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淡く脆い ㉚

その日、芳井さんと食事を取りながら彼女が話したいと思っていた事をそこで伝えられた。今のバイトを辞めるつもりだという。戸田くんの事もあるけれど、仕事が見つかりそうだからそちらに集中した方がいいと思ったとのこと。それを伝えるつもりだった彼女からしてみれば今日のこの展開は思いもよらぬものだったのだが、どうせならお芝居に専念するという意味も込めて、バイトを辞め後日事務所に復帰したいと伝えればいいのではという事になった。


実際それを実行する段でやはり躊躇いがあったようだが、芳井さんを奮い立たせ、彼女は何とか復帰する事が出来た。幸い事務所の方も辞めてから日が浅かったのもあって歓迎してくれたそうである。生活の方の心配もあったという事を考慮して『同棲』という提案をもち出した時にはかなり緊張したけれど、『支えたい』という気持ちの現れだという事を強調すると、「私も出来るだけ一緒に居たいので、お願いします」と喜ばれた。



それから次の夏が来るまで並々ならぬ苦労と喜びとがあった。春ごろに戸田くんから一通の手紙が届いて、


『あの時はありがとうございました。里奈さんが頑張っているという事を知って、俺も本気で夢を追うぞと思いました』


と書いてあった時にはこれで良かったのだろうという自信が出てきたものである。折から芳井さん…里奈はとある演劇で主役ではないもののかなり重要な役に抜擢されその演技も評価され始めていた。お芝居を再開した当初はいわゆるちょい役しかなくて彼女の夢からは程遠かったのだが、それでもその時出来る最善の事を真剣にやり続けようとする彼女の姿に、現場からの評価が次第に高まった結果らしい。仲間には彼女は強くなったと評価されているらしい。家でだいぶ弱気になったりする彼女を見ていると、自分は頼られているんだろうなと思ったりする。



そんな自分も仕事場の先輩である峰さんや同僚から時々アドバイスを貰ったり応援されたりして、最近では里奈を支えると言った自分も色々な人に支えられているのだなと思うようになった。


ただ、当然ながら別れもある。


まさに一年前と同じような夏の日にあの場所で友人と待ち合わせをした。今回はいつもより早めにやってきた友人。


「よう」


「今日も暑いな」


もしあの日こんなに暑苦しくなく友人が少し早めにやって来ていたら、自分は腹を立てる事もなく彼と一緒に普通の休日を過ごしていたのだろうと思うと何か不思議な気持ちである。


「じゃあ行くか」


そう言って特に目的はないがブラブラ歩く。過去に歩いた事があるような道を辿ってゆく。


「明日引っ越しか?」


そう言うと彼は「ああ」と言った。父親の具合はそんなに悪くはなっていないらしいのだが、良い仕事を見つけたという事でこの夏にこちらでの仕事を辞め地元に戻る事になっていたのである。


「未練はないのか?」


この問いにどこか遠くを見るようにして「ああ」と言う友人。けれど、


「お前がこっちでしっかりやれるかどうか、ちょっとだけ心配だが、それを言っても始まらないからな」


「確かにお前には色々世話になった。長い付き合いだしな…」


しんみりした話になると思ってなのか友人はからからと笑い、


「別に今生の別れでもないし、お前だって地元帰ってきた時にはしっかり顔出せよ」


とおどけてみせた。


「分った」


そう答えると何か言い辛そうに、


「あと」


「なんだ?」


「結婚とかするようだったら、ちゃんと呼んでくれ」


と言った。それは今のところ考えては居ないけれど最近何となくだけれど状況的に外堀を埋められてきているように感じる。


「ん」


曖昧に答えておいた。そのまま歩いていてちょっとしたものに目が留まった。ある音楽店のモニターに『藍川愛美』というアーティストの新曲のPVが流れていた。一年前に握手会で彼女のCDを買ってから妙に馴染んだため、それ以後もチェックし続けていたのだが今度ライブがあるようで里奈と一緒に行ってみようかと相談していたところである。


「あれから一年なんだよな…」


時の経過を感じしみじみと言うと、


「あれからお前もちょっと変わったと思うよ。何ていうか積極的になった」


「そうか?」


あまり自分では自覚がなかったけれど、同僚からもよく言われる事だった。


「俺もあっちで良い出会いがあると良いなと思ってるよ」


そう言った友人は翌日の朝に発ったが、正直まだ実感が湧かない。というか今日は予定があって里奈もソワソワしていてそれどころではないというのが本当のところ。


「早く行こうよ。映画2本だから早めに行った方がいいし!」


「本当に2本見るの?ってかまだ流石に早くない?」


「そんなこと無いよ!ちょっと寄りたい所あるし」


「どこ?」


「秘密」


そんなやり取りをしながら急かされて駅まで移動する。彼女のたっての希望で映画を見に行く際には里奈が住んでいたシネマで見るという事が恒例化しているのだが、最近仕事のスケジュールも埋まりはじめていた合間にもそれまでと同じ量の映画を見たいという意思を譲らず、一日に2本の映画を見るという強行スケジュールとなった日曜。良い事なのだとは思うのだけれど、女優の他にも脚本家という夢を最近口にするようになっている。というか、それは里奈だけではなく『僕』も含めて二人三脚で叶えたいという夢らしい。何でも彼女に言わせると僕は文才があるとか何とかで、半ば強引に理論を叩きこまれ彼女の頭に思い浮かんだ筋を文章化する事を手伝わされている。その勉強の意味も兼ねて映画を一緒に観て批評するという訓練を行っているわけだが、大変な反面、新鮮で楽しくもあった。



移動中も他愛もないやり取りをしつつ、あの駅に到着する。その瞬間彼女の表情が変わったような気がした。歩き始めているうちにその方角から「寄りたい」と言った場所がすぐに分った。


「公園か…」


「そう。なんかここに来たくなるの」


「七宮公園」という立て板。


「いい公園だよね。雰囲気が」


「わたしね…」


そういって彼女はゆっくり語りだす。


「昔お芝居だけで良いって思ってたところあったかもしれない。でも、なんかそういうのだけじゃなくて、何にもしないでのんびり過ごせる時間が好きで、好きな人とただそのまま過ごせたら幸せだろうなって想像しながらあそこに座ってたの」


といって指さすのはいつか腰掛けたベンチ。朝の陽が射して爽やかな気持ちになる。促されるように座ると隣に里奈が座った。


「今の気分はどう?」


訊いてみた。


「いいね。やっぱり落ち着く。達哉は?」


「里奈と居れるだけで、俺は落ち着くよ」


「うん。そういうのも嬉しいんだけどさ、今はここを褒めてほしいかな」


その時ここには結構思い入れがあるんだなと思った。


「そうだね、前も言ったかも知れないけどできるものなら小説でも読んでたい気分だね」


実に正直に言うとちょっと大きな声で、


「ダメだよ!今日は映画をしっかり見ないと!!」


「何だよそれ!自分から言ったくせに!」


なんだか可笑しくなって笑いだしてしまった。でも何となくこういう時間というのも淡く脆いものなのかなとも思ったりする。そのままでいたいけれど実際は仕事の事で頭を悩ませる時間があったり、現実は次から次へと問題を運んできてそれに対応しなければならないという連続である。



そんな合間の、この脆さを秘めたこの淡い時間を本当のところ僕はこの上なく愛しているのかも知れない。


「そう言えばこの前マリがね」


もちろん、こうやって御堂さんの事を嬉しそうに報告する彼女の事も。


(終わり)
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淡く脆い ㉙

「まさか片霧くんがここに来るとはね…」


「いや、俺もまさかマリさんがこういう所に勤めていたなんて…」


どこかしっくりきていない感じの御堂さんの言葉に自分も意外だという気持ちを言い表すと、


「変?」


とちょっと不安そうな目で見つめられた。


「いいえ、イメージとぴったりですし何か合点がいきました」


すぐにこう答えたのだが、実際都会的で洗練されている感じのする御堂さんにはこういう場所がぴったりだと思ったし、芳井さんとこの町で出会ったのも御堂さんとこの辺りを歩くことが多いからなのだという想像がすんなりできた。


「ん…。それにしても…」


神妙な表情からも御堂さんは何か気になるようである。


「どうしたの?」


「やっぱり付き合いだすと雰囲気が変わるんだね」


「え…あ、まあ芳井さんもそれは伝えてるよね…」


「…嬉しかったので…」


見るからに恥ずかしそうに顔を伏せた芳井さん。このやり取りを見ていた御堂さんは少し「うーん」と呻って、



「なんかでもまだぎこちないね。特に片霧くん!」


「え…?俺ですか」


「ベタな事なんだけどさ、付き合っててまだ『芳井さん』って呼ぶのは何か余所余所しくない?私にはマリさんって言ってるし…」


指摘されて一瞬驚いたが確かにそうだなと思った。


「っていうか、マリの方が片霧さんと親しげじゃない?」


芳井さんはちょっと不思議そうにいう。これは例の甘味処で偶然出会った時に自分もちょっと感じた事である。なんというか恋愛対象にならないからこその安心感のようなあるのかも知れない。


「まあマリさんは気を遣わなくていい…というのか…そんな感じで…」


言ったところでこれは何か失礼かなと思って最後を濁した。すると御堂さんは店の中を少し気にしながら、


「つまり片霧くんに意識されまくってるってことだよ。里奈は」


と鋭い指摘をされた。まさにそれであるがゆえにまだ芳井さんの事を下の名前で呼べないのである。


「あ…そっか…」


芳井さんも納得した様子。若干恥ずかしい。しかしながら、


「でもそれを乗り越えて、ちゃんと名前で呼んで上げるっていうのが…ただまあこの人だからね…」


とこちらをじろじろ見るように御堂さんが言いかける。まるで自分には出来ないような言い方である。店内を少し見渡してもう少しくらいなら話せるかなと思い、


「でも、芳井さんの方も『片霧さん』ですよ」


と弁解すると芳井さんの方が意外そうな声で、


「え、だって片霧さんの下の名前、私聞いてないですよ?」


「「え!?」」


思わずハモってしまう。そういえば知っているものと思って教えていなかったかも知れない。何かぎこちないと言われるのもこれでは仕方ない。



「あの、確かに教えてなかったかも知れないですね。えっと下の名前は「達哉」って言います」


「タツヤ…」


確かめるようにそう呟いた芳井さん。すると次の瞬間芳井さんが何か意を決したように、


「じゃ、じゃあ、達哉さん!そろそろ行きましょうか」


と言われたので、


「え、ああ、そうだね里奈さん。仕事中だしね」


思わずこう答えた。余計ぎこちない感じなのが笑いを誘ったのか、御堂さんは吹き出していた。その後とりあえず店内の洋服を見て回る事にした。時々御堂さんも様子を見に来て、明らかに可愛らしくお洒落な洋服に「これカワイイでしょ」「これ良くない?」とちゃんと(?)接客もしてくれた。良いものがあったらしく芳井さんは上下で一点ずつ購入する事に決めたのだが、ここは自分の出番だなと思い。


「じゃあ、俺がプレゼントするよ」


と告げる。芳井さんは遠慮したけれど、御堂さんが「ここは買ってもらうところだよ!」とフォローしたのもあって会計は自分が済ませた。それから「里奈をよろしく」と御堂さんに見送られ店を出た。いかにもデートらしい展開だったので個人的に満足していたが、


「マリも喜んでくれてたみたいで、私も嬉しかったです」


という芳井さんの笑顔を見て更に充実した気分だった。


「ところで、これからどうする?」


本来ならば自分で計画すべきところなのだけど、慣れていないので思わず訊いてしまった。後でそれを反省したのだが、芳井さんの方も普通に、


「そうですね、とりあえずこの辺りを歩きたいです」


と言ってくれた。意図せずに町歩きのような感じになって時々気になったお店に入って商品を眺めたり、食べ物を見ていたのだが何かそれだけで十分に楽しい。以前二人でお互いによく行くところを紹介し合った時とは全然気持ちが違う。ただこうする事が目的のような気さえする。


「なんだかこうしてるだけで楽しいなんてね」


ほとんど意識せず素直な感想が出てきた。その言葉を聞いた芳井さんは、


「私もそうなんです!何ででしょうね!?」


とうきうきした表情でいたずらっぽく言う。


「『何ででしょうね?』って、そりゃあ…」


「そりゃあ?」


少し沈黙が訪れる。いや、答えは考えるまでもない事でこの表情だと彼女だってそれを分っているくせにわざと聞いているのだろう。多分「自分らしい」、つまり「片霧達哉」らしい事を望まれているのだと思う。ちょっとだけ損というのか、逃げられないというのかそういう感じである。


「好きな人と一緒に過ごしているからなんじゃないかな…」


多少一般論で誤魔化したけれどほぼダイレクトに伝えた。『我が意を得たり』という顔で「そうなんだ」と呟いて満足そうに先を歩き始めた芳井さん。これだと何かもやもやしてしまうので、


「里奈さんはどう思う?」


と訊く。我ながらこれはいい作戦だと思った。だが、芳井さんの反応は思ったのと少し違った。彼女が振り向いたときその表情が何かはっきりしない。眼差しはとても強かった。


「私は愛おしいんです。あなたが…」


思わず言葉を失って、どきどきしてしまった。いや『どきどきした』という表現さえこの場合似つかわしくないかも知れない。


「こんな時、君に何を伝えればいいんだろう…。僕は君を絶対に失いたくない」


この時、二人の間に周りと全く違う時間が流れていたように思う。それは劇のような情熱を伴った真実の告白だった。だがその張りつめた時間が自然に過ぎるとお互いの表情で吹き出してしまって、


「クサいですよ片霧さん」


とまたいたずらっぽく言われた。対して、


「だってあんな感じで言われたら答えるしかないじゃん…」


と嘆く自分。


「多分、私達似てるんだと思います。時々凄く真面目に考えちゃうところとか…」


「そうなんだろうね。でも何となく芳井さんが演劇の道に進もうと思った理由が分った気がしたよ」


「それは…」


「本当だからなのかもなって。普段は茶化しちゃったり、向き合わなかったりすることに真摯だとさ、あの張り詰めた時間の中に居たいなって思うのも、本当は望んでいる事なんじゃないかって」


「でも、私は…」


自分でも言うべき事ではないように思えるのに、彼女にとって何が良い事なのかを考えてゆくとそう言うしかなかった。


「今ならさ、君を支えられるんじゃないかって思ったりもするんだよ。君の本当に好きな事で」


「…私…」


彼女の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。それが今にもあふれ出そうで、『僕』もだんだん気持ちがこみ上げてくる。不安そうに見つめる瞳に僕は「うん」と頷く。


「もう一度…追っても…いいんでしょうか…?」


それは頼りなく、壊れそうなほど脆い言葉だった。


「僕等は脆いかも知れない。でも淡い期待でもさそれを続けていったら、もしかして欲しい未来がやってくるのかも知れない」


「その未来に、達哉さんは…居てくれますか?」



僕は人目をはばからず歩道で彼女を抱きしめた。


「居るとも」



その言葉に彼女は安心したのか、そのまま静かに僕に身体を預けていた。

淡く脆い ㉘

芳井さんと約束した日。朝、いつもより気合を入れて服装を考えていた。それまでの印象が覆る事はないにせよ、恋人として彼女に相応しい姿というイメージが何となく浮かんでいて、そうした方が喜ぶのかも知れないと思いはじめたら細かなところが結構気になってくる。もともと幼い顔立ちで格好をつけても似合わないと分っているけど、ちょっとした意地のようなものでそれなりに男の部分が見えるようにしたかった。格好はどうにかなったものの洗面所の鏡に映った顔がなんとなく自信が無いように見えて、そそくさと家を
出た。


しばらく続いていた寒気が一旦収まっていたようで、お出かけ日和と言えた。自分の目には何か世界が新鮮に映る。見慣れていた景色もどこか違った色合いを感じさせ、行きかう人に比べると自分は少し浮かれているように感じる。あれこれ考えている間にいつの間にか待ち合わせ場所まで来ていた。そしてその場所は二人にとって少し特別な場所だった。



あの派手な格好をした芳井さんを初めて見た場所である。



てっきり自分の方が先に着いていると思ったのだけれど、意外な事にあの日とは全く違った柔らかな雰囲気で、やはりあの不恰好な像の下で彼女は座っていた。僅かにだがソワソワしているようにも見えた。


「早いね。もしかして待った?」


「あ…片霧さん」


姿を確認した時に一瞬だけ躊躇いがあったように感じたのだが、やはりいつもより気合を入れ過ぎていたのかも知れない。芳井さんはゆっくり立ちあがり、


「なんか落ち着かなくって早めに来ちゃったんです。でもちょっと前に来たばかりですよ」


と言いながら愛らしい微笑を浮かべた。その表情に見惚れてしまいそうになるのを抑える。


「じゃあ良かった。似合うね」


白を基調とした長いスカートと淡い色のブラウス。年頃の可愛らしい女性という感じが彼女にはよく似合うと思った。


「実はこういう格好ってあんまりしたことないんです…よかった」


かなり恥ずかしそうに言う。「何でも似合うよ」と言いそうになったけれど、それは今は無粋なのかもなと思ったりした。


「そういえばここで最初に会ったのって多分覚えてないでしょ?」


あの時の芳井さんは隣に座っていた人の事は目に入らなかったと思う。


「えっと、何となく男の人が隣に座ってたっていうのは…覚えてないかも…」


もしここで自分の第一印象を言ったらどうなるのだろうと思っていると、


「私どんな感じでした?」


と訊かれて結構困った。あの時、彼女の見た目で自分の苦手なタイプの女性だと思ったと素直に言うべきなのか。


「うん…ちょっと怖かった…」


これも素直な感想だったが、そう言うと芳井さんはおかしそうに「ふふ」と笑った。


「片霧さんらしいですね。そういうところが…その…」


何かを続けたそうにしていたが、その後ちょっと恥ずかしそうに顔を伏せたので何となく伝わった。この前まではこういう微妙な部分を深く考えないようにしていたけれど、自分が好意をもたれている事を素直に受け取っていいというのは新しい喜びでもあった。けれどこの時、少しだけ気になった事があった。


「なんか気のせいかも知れないけど、ちょっとだけ雰囲気が変わったような気がするけど」


「私ですか?」


「うん」


「そりゃあまあ、素直になっていいんだなって思ったらそうなるというか…でもそれ言ったら片霧さんもですよ」


「え…?そうかな?」


「なんか前より、フワッとしてる感じがします。日だまりみたいな」


「…」


今度は自分が照れくさくなる番だった。ここでこんな風にデレデレしているとずっとそうしていそうな気がしたから、


「まあ、とりあえず移動しようよ」


と気を取り直した。前よりも雰囲気が親しみやすくなったように思える芳井さんと一緒に歩いているとそれだけで満たされた気分になるのを感じた。もちろんこれからの事を考える必要はあるけれど、今はただこうしていたいそう思った。


「…うふ」


歩いていて時々聞こえる嬉しそうな声。どうやら浮かれているのは自分だけではないようである。芳井さんが行きたい場所があるので案内してもらっているが、次第に土地勘が無い景色に移り変わってゆく。10分くらい歩いただろうか、


「行きたい場所ってさ…」


と目的地を聞こうとした時、


「あそこです!」


元気よく視線の先にある建物を指さした芳井さん。


「あ、ここか!」


それは若い女性向けの洋服を扱っているショップらしかった。大型店というわけではないけれど、中は結構広そうで人の流れからすると結構繁盛しているように思えた。


「うん。こういう店は絶対入らないよ」


拒否したわけではないが、自分だけでは絶対に入らないという事は保障できた。


「そんな事言わずに、ささ」


彼女はさり気なく手を繋いでそのまま店の中に引かれてゆく。そしてそこで驚くべき事があった。


「マリ!!来たよ~!」


「里奈!!」


そう、店員の一人らしかった女性は芳井さんの友人である御堂さんだった。

淡く脆い ㉗

「なんて送ろうかな…」


数日後、部屋で一人スマホと睨めっこしていた。過去に来た芳井さんからのメールを読み返しながら、あの夜を堺に変わってしまった二人の関係を確かめている。自分があれほどまでに積極的になれるとは思っていなかったが、芳井さんもそれまでとは全然違った表情で見つめてきたのがとても新鮮だったのもある。二人の関係も変化したけれど、自分自身も何か吹っ切れてしまったような感じである。


それでも変わり映えのしない自分の部屋で静かに過ごしていると、こちらから積極的にデートの誘いのような事をしてよいものか躊躇われてくる。そもそも彼女自身の問題は大きくは変わっていないわけだし、自分だけ浮かれるのも違うような気もする。けれどその一方で、他人としてではなく相手にとって特別な人間であるという認識で行動すべきだという気持ちがより強くなってくる。


「そうすると…」


その部分に思い至った時、自然に文面が出来あがっていた。


『今後の事についてちょっと話したいんだけど、ついでに何処か出掛けない?』


我ながら巧い方法だなと思った。その日はバイトだったらしく返信は遅くになったけれど、


『是非!ちょうど行きたい所があったんです』


と返ってきた。それを確認して『お疲れさま、おやすみ』と返信してから眠りについた。



秋も終わりに近づいていて、そろそろ厚着しないと支障が出てくるような時期になっている。朝の空はどことなく淋しげで、通勤途中に見かける並木の枯葉も少なくなってきている。昔はイベントの多い冬は嫌いではなかったけれど、本来の姿というのは厳しいもののような気がする。ただ、今年は何か違うのかも知れない。その日、同輩の田中と出社時間が重なって少しばかり会話が始まった。


「そういや例の娘とどうなった?」


「ああ、なんていうか…」


表情に出ていたのかそのリアクションで何かを悟ったらしく、


「おお、もしかして上手くいったのか!?」


と相手のテンションが急に上がった。若干気圧されつつも、


「うん。好きって言われちゃったしね…」


と答えたところ「ひゅー」とからかわれた。何故か嬉しそうなので悪い気はしなかったが、朝の時間なので静かにして欲しい部分もあった。


「じゃあ、今日の夜は祝勝会だな!」


「祝勝会!?お祝いって事?」


「お前の場合は何か『祝勝』の方が似合うよ。話を聞いてるこっちがもやもやしてたからな!」


そんな感じでいつものメンツで飲みに行く事が急遽決定した。



夕暮れ、繁華街にも寒い風が吹き抜けて一刻も早く暖を取りたくなってくるが、峰先輩も山口君も陽気に喋りながら店探しをしているので何だか不思議な感じである。峰先輩は、


「片霧くんのお祝いなんだからちょっと派手に盛り上がらないとね!」


とやはり上機嫌なのだが、自分の事でこんなに喜んでくれている仲間に囲まれていたのかと少し感動していた。


「なんか、個人的な事なのに祝ってもらっちゃって…」


いつものテンションで申し訳ないという気持ちになっていると何か諭すような口調で、


「片霧くんはもっと喜ぶべきだと思うよ」


と言われた。そういえば確かにそうだ。何故自分はこんなにも普通のテンションなのだろうかと逆に疑問に思えてきた。その後すぐに開いている店が見つかったので、そそくさと入店する。居酒屋の中でも比較的賑やかな方の店で、普段は静かなところを選んでいるのでこれも新鮮。間もなく乾杯が始まって、各々好き勝手に料理を注文してゆく。最初に話を振ってきたのは山口君だった。


「片霧さん。やりましたね!いやぁ…自分の事のように嬉しいですわ」


「ありがとう!山口君の方はなんかそういう話は無いの?」


「あ、俺っすか!?俺は今は猫に夢中ですからね」


「ああ、そういえば猫飼ってるんだもんね」


「猫は良いですよ!なにか荒んだ気持ちが癒されてゆく感じで」


この場では触れにくかったけれど山口君は前の彼女と別れてから寂しくなって猫を飼いはじめたという経緯があった。それがどういう気持なのか、ぼんやりとだが想像できるような気がする。


「犬も良いわよ~」


そこで妙に語尾を伸ばして峰さんが入り込んできた。


「あれ、峰さんって犬派だったんですか?」


と田中。ちょうどビールを飲み干したところだった。


「うん。わたし実家だからね、ずっと前から犬と一緒」


なんとなく意外な感じだった。


「みんな意外そうな顔してるけど、犬はね、人間の事を理解しようとしてくれると思うの」


「でも、そういえば美夏さんって従えるタイプなのかもなぁ…」


田中が何気なく言った事なのだが、若干微妙な表現だった。案の定、


「なによそれ!気が強いとでも言いたいの!?」


「え…そういうわけでは…」


ほぼ図星なのだろうけれど、それは決して悪い意味ではないと思った。なんとなく優柔不断になりがちな我々に適切なアドバイスを与えてくれる良き先輩。口が勝手に動いていた、


「あの、先輩には本当に感謝しています。後押しがあったお陰で、行動が出来たというか…」


その言葉にキョトンとした表情になる一同。そしてまた笑みが戻って、


「やっぱり片霧は面白いよ。なんか放っておけないっていうか、応援したくなるんだよなぁ…ふふ」


「片霧くんのそういう所が気に入ってるから、こうやってお祝いしてるんだよ」


「そうなんですか?俺は普通なんですけどね…」


「そう、普通。だけどそれを素直に表現できるっていうのは凄いと思う」


若干お酒が入っている影響もあるのかも知れないが、峰さんはゆっくりと場に居るそれぞれの人間の長所を挙げてゆく。田中については『男らしい所』、山口くんについては『優しい所』。それを語る峰さんを見ていて少し感動してしまった感じなのだが最後に、


「人っていうのは、やっぱり基本的なところは変わらないっていうのかな、三つ子の魂なんちゃらって言葉もあるけど、やっぱり持って生まれたものだと思う。そういう部分に惹かれるっていうのはさ、ある意味で運命的なもののような気がするっていうかね…」


どこか遠い目をして語っているのが印象的だった。芳井さんとはまた別の『大人』という感じの表情。


「運命ですか」


「そう。だから、どうにもならない関係があるって、そう気付いたら…」


その先の言葉を待っていたのだが峰さんはきりっとした表情でこちらに振り向き、


「とにかく、これからの方が大事なんだから、そこんとこ了解するのよ!」


と説教気味に言われてしまった。呆気にとられながらも、


「は…はい」


その説得力のある言葉にしっかり頷いていた。その日は珍しく二次会でカラオケに行く事になった。家で留守番をしているという猫の事が気になっている山口君の姿が印象的だった。

淡く脆い ㉖

6時半から少し遅れて芳井さんの待つ駅に到着した。既に何度か来ているのでだんだん勝手が分ってきているのか、正面出口のすぐ傍で待っていた芳井さんを容易に見つけることが出来た。手を揚げながら、

「ごめん、ちょっと遅れたね」

という言葉を掛けると若干ぎこちない反応で、

「あ、はい。大丈夫です」


と返してくれた。今日の服装はどちらかというと普段着のようで大分寒くなってきたのもあるけれどグレーのパーカーを羽織っている。その時自分の格好を意識して、仕事帰りのスーツ姿でここに来るのは初めてだと思ったりした。芳井さんもそれが気になったのか、


「スーツ姿を見るのは初めてですね。結構イメージが変わりますね」


「そうかな?」


「ええ、結構仕事できそうな感じに見えます」


そう言うと芳井さんは少しほほ笑んだように感じた。このあとに話す内容を考えるとリラックスした状態の方が話し易いだろうと思い自分も芳井さんに倣うように、


「芳井さんのそういう姿も結構いいね」


と褒めるように言うと少し不思議そうに、


「そうですか?ただの部屋着ですよ」


と返された。それを聞いて尤もだと思ったのだが、一方で自分にとっては何かが魅力的に見えた。何故そう思ったのかを考えながら芳井さんに促され歩きはじめる。今日は比較的ゆっくりとしたペースだった。


「今日は無理言っちゃったかな?急に芳井さんの家に行きたいなんて」


「いえ…今日はバイト休みだったんで部屋を綺麗にする時間もあって丁度良かったです」


「そう。でもさ」


続きを言おうとしたところで目の前の信号が赤に変わった。一旦立ち止まって周りを眺める。芳井さんのバイトに行っているコンビニから家がそれほど離れていないだろうという予想だったが、今のところ歩いたことのある道である。芳井さんがバイトしている姿を見ようと夜に歩いた時の事が思い出された。


「でも?」


芳井さんは途切れた言葉の先が気になったようだ。


「女の子が自分の部屋に…ってちょっと思ったりしてね」


場合によってはそう意識する事が変なのかも知れないけれど、時々顔を出す自分の中の常識だった。言葉の意味を確かめるような間があって、


「…気にし過ぎですよ」


と小さく呟いた声が通り過ぎる車の音に混ざって聞こえた。僅かにだが責めるような調子があったと感じたのは気のせいだろうか。信号が青になり、またゆっくり歩き出す。



「こっちです」


七宮公園を過ぎ、コンビニの方向から少し逸れた道に案内される。細い通りで時間帯を考えるとかなり静かである。知らない道に入って、不安にはならないものの段々ドキドキしてくる。


「ここから近いの?」


「ええ、すぐそこです」


と言って彼女が指さすのはそこそこ年季の入っている建物。よく見かけるタイプのアパートで「メゾン〇〇」と書いてあるのが確認できた。2階建てのアパートで部屋が幾つか並んでいるのが分る。


「へぇ、静かだし結構雰囲気がいいね」


静かなところというのは自分的にはポイントが高かった。学生時代に選んだアパートの周辺が少しうるさくてよく後悔していたからである。


「雰囲気は確かに良いですね。なるべく生活感がある所に住みたかったので」


「生活感?」


珍しい理由に思わず訊き返す。


「仕事以外の自分の生活に立ち返り易いようにって…」


「へぇ~」


自然と声が出た。おそらく演技という特別な時間から自分の生活に還るという事なのだろう。そこで芳井さんに促されてアパートの一室に招かれる。


「おじゃまします」


「どうぞ!」


家に帰ってきたからなのか明るい声で迎えてくれた。電気を点けてもらうとリビングの様子がはっきりと分る。思わず部屋を眺めまわしていると、


「本当に何にもないですよ…」


と少し恥ずかしそうに言う芳井さん。何もないとは言うけれど、整理が行き届いていてスッキリした印象だが色んな所に小物が飾ってあったりと綺麗な部屋である。中でも目を惹くのが2台の本棚である。一つには少し難しそうな書籍や小説と思われる文庫本、もう一つにはDVDがびっしり詰まっていた。


「いや…これは凄いよ…」


「いつの間にかこんなになっちゃったんです…」


その困ったような表情を見ていると、何となく事情が分かってくる。


「じゃあ、この辺りに座るね」


白い座卓の周りには3つほど座布団が敷いてあった。腰を降ろして一息つく。芳井さんはその向かいに座る。


「あの、そういえば夕食は済ませてますか?」


「いや、まだだよ。俺はそんなにお腹すいてないし…まず話をしたいかな」


「そうですよね。私も早く話したかったです」


そう言った彼女はこちらの目をじっと見つめている。悪い事をしたわけではないけれど彼女にとっては少し大変な事だっただろうと思って、


「ごめんね。なんか変な事しちゃって…」


という謝罪が口をついて出た。これに芳井さんは少し面喰ったようで、


「え、いえ…そんなつもりはなくって…元はと言えば私がいけなかったというか…」


「戸田くんって言ったよね。俺の方から説明しないといけないんだけど、戸田くんと俺の友達が大学が一緒で知り合いだったらしいんだ」


「あ…そういうことだったんですか。それで…」


明らかに何かを了解したらしい様子である。


「戸田くんがあのコンビニで働いてるって事を知って友達が話しかけたのが始まり。そこで芳井さんに告白しようという意思を伝えられたのを友達からメールで知らされて」


「そうなっちゃったら、気になっちゃいますもんね…」


芳井さんはその時何かを思いだしているように横の方に目をやっていた。


「そうだね。なんかお節介かもしんないんだけど、芳井さんもバイト辞めるだろうし、同性として想いを伝えられないのは後悔する事になるんじゃないかって思って」


「片霧さんらしいですね」


ほほ笑んでくれたけれど、どこか無理をしているようにも見えた。


「戸田くんに会った後、その日御堂さんにもあの甘味処で会ったんだ。芳井さんの家から帰ってくる時に寄ったみたい。御堂さんに芳井さんの気持ちを考えてないって感じの事を言われて、そうだなって思った」



「…戸田さんに伝えられた時、本当にそんな事一度も考えてなかったんです。色んな人を見てきたつもりだったけど、自分に向けられている事って気付けないものなんですね」



「芳井さんの為にって気持ちもあったんだ。うまく言葉では言えないけれどそういう経験って大事だと思うんだ」


「経験…」


「俺が言えたことじゃないのかも知れないけど芳井さんの自信になるのかもって…今考えるととんでもない身勝手な考えなんだけどさ…」


自分で言葉にしているうちに、段々自分がおかしなことをしたのではないかと思われてくる。


「でも、本当に身勝手なのかは分らないと思います。だって片霧さんは自分の為に動いていなかったような気がします。私の事を考えてくれていたのも分りますし…今は特に…」


「今は特に」と言った時にじっとこちらを見つめる目には力が感じられた。


「でも、もう自分では整理できてなかったよ。だって、もし芳井さんが戸田くんの告白を受け入れていたらって殆ど考えて無かったもん。あ…俺、それが聞きたいんだ…」


喋りながら矛盾のようなものを感じた。芳井さんと自分の関係にはどこか確信めいたものがあるのに、一方ではそれが脆いものなのではないかと疑っている自分がいる。もしかしたら、自分の行動は無意識にそれを確かめたかっただけなのかも知れない。そう思うと、何だか自分がただ取り繕っているだけのようにも感じてしまう。



「好きです」



一瞬自分の身に何が起きたのか分らなかった。目の前にいる芳井さんはじっとこちらの目を見てはっきりとそれを言った。恐る恐る彼女に訊ねる。



「そ…それって、戸田くんの事?」



彼女は首を振った。



「私がこんな気持ちだったら、告白なんて受け入れられるわけありませんよ。でも告白された時咄嗟に「好きな人がいるんです」って出てきて。自分でもはっきり言っちゃったから吃驚したんですよ」


そう言う彼女はどこか楽しそうである。だが少しして、


「片霧さんも不安だったかも知れないけど、私だって不安なんですよ。なんで、こんなにはっきり感じているのに確かめられないんですか?」



芳井さんがそれを言った瞬間の事はもう覚えていない。気付いた時には、芳井さんをこの腕に抱きしめていた。しばらくして、



「あ…。ごめんね。急にこんな事して。好きなのはずっとそうなんだよ。でもね、本当に一つだけ…」


「なんですか」


芳井さんは抱擁を受け入れていた。彼女の声は静かで穏やかだった。


「君には後悔してもらいたくないんだ。本当に俺にとって大切な人だから」


「後悔ですか」


同じように穏やかな声。


「じゃあ、後悔させないようにして下さいよ」


それはまるで甘えているよう。


「うん」


そう言って一層強く抱きしめた。
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Author:なんとかさん
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