OK…ほぼ
感覚的に掴んでいると言えばそうだと思う。どういう風に云えば良いのか
分らないけど、もうそろそろいい感じ。
感覚的に掴んでいると言えばそうだと思う。どういう風に云えば良いのか
分らないけど、もうそろそろいい感じ。
分らない事だらけ、結局ブレまくりというか人の意見に左右されてばかり。
それを自覚する事からと既に分りきっているけれど、だからといってどう
しようという感覚はあんまりなくて、そうなると何か不確かなものにも
在ると認めなきゃいけないのかもと思ったりする。
ってね。
母の事もあってリリアンは少しばかり柄にもなく悩むようになっていた。理解者である家族であったとしても、というか予感はしていたけれど実際に自分が受け入れられる事をそのまま受け入れられるわけでもないとするなら、どうしても自分がこうしている事は本当にこれでいいのか、という事に対して迷いが生じてしまう。ある意味でジェシカの身に起こった事については個人個人でどう受け止めるかである。ぼんやりとしたままで何となく受け入れるのが一番穏当かも知れないが、やはり見る人が見たらショックというのか、戸惑ってしまう事なのだ。
そう思いつつもジェシカを見ていると、<これでいいのだ>というかなりはっきりとした自信があるのも確かである。リリアンはそれでも「シェリー」にメールをしたい気持ちになる。彼女は戸惑いながらもちゃんと受け入れてくれた。
「京子なら何ていうのかな…」
けれど一方でそれは自身の問題でもあるような気もしたリリアン。どうしたら良いのだろう。そう思いつつも、丁度年末に向けて仕事の方が忙しくなってきた頃で何となく連絡できずにいた。ジェシカは溜息を付く回数の増えてきたそんなリリアンを見ていて、必ずしも彼女の悩みが全て分かるというわけではないけれど、自分の事が何か関係しているように直感していた。
「ねぇ、ご主人さま」
リリアンと部屋で寛いでいる時、ジェシカは自然とリリアンに話しかけていた。
「どうしたの?ジェシカ」
「うん。その何て言ったらいいのか分からないけど、俺も頑張るっていうか、その…」
と言ってもどうしたらいいのかが分っているわけではないから、どうしても足りなくなってしまう。リリアンは一瞬首を傾げたが、少しづつ何かに気付いてゆくように見えた。
「もしかして心配してくれてるの?ジェシカ」
「心配…あ、そう。心配してる」
するとリリアンは目を細め、穏やかに嬉しそうに笑った。
「ありがとう。ジェシカ。大丈夫よ、ジェシカが居るから」
「俺が居るから?」
リリアンはジェシカに優しく語りかける。
「そう。あなたが居るから、私は平気。それにね」
「それに?」
「私は何とかなると思ってるのよ。だって、私のお母さんだから」
ジェシカは黙ってそれを聞いていた。ジェシカは何か心が温かくなるような気持ちになったが、何となく羨ましいなと思いもした。ジェシカも「お母さん」というのは何となく覚えているような気がする。だがそれは遠い昔の事で、確認が出来ないような事だという事も知っている。そして「お母さん」というのはなにか「ご主人さま」という響きに似ているようにも思えるのである。
「ご主人さま…」
「なあに、ジェシカ?」
「明日、また散歩しようよ。いつもの公園」
丁度リリアンは次の日は休みだった。
「ジェシカあの公園好きね」
「なんだか、あそこに行くと落ち着くんだ」
「そうなんだ。何でだろうね?」
「うーん…」
その時、リリアンのスマホにメールの着信があった。送り主は「立華京子」とあって、
『最近何かあった?っていうかジェシカ成分が足りないから写真とか送りなさいよ!!』
という文面。これで殆どの心配は吹き飛んでしまった。一方でこのメールで別の心配というか危惧が出てきたのも確かである。
「だんだん京子の要求が率直になってきたような気がするわ」
「?」
友人の別の人格が現れているかのようなジェシカに対するあからさまな欲求は、それでそれでどうかと思った。
あまりこういう事も書いていなかったのですが、トップページの拍手数が100をカウント
しました。気にしないようにと努めつつ、気にはなっていたのですがやはり嬉しいものです。
読者が喜ぶものを書けたらプロというのか、一つの達成なのですがナンセンス物語の、具体
的には「徒然ファンタジー」の続きを書いた方が良い気がするのも確かです。個人的には
「そらまちたび」もじっくり見据えて完成させたいのですが、こちらは現実の体験がベース
になっているのである程度時間が掛かります。そして、「境界の店」シリーズの方もじわじ
わと展開させていきたいと思います。
当初書いていたような短編の「ナンセンス物語」についてはテンションが上がり次第、即興
的に出来る事もあるかも知れません。
じゃあその先にどうするのって、思ったら。
また普通に戻るのかって、そりゃあそうなんだろう。道は続いている。
でも、時々はあるって思いながら歌を唄ったりするのも、悪くはないでしょ?
讃美歌を。アンセムを。
そうするのは辛いけれど、そうした方が良いという事についてはそちらの方に進むと
選択する。自分がそうした方が良いと思うし、他の人も良いと思うだろうという方向
にである。
迷うという事はどうしようもないと言える。迷いがなくなるという事を期待しても
無理だと言えば無理である。
実際上、これから経験する(であろう)事に対して、(思考の)整理は部分的な効果しか
もたらさない。具体的にいえば、迷いが少なくなるという事である。
すべては残せるわけではない。けれど残っているものはある。
私がどう感じているのかそれが分っている。じゃあその向こうに意味あることが
待っていると思っていいのだろうか。確かに、いやそんなに確かでもないけれど
多分、そうなのだろうと感じている。
感じていると思っているの、その奇妙な配合が自分本来の何かなのだろう。