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とどめておく

確かに分っていること、いつもと同じ調子で言えること。確かにありそうだと思っている
もの。


言い過ぎるという事をしないという事は、それだけ沈黙に近づいてゆく。けれど、それだけ
で十分に「誠実か?」と言われると難しい。『本当かどうか分からないけれど』と前置きし
た上で、言えそうな事を言い続けるのも悪くない。それが真剣であればあるほどに、なお。
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確かな

何から始めても野暮になってしまう。僕の気持ちの殆どは野暮ったいものばかりである。


何を伝えればいいのかそれすら分からない。気付かないでいるほど愚かじゃない。それで
いてまるで近くを通り抜けてゆく温かいものに触れるようにして、何かを感じて、そして
自分の一歩を決めるような、そんな日々。日常。



欠けてはいけない何かが欠けても、人はそれでも生きてゆく。今の自分には何かが無いと
知りつつも、それが無ければ無いなりに、精一杯動き回っている。それは何と呼ばれるだ
ろう。


自分を納得させにゆくわけではない。それでもいつかは納得し、変わってゆくのだろう。



せめてそれまでは、僕でいさせてほしい。野暮ったい僕で。





建前ほど立派なものだけではない世界。けれど、確かにそれを本当だと思って生きている
ところがあるのだとしたら、思いたいのだとしたら、その分だけ真正なのだろう。



つまらないことを言ってもしょうがない。分っている事は多分もっと、まっすぐなものだから。
今はそれを信じたい。何もなかったからこそ、それだけが見えたのではないだろうか。

言い過ぎず、それでいて

つまりそれはどうとでも取れるようなもの。ただ今の自分が自然に、あるいは
違和感なく出来る事。


『続く』というのは、『続ける』という意思の問題ではなくなってくる。何にも
無理をすることなく、ただ続くところまで続くだろうと判断している。そういう
ものに従って、というよりそういうものが続くままに任せていたとして、一体
どうなるのだろう?

判断の

もし私に他者との差異があるとすれば、ある事について

「ない」

という風に前提することができないという事である。ただ「ない」場合を
思考することはできる。といっても全体として、「あるかも知れない」と
思うという状態になっているので、そこが差異のある地点である。



そういう差異は見る人によってはあとで大きくなってゆくと感じられるが、
そもそも自分の中では判断における大きな差異として最初から認識されて
いる。

どっちつかず

いろいろ考えてみたのだが、どうあっても自分の経験、体験しているところが
基準になるわけで、ある事については「どっちつかず」という状態になるしか
ないし、それがとても自然なところだという事が分る。

素直な強がり

強がりなところがある自分。だけどそれは素直な気持ちでそうしたいのだ。



外は空を白く厚い雲が覆っている。煙のようにも見える。静かでも時々聞こ
える通り過ぎる車の音や、規則正しく動く時計の音。見ようとすれば感じよ
うとすれば、決して何もないわけではない。



「本当の気持ち」。ただそれだけが自分を動かす。そしてその自分が動いて
いる。甘い眠りに浸っていたい気持ちも当然あるけど、それ以上に、今は
強がっていたいのだろう。多分、その「現実で強がっている自分」で何が
出来るのかを知りたいのだ。



その自分が辿り着くところに行ってみたい。

本物になり始める

惹かれているのは確かだし、そんな世界はきっとあるように思う。だから動き出せるのだろう。

そんな事しか言えない。でもそれは言えた。自分の中でそれは本物になってゆくように思える。だからきっとまだ進めるのである。

新たな

強がってはいるがそれほど強く何かを求められるところにはないのかも知れない。それは悲観的というよりも確かに今この状況を見て行った時に感じられる。でもそれでもなお何か意味を見出すとすればそれは何なのだろう。

意味は感じられない事もあるがとにかく何かやり続けるしかないだろう。「何の意味があるか」とか、というとただ届きそうなところに手を伸ばすという事だろう。


もう一度、ただ何かがあるように動きたい。ただそこに何かがあると思って進むという事。それを望んでいるのは本当の事だ。


静寂なこの空間で、分からないけど分かるような気がするフレーズを確かめる。いつかよりは受け入れられるようになった自分は、どのくらい進んでこれただろうか?


静かだけれどここにも動きはある。本当にただ、自分の中にあるものを信じて少し踏み出してみたい。

ある意味では要らない

差異は感覚している。


「普通」と「それ」との差異は感覚できている。「普通」から「それ」への
道を構成してしまえば、「それ」は感じ取る事が出来る。差異の道とでも
言おうか。感覚的には「それではないもの」を与えつつ、「それ」に近づい
てゆくような文章を与える事。


それ自体は「思考」のように見える。だが思考は「それではない」というものを
構成してゆく事に費やされるだろう。実際、「それではない」なにかを通して
説明するという事は決まっているから、思考自体は既に終わっている。



と言っても、すぐさま何とかなるようなものではない。ただ「それ」は要らない
ような気がする。普通の感覚に戻った時にいらなくなるようなものなのだ。

表現の向こう

意味は表現を超えているだろうか?普通言葉によって把握しているところまでしか理解はしていない。だが言葉では表現できないが何事かを把握している事もある。

表現できないのは単にそれを一息で説明することが困難だからという事がある。表現したものと表現しようとするものの差異を漠然と感じている。


何を伝えようとしているか?


それについては伝えられたものでは不十分である。「意味」ではないけれど、その伝えようとするものを知っている場合、表現されたものから受け取れる意味を超えて伝えたいものがある。もしそれがいつか言葉で言い表す事が出来るならば意味は表現を超えているという言表もナンセンスではない。
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Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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