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ただ

純粋に自分がそれが良いと思うからという理由で出来る事を続ける事を望んでいるし、それが出来ていれば自分は本望だろう。
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それこそなんで

「心」という作用というよりはその色々な気持ち感情の「中心」のようなものが何処にあるのかよく分からない感じになる。

「中心」で、自分の心の大切な部分で、何かを語り出せないような、そんな憤りのようなものを感じる。


大切な部分は、「なんとも言えず」といった具合だ。


何かを完全に「真」だと判断して既に動いているところ、本当の部分が、強く動き出すという程ではないという感じだろうか。実際、その部分は大切である。

意味付け

『ゆるやかな気持ちで』という、ゆるやかな見方での『意味付け』はその見方が
自然にできる時とそうでないときがある。そもそも弛緩した状態だけでは生きて
ゆく事はできないだろう。とは言え、そういう風に見ていたい時間はある筈であ
る。


『その世界観に、その雰囲気に浸っていたい』



おそらくそれは間違いではない。ただ常にではない。それでも肝心なのは、その
見方で『意味づけられる』事の中にいて(プロセスを続け)、その世界観で素直
に見続け『語る』事である。主体が語る事によってしか伝えられないような見方
がある。


その『世界観』自体は一つの『夢』なのかも知れない。厳密に言えば、その世界観
で見られるようになる毎日が、『夢』といえるのかも知れないという事である。
現実逃避でも何でもなく、目指すべきところとして。

伝えること

始まりもあり終わりもあるような継続中の行為、動作について、何らかのプロセス
として捉えるとすると、「~であるようなプロセス」として表現する事ができる。

人の想いの中には何かを『夢』としてそこに向かう、それを実現したいというような
ものがある。それが実現するように思考したり何かを実行したりするかどうかは
その時々だが、実際に実行され始めたり、思考として目指すべきところがある程度
はっきりしている時、伝える事を目的としている思考のプロセスだけではなく、
「それ」に向けて何かを実行し実現してゆく「過程」そのものをプロセスとして
捉えるならば、己を位置づけたり、己の状態を説明するにあたって、


「~であるようなプロセス」


にある、いると表現する事もできるかも知れない。現実的にはその「プロセス」を
続けようと、その思考なり行為の続きをその都度し始めようとしても、何か障害
なり事情があって出来ないことがある。そして何より、それを一時の休みもなく
続ける事は一般には困難なのである。生物としての限界もあるだろう。



中断しながらも再開されるような「プロセス」をもプロセスと呼んで良いならば、
同一、というよりは同じく「それ」と呼べるような何かの「流れ」の中に自分が
あると感じる事もあるかも知れない。常に絶え間なく流れているわけでも、流れ
が物理現象として確認できるというわけではないかも知れないのだが、「プロセス」
という捉え方をしている者にとっては、「それ」を「同定」出来るかも知れない。



ただ、同じ「それ」が再開していると捉えられるかどうかは人それぞれである。
緩く捉えれば「それ」のようなものが違うところから起こっているともいえるし、
厳密に捉えれば物理的過程は途絶えれば、再開しても違うものである。



それでも言語で表現され、「~であるようなプロセス」とはっきりと規定できる
プロセスについては、同じものとして捉える視点はあるかも知れない。

さき

私が感覚的に把握しているものを私自身にしっかり説明できるとは限らない。つまり説明できない事として何かをそれなりに掴んでいるのかも知れない。思考はそういう内容を明確化させる。そういうものをはっきり知る時、私は変わるとも言える。

距離感

『他者』と一括りにしているものは、自分が『他者』という言葉でどういう認識
をしているかによって大分違ってくる。


『他者』との距離感というのは、例えば根の部分で共通しているとかだったら近い
だろうというような判断で、近さ遠さを判断しているかも知れない。明らかに『自分』
とは違うものを『他者』とよび、それがしかも人間ですらないようなものは、
差異として了解可能な間柄には無い。


親身になったり、共感があるような人は、『自分』と『他者』の『間』にあるという
表現は有効だろうか?それとも単純にそれは『他者』ではないと言うべきだろうか?

自分の事を考える

自分の事を考えない瞬間はあるだろう。たがそれがずっと続くというわけではない。
「自分」を考慮に入れない思考は、世界の全てを捉えているわけではないし、
「自分」が「無」であるならば同じなのだが、「自分」というのはどう考えても
あるし、自分が含まれていないような世界を考えたとしても不完全である。


「自分」が傍観者として存在するようには出来るが、それでも世界というのは
どうあっても「自分」が何かの影響を与えてしまう。というより「自分」の
影響があって世界の姿と言える。何かと比較してどんなにその「自分」の
影響が小さく見えても、無いわけではない。

白い猫

一般的に『不思議な事』というのは『偶然』という概念に関係しているように思う。偶々、何か珍しい事が続いた時に、何かそこに『意図』のようなものを感じたりするが、そういう『意図』があると仮定してしまうと他の事が上手く説明出来なくなる為に、深く考える事ができないような。尤も、本当にSF的な事があったとしたら、文句なく『不思議』と言えるわけだけど、現実に起こる『不思議』というのは概ね何かの理論で説明されてしまったり、科学的に解明されて何の『不思議』も無くなってしまうような事も多い。


大体の事は『偶然』と言って良いのだろう。そして運命的な事は、何というかよくよく考えてみると必然性とか、自分の好みとか性格とかを考えてみるとかなり高い割合で起こる可能性があったと言えるのかも知れない。こんな事を考えるのは、私が『白い猫』を好んでいるという事によって起り易かった事象が確かにあっただろうと振り返りたくなっているからである。



話はあの『店』を訪れた日の帰りだった。『白い猫の置物』を持ち帰る事になって、店主の話がちょっと頭にチラついて、


<これから普段と何かが変わってくるのだろうか?>


と期待半分不安半分で道を歩いていたのだが、特にこれといって何かが変わるというわけでもなく、あまりにも平常通りで新しい発見もなかったし、それどころか駅で電車を待っている間にかかってきた仕事の電話がなんというか休日の気分を奪ってしまい、余計な事を考えられなくさせてしまった。



電車の移動も僅かに一駅で、何か情緒を感じるというわけでもない。そうこうしているうちに家に着いて、一息ついた後、「昼食」を用意しなければならないと思って冷蔵庫を開けたら、大したものが入って無くて効率が悪いのだが買い出しに行かないといけない事に気付いた。ただまた出掛けるのも大変だからコンビニの弁当で済ませるのも一つの手かなと思ったのだが、どちらにせよ車で移動した方が良い。田舎ゆえ、ちょっとばかし距離があるのである。


『店』に行くのにどうして電車を利用したのか疑問に思われるかも知れないが、商店街は駐車スペースが無いところが多く、またちょっとだけ歩きたいという気分もあったのだが、普通の移動はやはり車でないと不便である。


<でも面倒くさいから、昼食は抜きで良いかな…>


少し物を買ってしまったし節約というわけではないが、食べなくてもいい気分でもあった。どっちにするかはっきりしないまま『借りて』きた『白い猫の置物』をおく場所を考えながら部屋をうろうろする。


<やっぱり借り物だしガラス戸の中にしまうのが良いよな…>



置物を決めた場所にしまった丁度、その時だった。私はちょっとした違和感を覚えた。何処からか動物、猫と思われる鳴き声がするのである。


「まさか、この置物?」


勿論そんなファンタジックな事ではなかった。猫の鳴き声は明らかに家の外からしている。猫の鳴き声は何か助けを求めるように必死で、私は咄嗟に道路に面した窓の方に向かう。


「あ、あれ!!!」


驚くべきことに、猫がしかも白い小さな猫が道路の向こう側の歩道に立って必死に鳴いているのである。猫は見るからにフラフラで、何処からか彷徨ってきたものに思えた。考えたくはないが、何処かで捨てられてここまで必死に歩いてきたのだろう。


考えている暇はなかった。そのまま放っておいたらどうなるかは明らかな事だった。私はとにかくその猫を保護することにした。向こう側に行って必死の思いで鳴いている猫をタオルで包んで抱きかかえる。そしてそのまま家の中に戻る。幸い実家の方で猫の面倒を見ていたことがあるから何となくすべきことは分っていた。痩せ細っているので先ずは食事である。見たところ離乳はしているくらいの大きさだったから、柔らかい離乳食が最適だと判断する。


倉庫からダンボールを取り出して、そこにタオルを敷いて猫を中に入れる。家の中にあるもので食べられそうなものはないが、適当な容器に水を入れて飲ませる。猫を一匹にしておくのは不安だったが、近くのスーパーまで車を走らせればそんなに時間は掛からないだろうと判断し、取り敢えず必要な物をメモして出掛ける事にする。



☆☆☆☆☆



と、こんな具合に猫の世話をしているとすっかり時間は過ぎて行ってしまった。猫が落ち着いて眠りはじめたところで、私は「ふー」っと一息をついた。急いでいたためスーパーに行ったのに食料の買い出しをしてこなかった。だから今度は自分の為に移動をしなければならなかった。



結局慌ただしくなってしまったその日、『白い猫の置物』の事はすっかり忘れ去っていた。本物の猫の方に集中しなければならなかったのもあって、一週間くらいはそのままにしていたので、『白い猫の置物』について店主の言った事を忘れてしまっていた。ただ猫の為に必要な物を揃えようと思った時に、『店』の事を思い出し、


<あそこならちょっとお洒落な皿とかあるかも>


と思って休日にまた店に行く事にした際、何というか、


<そう言えば、これも『白い猫』だよな>


と考え始めたのである。私はもともと『白い猫』が好きだったのだと考えれば、それほど不思議な事ではなく、『偶然』の範囲で説明出来る事である。ただ、確かに『白い猫の置物』が幸せを運んできたと考えれば、何となく良い話のようにも思えた。



家にきた本物の白い猫は「そら」と命名された。

主体

何かに意味を感じ、意味があると思いその解釈で物事を見、語る「私」がある。そう語り続けられる限り「私」は続いていて、意味づける「主体」が存在し続けていると言える。

そらまちたび ⑤

記憶を受け継ぐということは出来ない。事実として記録されたものを見たり読んだり、人から聞いたりする事によって、どれほどの事が伝えられてゆくのだろう。完全にではなく、常に不完全に。でもだからこそ、大切な何かだけは…


[図書館]


「君はここよりずっと都会から来た人だろうから、この町の規模というのかこの町らしさを知るために手っ取り早く『図書館』に行ってみるのがいいと思う」


「『図書館』ですか?」


僕の知っている図書館は普通の町になら必ず一つや二つ、場合によってはもっと多くあるというイメージである。僕もそこまで利用するというわけではないが、学生時代は調べものする時とか、静かなところで勉強したい時などはそこそこ利用していた記憶がある。多分、片山さんはこの町の図書館にしかないような特別な資料を見せて僕に何かを伝えたいのかも知れない。そういう考えがあったのですんなり提案を受け入れる。


「分りました行ってみましょう。『図書館』はここからだとどれ位ですか?」


「周る順番は良くなかったかも知れないんだけれど、『図書館』は商店街の方にあって、まあでも車だと5、6分で着くよ」


お寺から比較的賑わっていて車通りも多い道に入るところで「スーパー」が見える。この辺りは商店街というわけでは無さそうで、中型の商業施設を多く見かける。


「気付いたかも知れないけど、この町は明らかにこちらの方が車通りが多い。もうちょっとむこうが高速道路の出入り口という事もあるかな」


「この条件だと観光バスとかも多いかもしれないですね」


「まあ、今の季節じゃ殆ど無いに等しいけれど」


片山さんは「ふふ」っと笑った。なんだか僕が季節外れにやって来てしまったみたいで少し恥ずかしくなったが、だからこそ片山さんが僕に興味を持ってくれたというのもあるのでなんとも微妙である。


「風情があって良い処だと思うので、何かイベントのようなものがあれば人は集まると思います」


「それは一つの希望だね」


会話をしているうちに、再び商店街の方に戻ってきた。歩いている時にはそんなに意識しなかったのだが、車で通るとこの通りは少し狭く感じる。


「ここの弱点を指摘すると…」


片山さんはひっそり独り言のように言った。


「駐車場がほとんどないという事かな…」


「あ、そういえば…」


もともと歩行者が通り易いように商店街を作ったのか、それともただそうなってしまったのか、よく分からないが、車でやってきた人が商店街で買い物をしようと思ったら少し不便なのは確かだった。


「雰囲気は良いと思うんですけどね…」


フォローになっているのかよく分からない。車は信号で一旦停止した後、先ほど寄った老舗の和菓子店のところを左に曲がり、その道路よりももっと狭い結構急な坂を登りはじめた。


「すぐそこが図書館だよ」


「あ、あれですか?」


僕は正直に言うと、こんな所に図書館があるとは思っていなかった。しかも、『図書館』らしい『図書館』ではないようにも見えた。なんというか『事務所』みたいな。そう言ったら片山さんは苦笑した。


「私が言いたかったのは『図書館』の規模を見れば、大体その町の規模も分るんじゃないかって事なんだよね」


今の発言は、この町に住んでいる一人である片山さんにとっては「自虐」も少し入っているようにも聞こえるのだが、僕もそれに対しては苦笑いしかできない。


「でもまあ批判しようというわけではないんだ。その何というか、本が好きな人にとってはちょっとだけ物足りないという気がするというくらいのニュアンスだね」


その発言は実際に中に入ってみた時に実感された。好意的に解釈すればコンパクト、少し批判的な目で眺めればちょっと微妙。地域資料の閲覧室がちょっとだけ暗いような気がするし、資料を見る為にちょっとばかり手間があって、片山さん曰く「借りる事の出来る資料も少ない」のだそうである。ライターをやっている人だから資料は必要で、大体の場合は自分でネット通販で購入するのだそうである。



「以前ある小学校の図書室を見学したけど、何というか本好きとしては残念に感じたかな」



「それは結構、切実ですね。僕はあたりまえの様に資料は揃えられる環境にあったので、住んでみたらちょっと不便に感じるかも知れません」



ちなみに平日のお昼時だったからか、館内にいたのはお年寄りの人と幼い子供とその母親と思われる人で、小規模ながらも子供用に仕切られているスペースで母親が子供と一緒に絵本を選んでいたのを見て、なんとなくホッとした。一緒に見ていた片山さんが、


「色々言ったかもしれないけど…」


とことわった上で、


「地域にとっては『図書館』というのは大切な場所だと思うんだよ。確かにここは必要とされ、本や情報を提供している。新刊なんて結構揃えてくれるしね」


「なんとなく分ります」


図書館ではこの町についての資料を少しばかり読んだ。片山さんが資料慣れしているから、短時間でも気になる情報を見つける事ができた。
プロフィール

なんとかさん

Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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