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ここまで

こうやって日記を続けたいのも本当なのですが、これまでに書いたもので本来は伝えたい事を述べ切っていると思います。ただ、あまり難しくないようにと心がけて日記にする方が伝わりやすくはなっているのでしょう。それでも私にとっては伝えようとする人についてしっかり読んでくれる人がある意味では優先で、この日記を優先するあまり言葉が空疎になってしまうよりは書ききったものが読まれるのを待ちたい、信じたいなという気持ちです。


なのでこの新日記はここまでという事にします。
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伝える試行錯誤

競馬ファンにとっては特別な時間が過ぎ、今更ながらクリスマス気分を
少しでも味わいたいなと思っていたりです。去年の今頃は少し雰囲気を
味わっていたような気がしますが、一年でこうも変わるものかと思った
り。


どう言ったらいいのか分からないのですが話すべきことがあるような気
がしていて、でもそれは言葉で説明すればやたら小難しい話になってし
まうのです。かと言って「こんな感じ」とざっくり言ってしまえば取り
逃されてしまうだろうし、伝えたことにはならないだろうなと。




少し前にも述べていた「そのままを記しておきたい」気持ちと同様に、
何かを書き残しておかなきゃと感じることがあります。それは世の中
を賑わせている事についてというよりも、自分がこの世界で感じてい
る事で、それも日々ちょっとした『感じ方の違い』があるという事な
のですが、それこそかなり昔に述べた


「ナンセンス的」なのか「ナンセンセンス的」なのか「全てには意味
がある」なのか



というような捉え方の違いに関係しているのだと思っています。少なく
とも言えることは、どういう状況にあっても「人生には意味がある」と
解釈して生きようとする部分と、「やっぱり世界は理不尽だ」と投げや
りに考えてしまうところが存在するような気がするのです。後者にとっ
てみれば前者は「必死にそう解釈しようとしているだけ」になりますし、
前者から見れば後者は「諦めるのが早すぎる」というような感じに見え
るのかも知れません。



ただし前者も後者も『意味』という言葉を巡って解釈をしているわけで
あり、ただ感覚的に捉えればどちらでもない、そんな風にも映るんじゃ
ないかと。というわけで『ナンセンセンス』というのは感覚的なものな
のですが、そこでお話が終わりというわけでもないのです。



大事なのは自分の感じ方で、どういう風に生きているかです。そこには
迷いがあり、理屈で考えて動いている時もありますし、それさえ限界を
感じることもあります。その地点でどうするかも何もないのかも知れま
せんが、<なかなか動かない>と感じている自分を動かそうとする別の
自分の存在を感じるわけです。



そこの部分の『エネルギー』としか言いようのないものを、なんとか形
にしたいという気持ちは続いていて、我ながらかなり奥の部分にある『
大切な何か』なんじゃないかと思ってしまうんです。それは作品でどの
くらい伝わるものなのか定かではないですが、短い言葉にはなり難いそ
の何かをどう出していったらいいか試行錯誤が続いています。

準備で

思いのほかキーボードが上達してきてこのまま弾き語れるレベルになれば
なと期待しているのですが、『コード』についてはギターより理解しやす
いなと感じます。結構前に勉強した音楽理論もようやく活きてきたようで
、気持ちも高まってきています。


友人と音楽活動をしてゆくという目標があって、その友人もオリジナル曲
が大方出来たとの事で、二人での活動を『ダケスタリスク』という名前に
しようという話をしていたところから段々具体化してきたような気がしま
す。



良くも悪くも一人では出来ないことですから難しさはありますが、その分
可能な事の幅も格段に増えます。『エネルギー』というしかないような何
かを形にしたいですし、それをぶつけた作品に仕上げれば良いものが出来
上がるという確信はあって、『難しい』事だからこそ如実に現れてくるの
かなと思っています。



まあこういう創作を続けてゆく長期的なエネルギーも必要で、極端な話、
『準備のための準備』くらいの気長さも要求されるのですが、一体いつ
のころからの準備だったのか思い出せないほどかも知れません。



クリスマス気分は正直全然ありませんが、別の意味でテンションが上がっ
ているような気がします。

広い意識

広い意識にとって意味のある事、特別な事に目が向いているような気がします。昨日今日とかではなく、何か特別な事があった日が浮き上がってくるような人生の捉え方というか。


数日の間に特別だと思った事も、長い目で見ればちょっとした事になってしまうのと似た見方ではありますが、過程の隅々までは想起できないものの、大事な事は流れの中に留めていられるような気がします。


そんな意識で過ごしていると「今」どうしたいかがちょっと見えてくるような気がします。やっぱりその意識にとって夢となるような何かをしてみたいですし、そこに向けて「今」この瞬間に選べる最善をしていく方がいいでしょう。



一足ではいけないからこそ気持ちを維持しつつ、場面場面で出来る事をする、という感覚が掴めつつあります。

今から

『自分の能力』を把握していることが時に重要となります。否定的な意味で


「〇〇ができない」


という事として把握しているのも場合によっては把握していることが肯定的
に捉えられることもあります。もちろん普通の意味で、


「〇〇ができる」


という事として把握していれば見通しも立ちますし、目標もそこから自然に
出てくる場合もあると思います。何だかんだで「出来る方」だという評価に
自然になってゆきそうな気配もあるのですが、その一方で苦手というか、疎
かになりがちな面もあり自分としては自信を持ちすぎていないようにした方
が順調に行くという少しばかり微妙な位置にあるような気がします。



もっとも、否定的な捉え方をすればこうやって何かあると一々言葉にして分
析して、考えを改めて何とか適応している状況ともいえますし、実際は常に
何かしていないと不安になってくる性質でもあります。



童顔も影響していますが、昔から他の人から見て「頼りない」感じに映るのが
実は大いに気にしているところで、理想としてはしっかりした人になりたいな
と思います。とは言うものの最近では自分の現状に納得している部分と、


『仮に思っているよりももう少し能力があるのだとしたら…』



と考えた場合に少しばかりまだ何かができるんじゃないかと疑っているという
か、出来ても変じゃないなと思ったりすることがあります。まあほとんどの場
合、自分の知っている人が結構凄かったりするという噂を聞いた事に由来する
だけなんですけど。



そのあたりが微妙なところで、出来るのならサボっているという評価になりそう
ですし、そもそもが自分にとって難しいのならかなり頑張っているという評価で
す。



比べることは無意味なのにという、ある歌の歌詞になんとなく勇気づけられます
。というか、少し前までは比べる以前に特殊すぎる状況になっていたので、比べ
るもなにもなかったのですが、何故か比べてもそれほど違和感のない状況になっ
てきているという事が自分にとって不思議なのかも知れません。場合によっては
その特殊すぎる状況を忘却しても表面的には自然になっていて、自分の意識も都
合よく整理されてしまっている感さえあります。




実際「今」がどうなのかが重要なのですが、自分の場合は「今」に活かせるように
整えてきた環境もあって成り立っている「今」なので、必ずしも「今だけ」の意識
にはなり難いです。




とはいえ『評価とかに流されやすい意識』がそれとして存在しているのは確かなよう
で、時にそういう意識で動いてゆく場合に大事なことを覚えていられるものか、少し
だけ心細さを感じたりもします。それこそ「今」だけで、これまでの過程を忘れてし
まえばもしかすると物足りなさを感じてしまうかもしれません。



悩ましい問題ですがそれをきちんと意識した上で導き出した結論なら、自分としては
納得なんだろうなと思います。
プロフィール

なんとかさん

Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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