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流れ

思考をする。何かをするわけではないけれど思考をする。事実を確信する。
自分の経験に照らし合わせて現実にそうだという事を確認する。


記憶、そして想起というのは事実を『確信』させるものとして必要である。
『確信』によって事実を当たり前のものとして前提するその先に進める。


思弁はその確信を強めるものとして確かに有効である。記憶の中に含まれる
当たり前の事を確認した時の確信と、それに至るまでのプロセスがきちんと
把握されていれば、過去の経験は現在に活かされ続ける。


自分の知らない過去を知ったとしても、それが現実であるという事を確信できる
かというと完全にはそうではない。過去を引き継ぐようにするには『プロセス』
の把握も必要である。それぞれの確信の度合いで、自信をもって行動に移れる
場合とそうでない場合があるが、他者が活動した事に誘発されるように何かに
自信を取り戻して、再び踏み出せる事もある。


思考は、続いているという事によって流れが出来る。その流れの中でなら自然に
浮かぶような事の中に行けるという事が重要なのである。


その確信を伝え残す事。そして流れを肯定し続ける事が出来るのなら、何かが
可能になるのではないだろうか。
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ATJアナザー ⑨

午前が終わってお昼になって、私達は休憩をもらう事になった。体熱ですっかり暑くなってしまった「ケロ子」の頭を取外し、店の奥の部屋でおばあさんにお茶を頂く。

「ご苦労様。大変だったでしょ?」

「いえ、楽しかったですよ」


楽しいと言ったのは本音だった。自分がこの格好をする事で誰かを喜ばせる事が出来る。その実感は、最近の行き詰まりに対して何かの答えになっているようにも思えた。ゆるキャラブームに対して冷めた見方をしていたけれど、見方を少し変えればそれはそのままではこの世界に無い何かをもたらしているという事であり、受け入れる者に対しては別な世界が見えているという事なのではないだろうか。子供はもちろん正体は知っているのだろうけれど素直にその雰囲気に乗ってくれる。想像の世界では私の代わりにそこに「ケロ子」が立っているのだ。


「ほんと、着ぐるみって奥深いですね」


私は思ったままを松木さんに言った。


「着ぐるみ…。そうなんですけど、なんかもっといい表現ありませんかね?」


松木さんは微笑しながら、注文をつけた。ついいつもの癖で私は少し真面目に考え出す。


「うーん…」


その険しい表情を見てか、松木さんは慌てて言う。


「あの…そんなに真剣に考えなくてもいいんですけど」


「あ、ごめんなさい。つい」


苦笑いする彼女はでもどこか嬉しそうである。そのやり取りを聞いていた彩月さんは


「初々しいわね。お二人はいつ知り合ったのかしら?」


と素朴な疑問を口にした。松木さんは答える。


「あ、この前商店街でやった『キャラクター祭り』でです」


「あら、あの時の。じゃあまだ日が浅いのね。でも仲がよさそうね」


言われた私達はお互いに顔を見合わせて「?」を頭に浮かべた。考えてみると仲がいいと言われれば、仲が悪かったらそもそも協力もしていないだろうし、意識はしていなかったが客観的にこれは仲がいいという事になるのだろう。


「そ…」


私が「そうですかね?」と言いかけたときだった。


「そうです。だってNさんって優しいから」


と勢いよく松木さんは答えた。


「ね!」


更に私に同意を求める。本来なら、この元気の良さにクラっと来てもおかしくないのだろうけど、私は『若さって良いな』と思ってしまっていた。そういえば、こういう勢いのある人物を私は一人知っている。未だもって良く掴めていない弟である。学生時代は随分弟に振り回されていたけれど、何故か放っておくことが出来ない奴で、世話を焼いていた事を思い出す。今ではもう一人立ちしてしまっているから私の出る幕はないけれど、松木さんの中にもそういう部分を見て私の「世話焼き」の部分が出ているんだな、と私は人知れず納得していた。


「そうだね。だって、放っておけないオーラが出てるし…」


私はちょっとだけ意地悪をしてみた。


「え?そうですかぁ~?」


松木さんは釈然としない感じだったが、その後ニッコリ笑って、


「そういうところは嫌いじゃないですけどね」


と分るような分らないような事を言った。彩月さんは、


「あらあら、うふふ」


と典型的な反応を示すだけだった。

目標

自分が何をしていたら満足か。


誰かが残したもの、残そうとしたものは多分、そのままずっと続いて
くれるようにと願って残したものだろうと思う。世界は変わるし、
自分も変わるけれど、それでも変わらずに続いて欲しいものを何らかの
カタチで残そうとする。


その誰かがいないからと言って、その誰かが残っていて欲しいと思った
という事実は変わりない。必ずしもそれに応える必要はないが、その
気持ちに無回答でいる事は自分が生きている事の誠実さを裏切る
事になるのかも知れない。


少なくともそれに応えている事は難しいけれど、自分が満足を得られる
としたら、それに誠実に応えている事なのは確かである。難しく
逃げ出したくなるかも知れない。逃げ出しそうになる事もあるだろう。
だがやり遂げる事でしか得られない満足を得たいという気持ちはある。


ある意味で目標は出来ているのだ。行けるところまで行こうという感じ
である。

猫話7

久しぶりに猫話を。


『花』は大分大きくなった。キジトラの『ハッピー』の半分くらいの大きさ
になって、一瞬見分けがつかなくなる程である。猫の成長はよく知っている
つもりだが、背中に乗っかってくる時の重さはより激しくなった自己主張の
ようでもあって、何だか頼もしい。

疑問なのは、何であんな量の餌でこんなに大きくなるのか?という事である。
動き回っているから消費が早いはずで、イメージだと蓄えるのは難しいと思う
のだが、二週間もあれば何パーセントか拡大している。「あんな量」と言った
けれど少ないわけではなく、人間が食べる分量と比べるとそんなに多く感じ
ないのだ。実際分量は足りているからこうしてすくすく成長しているのだろう。


猫も3匹揃うと関係が複雑になってきて、最近では力関係をはっきりさせようと
しているような半分喧嘩、半分じゃれ合いのような行動をお互いにとりあって
いる。寒さも手伝ってか、上の二匹に『おしっこ』を居間の隅っこのところに
する癖がついてしまいそうになっているが、これも縄張り意識のようなものな
のだろうと思われる。流石に迷惑なので、排泄だけはきまったところでして欲しい。


寒空の下に猫を放り出すわけにはいかないので外に出してやる機会は少なく
なっているものの、3匹とも外に出たがるようになっている。今日『ハッピー』
を外に出したら、庭に茶に白が混じった猫がやって来ていて、危うく喧嘩に
なりそうだった。迂闊に外に出せない理由の一つである。『マロン』は夕方に
なると玄関の前で「わん」と鳴き、外に出してくれと訴える。でも出したところで
寒くてすぐに中に入ってくるのが分っているから、何となく面倒くさい。
『花』も外に出ると狭い範囲ながらちょろちょろと動きまわる。外で動くことの
喜びを覚えてしまうと、それ以降外に出る機会を窺うようになる。先ほどの
理由もあって、まだ心配である。

妥当なところ

何にしても生きている実感を味わいたいと昔から思っていた。
要するに、何かを知ったり体験したりして、ここに確かに「ある」
という実感を保っておきたかったのである。

確かに「ある」という感覚から「ある」と判断した思考が展開
してゆき、紛れもなく自分が行っているという感じが欲しかった
のだろう。逆に「無い」という判断は、曖昧な感覚を頼りには
なかなか言い切れない。むしろ「無い」と『決めて』そこから
積極的に推論を開始する事が必要である。


悪魔の証明のように「無い」事を言うのは難しい。むしろ、「無い」
と判断する思考が滞りなく続いている事が「無い」という事の保証
のようなものである。遅かれ早かれ「無い」と確信する時がくる。
それは「無い」ものを「ある」と仮定した思考が、現実にそぐわなく
なってくれば当然そうなのである。


途上では、どちらとも言い切らない曖昧な態度を許容しているように
見えるが、残るべき可能性しか残らないといえばそうだ。



何か一言付け加えるとすれば、問題はその認識を保ってどうすれば
今よりマシになるか考える事だろう。

出来る事から

基本的には今何が出来るか、自分が出来る事の中で考えてゆくしかない。新たな事についても出来るようになる事を目標に、可能な事の中で努力する。

色んな文脈

不正、つまり『ズルい』と感じる事。自己嫌悪もそこからくるものもあるが、
基本的に『ズルい』と思っているのは自分自身で、少なくともその自己嫌悪
の気持ちになりたくないからという動機で何かをしたり、何かを躊躇ったり
するというレベルの行動と判断もある。


自己嫌悪になりたくないからという理由というのなら、自己嫌悪にならない
なら気にならないのか?という事もあるかも知れない。逆に生きるにあたって
おおよそするべきと考えられる事をすると自己嫌悪になるという理由でそれを
怠るという論法が成り立つとすれば、この『ズルい』という感情だけで
判断するのは必ずしも他者から見て良いとは言えない。他者も同じように
『ズルい』という感情で何かを判断する事もあるのだとすれば、自分だけが
不快な思いをしたくない為にする事で、他者にとって良くない事が起るなら
正しくはない。


だが、主にこういう葛藤があるのは社会的な関係の中でである。自己の事だけで
はなく、他者の事も考え、配慮しければ上手く機能しない社会関係で、その
社会関係を維持してゆくために一定の別の観点での思考が必要となる。明らかな
ルールがある社会である。そのルールを守りつつ、その中で各々がやりたい事
を行えるようにすることが必要だろう。むろんルールは絶対というのでもなく、
時に改変もされる。だが、重要な部分は比較的頑丈に保たれるだろう。



公の事は明確に誰もが確認できる『手続き』によって進められてゆく。その手続き
の煩わしさゆえに、手続きをすっ飛ばしてしまう事はやはり不正である。だが手続き
通りにやって生じる不利益は、社会的な次元以前の環境的なものを破壊している恐れが
ある。現社会の為だけでなく、将来に渡って必要とされるであろう環境をなるべく限定
しない意味で良いものに保っておく事は、社会的なレベルというよりも社会が成立する
為の議論として必要だろう。



普通の生活をしている人々の意識は地球環境のような大きな話になってゆくと、
実際の生活の中でそれを関係づけ、社会的な活動に結び付けてゆくようにするには
難しい。どちらにしても環境についてはすぐさま変えられるものではない。この大きな
レベルの事を実現する為に、普段の『ズルい』と感じている事が蔑ろにされるというのは
また違っている。いろいろな文脈が交差して、普段の意識に何かの観念がのぼる。



日常は大事だが、日常を維持してゆく為に必要な事も大事である。何に対して不十分
と感じるのだろう。何かに応えようとすれば、何かが不足するというのは良くある
事だ。責任もそれであり、自分がしておくべきだと感じている事で不十分と感じている
事を可能な範囲で続けるしか無いのは分っている。肝心なのは、『何が足りないのか』
自分で探し出す事だろう。良くも悪くも、比較的大きなテーマを抱えているのは間違い
なく、抱えたら抱えたで、それに対して応えようとする気持ちは続くだろうし、それこそ
可能な範囲で、多分何かをするのだ。それは日常に持っていってしまえば場違いだが、
それなりの場所ではそれなりに有効な議論なのかも知れない。

何だ乱打

ワンダーランドと呼んでしまうほどワンダーな事はないのは重々承知だけれど、何だ乱打くらいは出来るじゃないか。わさびをつけて食べる寿司よりも、サビ抜きの歌を乱調気味に演奏していた方がやんごとない感じがする。つまりはフリスビーである。僕の目が捕えて離そうとしないものは、円盤型のフリスビーなのである。


去年よりももっと昔に違いない、10年くらい前の事。僕はまだ幼い子供のふりをしている餓鬼だった。若干精神年齢は高めで、幼い子供のふりをしていた方が都合が良いという事に気付いてそうしていたのだが、それが案外面倒くさいという事に気付くにはもう少し時間が必要だった頃なのだが、僕が何気なく外で遊んでいると筋肉が沢山ついた餡団子のような体型の人が僕を熱心に見つめている事に気付いた。僕を見つめていると思ったら、僕の持っている円盤型のシルバーのフリスビーに興味を示しているらしく、我ながら察しの良かった僕はその人に目配せして、

「そらー」

とフリスビーをその人の方に向けて飛ばした。その人はフリスビーをキャッチすると嬉しそうに抱えて一目散に走ってどこかに行ってしまった。それきり、そのフリスビーを目にする事がなかったのである。


だが、今この瞬間、ジャンクばかりが飾ってあるリサイクルショップで僕が目にしているものは、その時と同じ円盤型のフリスビーである。僕は店のオヤジに訊ねた。

「このフリスビーは?」

「フリスビーだよ」

「いや、まあそうだけど、このフリスビーっていつ頃から置いてあるんですか?」

「さあね…知らないな。なんせこの店管理が行き届いていないし、何あるか把握してないから」

「店の人がそんなんで良いんですか?」

「だって私は雇われ店長だから」

「そう…」

知らなくていい事情を知って、肝心の情報が何も得られていない事に憤怒しそうになった。なったけれども、そこはぐっと堪えて、少し別の角度から攻めてみることにした。

「このフリスビーって値打ちがあるんですか?」

「札見れば分るでしょ?」

「あ、確かに貼ってあった」


貼ってあったのは『80円』という値札だった。普通だったら、別に特注でも何でもない大量生産された内の一つでしかない銀の円盤であり、僕が持っていたのとは違う物になると思うだろう。けれど僕には妙な既視感があったのである。使用されたものにはその跡がある。微妙なところにある目立たない微かな傷跡は、もしかしたら僕が遊んでいたものではないかと思わせるには十分だった。


「僕のではない。でも僕のである可能性が僅かにないともいえない…」

「お客さん。自分で売ったの覚えてないの?」

「え?」

「売ったんじゃないの?」


確かに店主からすれば、僕が以前売りに来てボケているというストーリーが自然に思えるのかも知れない。

「売ってません。でも売られたかも知れないんです」

「奥さんか誰かに?」

「いえ、あんな人は僕の奥さんではありません」

「???」

微妙に話がかみ合っていないが、訂正するのも面倒だ。


「まあ、色々あるんですよ」


総合的な判断でお茶を濁す事にした。

「そうですか」


店主との会話よりも僕はこのフリスビーを買うべきかどうかかなり悩み始めた。僕は同時に二通りの可能性を考えている。


①このフリスビーは僕が遊んでいたもので、盗人に盗まれて、時が経って売られて目の前にある

②このフリスビーはどこぞの誰かが何らかの目的をもって購入し、使用し、しかるのちにリサイクルに持ってこられて、80円未満の値段で売却され、今単なる80円の品となっている。


凡そそれくらいの思考で十分なのだが、何故だか想像力が豊かになってしまっていたこの時の僕はまったく違う斬新な解釈もあって良いのではないかと思った。


③このフリスビーはさる貴婦人が、召使に『俗っぽい遊びとは何でしょうか?』と問うて、ある召使が『僭越ながらフリスビーという円盤を使ったスポーツなどは如何でしょう』と返した結果、貴婦人が興味を示し、『では買って来て下さらない?』と別の召使に命じて、日も暮れようとしている頃に10キロもの距離を走らせて無理やり買いに行って手に入れたものの、実物を見て見るとそれほど興が乗らずに、雑に遊んで数日で飽きて売却したものではないか?



いやいやもしかしたら…なんてことを考えるおつむリソースが段々勿体なくなってきたので、僕は80円で①の可能性を得られるなら安いものだと思って、手に取る事に決めた。


と、その瞬間、ワンダーランド的な事が実際に起こったのである。僕が手に取ろうとした瞬間無防備だった横から筋肉質の腕が伸びて、それを掻っ攫って行ったのである。一瞬何が起こったのか掴めなかった僕は、思考停止してしまい、その間にもその筋肉質の腕をした人はレジに向かう。そしてこんな事を言う。


「ああ、やっぱりあった。おかんがこの前勝手に売ったっていったからここだと思ったよ」

「80円になります」

「はい」

「ありがとうございました。袋に…」

「このままでいいや。じゃあ」


その筋肉質の腕にも僕は既視感があった。というか、もしかしなくてもあの時僕のフリスビーをパクった野郎だ。そう思うが、動揺していてなかなか身体が動かない。というよりも、いろいろ何だかつっこみどころがあって…



気付いた時には僕は店の中で気持ち悪い脱力した薄笑いをしていたのである。そして一言つぶやいた。

「管理くらいしっかりしろよ」

「そうっすね」

雇われ店長に誤解されたのもどうでも良くなった。

分かり合えない

永遠に分かり合えない差異という意味で、永遠はあるかも知れない。もっともその差異のある個物が永遠にそのままというのではない。その瞬間瞬間がそれでも非常にながい了解の時間を要する。

自発

自然に学んでゆく事もあるが、何か新しい事を自ら選んで、知りたいと思った事を知る方向に自らを動かす事も不可能ではないはずである。

逆に自分の意思を無視して機械的に振舞っているだけでは、自分を見失ってしまうかも知れない。
プロフィール

なんとかさん

Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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