何だ乱打
ワンダーランドと呼んでしまうほどワンダーな事はないのは重々承知だけれど、何だ乱打くらいは出来るじゃないか。わさびをつけて食べる寿司よりも、サビ抜きの歌を乱調気味に演奏していた方がやんごとない感じがする。つまりはフリスビーである。僕の目が捕えて離そうとしないものは、円盤型のフリスビーなのである。
去年よりももっと昔に違いない、10年くらい前の事。僕はまだ幼い子供のふりをしている餓鬼だった。若干精神年齢は高めで、幼い子供のふりをしていた方が都合が良いという事に気付いてそうしていたのだが、それが案外面倒くさいという事に気付くにはもう少し時間が必要だった頃なのだが、僕が何気なく外で遊んでいると筋肉が沢山ついた餡団子のような体型の人が僕を熱心に見つめている事に気付いた。僕を見つめていると思ったら、僕の持っている円盤型のシルバーのフリスビーに興味を示しているらしく、我ながら察しの良かった僕はその人に目配せして、
「そらー」
とフリスビーをその人の方に向けて飛ばした。その人はフリスビーをキャッチすると嬉しそうに抱えて一目散に走ってどこかに行ってしまった。それきり、そのフリスビーを目にする事がなかったのである。
だが、今この瞬間、ジャンクばかりが飾ってあるリサイクルショップで僕が目にしているものは、その時と同じ円盤型のフリスビーである。僕は店のオヤジに訊ねた。
「このフリスビーは?」
「フリスビーだよ」
「いや、まあそうだけど、このフリスビーっていつ頃から置いてあるんですか?」
「さあね…知らないな。なんせこの店管理が行き届いていないし、何あるか把握してないから」
「店の人がそんなんで良いんですか?」
「だって私は雇われ店長だから」
「そう…」
知らなくていい事情を知って、肝心の情報が何も得られていない事に憤怒しそうになった。なったけれども、そこはぐっと堪えて、少し別の角度から攻めてみることにした。
「このフリスビーって値打ちがあるんですか?」
「札見れば分るでしょ?」
「あ、確かに貼ってあった」
貼ってあったのは『80円』という値札だった。普通だったら、別に特注でも何でもない大量生産された内の一つでしかない銀の円盤であり、僕が持っていたのとは違う物になると思うだろう。けれど僕には妙な既視感があったのである。使用されたものにはその跡がある。微妙なところにある目立たない微かな傷跡は、もしかしたら僕が遊んでいたものではないかと思わせるには十分だった。
「僕のではない。でも僕のである可能性が僅かにないともいえない…」
「お客さん。自分で売ったの覚えてないの?」
「え?」
「売ったんじゃないの?」
確かに店主からすれば、僕が以前売りに来てボケているというストーリーが自然に思えるのかも知れない。
「売ってません。でも売られたかも知れないんです」
「奥さんか誰かに?」
「いえ、あんな人は僕の奥さんではありません」
「???」
微妙に話がかみ合っていないが、訂正するのも面倒だ。
「まあ、色々あるんですよ」
総合的な判断でお茶を濁す事にした。
「そうですか」
店主との会話よりも僕はこのフリスビーを買うべきかどうかかなり悩み始めた。僕は同時に二通りの可能性を考えている。
①このフリスビーは僕が遊んでいたもので、盗人に盗まれて、時が経って売られて目の前にある
②このフリスビーはどこぞの誰かが何らかの目的をもって購入し、使用し、しかるのちにリサイクルに持ってこられて、80円未満の値段で売却され、今単なる80円の品となっている。
凡そそれくらいの思考で十分なのだが、何故だか想像力が豊かになってしまっていたこの時の僕はまったく違う斬新な解釈もあって良いのではないかと思った。
③このフリスビーはさる貴婦人が、召使に『俗っぽい遊びとは何でしょうか?』と問うて、ある召使が『僭越ながらフリスビーという円盤を使ったスポーツなどは如何でしょう』と返した結果、貴婦人が興味を示し、『では買って来て下さらない?』と別の召使に命じて、日も暮れようとしている頃に10キロもの距離を走らせて無理やり買いに行って手に入れたものの、実物を見て見るとそれほど興が乗らずに、雑に遊んで数日で飽きて売却したものではないか?
いやいやもしかしたら…なんてことを考えるおつむリソースが段々勿体なくなってきたので、僕は80円で①の可能性を得られるなら安いものだと思って、手に取る事に決めた。
と、その瞬間、ワンダーランド的な事が実際に起こったのである。僕が手に取ろうとした瞬間無防備だった横から筋肉質の腕が伸びて、それを掻っ攫って行ったのである。一瞬何が起こったのか掴めなかった僕は、思考停止してしまい、その間にもその筋肉質の腕をした人はレジに向かう。そしてこんな事を言う。
「ああ、やっぱりあった。おかんがこの前勝手に売ったっていったからここだと思ったよ」
「80円になります」
「はい」
「ありがとうございました。袋に…」
「このままでいいや。じゃあ」
その筋肉質の腕にも僕は既視感があった。というか、もしかしなくてもあの時僕のフリスビーをパクった野郎だ。そう思うが、動揺していてなかなか身体が動かない。というよりも、いろいろ何だかつっこみどころがあって…
気付いた時には僕は店の中で気持ち悪い脱力した薄笑いをしていたのである。そして一言つぶやいた。
「管理くらいしっかりしろよ」
「そうっすね」
雇われ店長に誤解されたのもどうでも良くなった。