先入観なしでストーリーを楽しみたいので付属の説明書を一通り読み、主人公が高校生の『笠置奏太』という物静かな男子という事と、登場人物のその他の男女の名前などを頭に入れる。
比較的マイナーな作品だけれど最近は時々お決まりのゲームを起動するだけになっていたゲーム機でプレイできる。断っておくとわたしはそこまでゲーマーではないけれど、一応の嗜みはある。と言っても映像美を楽しめるアクションRPGが好きなので操作も複雑になるオープンワールド系の作品には手を出せない。前付き合っていた人がバリバリゲーマーだった名残りでそれなりに知識はあるけれど。ノベル系のゲームはその人もあまりプレイしていなかったし、わたしも実質初めてかも知れない。ネットでプレイ動画などは見た事があるから操作に不安は無かった。
オープニングでテーマソングが流れ、美麗なCGが次々と表示されてゆく。どこか懐かしいような、そして温かみのある風景は確かに「Asita」さんの作品だと分る。色使いもそうだけれど儚いような雰囲気が漂っていて、社会人になってどこか忘れかけている世界の姿を思い出させてくれるよう。
『僕がその人を見たのはそれが初めてではなかった』
画面に表示されたその印象的なフレーズが飛び込んでくる。わたしのフィルターを通してその作品を説明してしまえばたぶん魅力は一気に減じてしまうけれど、読書家で小説家志望というプレイヤーである『笠置奏太』くんは学校で同級生には寡黙なタイプだけれど彼の人柄がイメージし易いからだろうか、そこまで違和感なくストーリーを進める事ができる。ステレオタイプの恋愛シミュレーションのようにいきなり女の子の方から話しかけられるような展開にはならず、むしろ序盤はどうやってこの人が人の輪に入ってゆくのかさえ想像できないくらい静かにモノローグが続く。
<文学的ってこういう事なんだろうなぁ>
明らかことで少し悲しい事でもあるけれど、素朴なわたしの感覚では『笠置くん』のモノローグのような事は今だったら共感できたりもするけれど、高校時代だったらただただ<寂しくないのかな>と思わせるように伝わってくる。そんな高校生活が続いた6月のある日のこと学内の文芸部がとあるイベントに同人誌を出品しているという話を知って、興味を持った彼が部室の前を通りがかった時に廊下で『創作ノート』と書かれた一冊のノートを見つける。そこからそのノートの持ち主を探し始めたところからストーリーは展開してゆく。
『存在しない』
一言で表現すれば物語の肝はノートの持ち主が学内には『存在していない』という事実を知った事だ。そこまでプレイし次第に深まってゆく謎に、様々な想像や妄想をしている間にハンナが自己主張をし始めた。
なぁ~
キッチンから恐らくは冷蔵庫の前で明確に呼び掛ける鳴き声はゲームへの集中力を削いでくる。一方でハンナが移動した事にも気付かないくらいゲームに集中していた事にちょっとした驚きがあった。学生時代へのノスタルジーなのだろうか、CGも陸さんが手がけていると思うと場面にすんなり入ってゆけるし、何より『笠置くん』の語りが自然で表現力があるので読んでいて退屈しない。ほとんど追体験をしているような気分が続いたまま、ハンナに『正規品』を差し出すわたし。
<現実感が無いというわけではないんだけど、不思議な感覚だ>
相変わらずペロペロしているハンナの目がギラついているのでそれも現実と作品世界とのギャップがすごい。頭の中で『笠置くん』のモノローグが続いている。差し出したままキッチンの明かりをぼんやり見て、自分の高校時代の思い出も蘇る。実家に来たばかりの茶トラの世話をしながら帰宅部の特権を活かして漫画ばかり読んで、そのくせ未来の自分をぼんやり浮かべていた頃。やっぱり居間の電灯をぼんやり眺めて同じような表情だったかもしれない。
『明かりが何かを示してくれるというわけではないけれど、明かるいという事はそこにエネルギーがあるという事で、わたしはそれに当てられて光るのだ』
というよく分からない自分の当時の台詞。高校で一挙に難しくなった『化学』について母や父に嘆いていたわたしのその悩みを聞いてくれているようで結局は助けてはくれなかったのは、結局は自分で切り開いてゆくしかないという事を伝えようとしていたのだろうか。あの時必死で覚えた事は最低限社会生活を営む上で役に立っているはずだ。
わたしなりのモノローグの時間を通り過ぎ、満足してカーテンの中へと帰っていったハンナと一緒にリビングに。ゲームを再開し、初日だったからかじっくり雰囲気を味わいつつ2時間はプレイしたような気がする。とりあえずノーマルのエンディングまで辿り着いたけれど、クリアしても肝心の『謎』が分からないまま。すこしネットで調べてみるとクリア後に解放されるルートがあるらしくて、それを繰り返してゆくと『謎』に辿り着ける仕組みとのこと。ノーマルエンドはハッピーエンドともバットエンドとも違って、『とりあえず終わり』という感が強い。
不思議な雰囲気を断ち切られて感覚が現実寄りに戻ってくる。半分残っていた感覚のままぐっすり眠れたのは良かった。
良かったけれどこういう時に限ってハンナが夢の中に現れる。ゲームの影響のせいか通っていた高校にあったような造りの体育館でバスケのフリースローの練習をしているわたし。明らかに軌道はゴールに入るようにボールをシュートしたのに、物理法則を無視するような落ち方でゴール手前にバウンドするボールを呆然と眺めていると、そのボールに向かって突撃してゆくハンナの姿が見えた。
<なんで猫?>
と一瞬思ったあとに頭が『覚醒』する。
『ハンナ危ないよ!』
素で普通に注意していたけれど夢の中のハンナだから大丈夫かとすぐ気付いた。案の定、バスケットボールは風船のようにふわふわ浮かびだしてハンナは必死にそれを追い掛けている。珍しいパターンでこの夢の中ではハンナが熱中しているせいかなかなか喋らない。
『ハンナ、おーい!!』
喋らないと損した気分になってしまうので必死に呼び掛けると、
「これ面白ーい!!!」
と嬉しそうに叫んだ。<そうか、ハンナはああいうのが好きなのか!>と気付いたところで目が覚めた。胸元で気持ちよさそうな顔でスースーと眠っている小さな生き物はわりと母性を刺激してくる。