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ライラックに廃村を

ほっとする一時があると良いと思う。一方で頑張りたいという自分も当然いる。
矛盾するように存在する二つの心。けれどどちらも否定しないそんな領域がどこ
かに存在するような気がしている。ふわっとした物言いだからそこに至るまでに
は衝突があったり批判があったりするかもしれないけれど、なるべく程よく自分
を出していって、どちらに寄るかを


そこまで漠然と考えたら一呼吸を置く。過ぎない事がテーマのこの気持ちで、
行ける所まで行けばいいんだと、この気持ちで思う。
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ゆるやかな気持ちで

愛おしい気持ちと言えば良いですね。望んでいた関係はこういうものかと。でそうする事で自分もなんとなく表現されているというような。だから良いのだと思います。っていう言葉が出てくる感じでしょうか。

出来の悪い

情緒というものが何かそれだけでは表現し得ないものを抱えているとして、例えば論理的な思考
であったり情緒など感じられない時だったりならば、すべてが語り尽くせはしない。


けれど確かに基調として、多くを語る一つのリズムがあるとするならそんな風に思いを吐露して
みるのもいいと思う。何の事はない「ゆるやかな気持ちで」とは情緒なのだ。



気持ちほど自由にならないけれど自由なものはない。自分の気持ちなのだから、出所は自分で、
それに従うなら紛れもなく自由だろう。けれど時に気持ちを抑制して、必要な事をやらねばな
らない時がある。それが上手くできない事を嘆くなら、自由…思うままにならないと思うかも
知れない。論理的に考えるなら、それは愚にもつかない。



論理的に語ろうとする時、前提から排除している曖昧なものがある。その曖昧なものが他でもな
く今のように大して中身のない事を言わしめる。「ゆるやかな気持ちで」とは言うなればそれを
ある種無意味なものとして分っていて、それでも気楽に語ろうという意識があったのだろうと思
う。


この見方はおそらく主観に塗れ、統一は与えるが偏見に満ちたものだろう。それを自制して、常に
理性的、論理的であろうとするなら既に『気持ち』というのは場を無くしている。多分、戯言のよ
うであり半ば本心のようであり、と分っていて語るから場所があるのだろう。



出来の悪い、それでも愛すべき何かなのかも知れない。

待つ事によって

待つから出来る事もある。というか微妙なところも味わえるからなのか、もっと練り直したり
こだわりをもって取り組んでみたくなる。


カタチ、言葉にするとき、その微妙さが言葉で言い表されるなら確かに読み取り得るものに
なったという事だと思う。


微妙さに迫ってゆくなら当然ながら全体性を見失い易い。或いはリズムを見失う。だからこそ
微妙さに待っていられずに言葉にならないで通り過ぎてしまうというものだろう。



微妙さに迫りつつも、微妙さが全てではない。同じ基調の中で語られて位置づけられる微妙さ
。いや、どちらともつかない。『瞬間』が『全て』であることもある。


どちらとも決めないまま、素直に狂い、そして取り戻してみる。ただ、待つと決めている。

待つこと

必然と言えるのだろうか。ただの気紛れだろうか。あると思えたものが、また、あると思えている。
ごく個人的な事。言う必要のない事を言うくらい、柔らかくある。


飾り立てた言葉は不要だけれど、出来るだけ言葉を待つように。


待つ事が出来るというのは、きっと何かなのだろう。
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Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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