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ステテコ・カウボーイ ⑥

早川さんは漫画家だけれどそれは常に人と関わる仕事ではない。家に居て黙々と作業している事が多い必然として誰かと会っているという場面もとんと目にしない。唯一の例外で編集者で早川さんのペンネームである『可換環』の担当である吉河を名乗る女性が時々家に上がる事があるけれど、彼女には僕の事は何となく知らせていたらしく初対面で、


「アシスタント見習いの人ですよね、お話は伺ってます」


と言われた時は、<あ、話を合わせた方がいいんだな>と思ってそれらしい感じで自己紹介しておいた。予想外でドギマギしてしまったのがその編集者がかなり若く見え、しかも自分好みの優しそうな女性だった事である。ダメ人間を自認しているわけではないけれどダメなのは自覚しているからそこを指摘するような世間の厳しい言葉に腐りそうになるけれど、この吉河さんは全てを包み込むような聖母のようなほほ笑みを自分にさえ向けてくれるので癒される反面、危険だなとも思っている。なぜ危険なのかと言うと、そこに安住して勘違いしてしまいそうになるからである。そもそも『アシスタント見習い』という肩書ですらないし、正真正銘の無職で申し訳程度に家事や雑用しているようなものだ。


「こんにちは、今日は先生どうですか?」


今月も締切が近づいた頃に早川さん宅を訪れた吉河さん。育ちが良いのかマナーがしっかりしているのかよく磨かれた革靴を綺麗に玄関で整え落ち着いた様子で一礼してから廊下に上がる仕草は自分と同じ世界の住人ではないかのよう。


「はい。早川さ…先生は今仕上げの段階だそうで今も仕事部屋です」


「では、一段落するまで中で待たせていただいてもよろしいでしょうか?」


「ええ、大丈夫だと思います」


「では失礼します」


黒いビジネススーツで後ろ髪を一つにまとめているといういかにも編集者らしいスタイルは今日も相変わらず。居間に腰掛けた姿を見て<これは自分の仕事の筈だ>と言い聞かせるようにお湯を沸かせる。


「コーヒーがいいですか?それともお茶にしましょうか?」


声量に気を付けながらキッチンから声を掛けると、


「ではコーヒーをお願いできますか」


と返ってきたので腕の見せ所だなと思って散々早川さんに仕込まれた通りに豆を電動ミルで挽いてコーヒーを淹れる。『先生』の仕事場にも持っていった方がいいだろうなと思い余分に作っておいた。


「はい、どうぞ」


「あ、ありがとうございます。いつも美味しいコーヒーをありがとうございます」


お礼を言われる程の事ではないのだがいつも出されたコーヒーをしっかり飲んでくれるあたり、意外と気に入ってくれているのかも知れない。早川さんにコーヒーを持ってゆくと、


「ああ、ありがとう。お客さんは吉河さんでしょう?」


と訊ねられたので、


「そうです。今待ってもらってます」


とまるでそれなりにしっかり取り成しているような感じなっているのが自分でも不思議だった。同じことを感じたのか僕を見てニヤニヤ笑っている早川さん。また居間に戻って何となく世間話のような事をしながら早川さんを待つ。


「あの…金成さん(僕の苗字)は大分慣れましたか?」


勿論話していれば取り繕わなければならない場面も生じてくるわけでここはとりあえず、


「ええ。なんとか…」


と誤魔化したのだが、こういうのを続けていても針の莚に近いというか出来る事なら正直に言ってしまいたい欲求に駆られる。けれど真実を話してしまうとどちらかというと早川さんの世間体とか体面に関わってしまいそうで、出来るだけ慎重に答えておこうと思っていた。


「その…大変だとは思いますが、私に出来る事があれば是非言ってくださいね!」


そしてこの眩しいばかりの返答である。漫画よろしく後ろに後光が射しているのを幻視したとしても可笑しくはない。ただそれをそのまま受け止めるほどには精神が強くないので僕は、


「そういえば吉河さんの仕事は最近はどうなんです?色々あるんですよね?」


と慌てて話題を変える。対して出版関係の情報を持っているわけではないけれど、ネットの噂のようなものを調べたりして一般的な話だが雑誌の売り上げが以前ほど良くはないという情報やとある雑誌がネット媒体に移ったりとかがあったという事実から推論してあり得そうな「色々」を想像しながら訊いてみた。


「ええ、そうなんです。うちはそうでもないんですけど、業界がどうも厳しくはなってきていて…」


それらしい話を引き出す事が出来たが明らかに素人に毛が生えたような人間に話せる事と言うのもそれほど多くはないらしく、どうも具体的な話にはならない。そこで視点を切り替えて早川さんについて話せる事を自分から話していこうと思った。これがなかなか受けがいい。


「へぇ~先生って意外と呑まれる方なんですね。あまりそうはお見受けしませんでした」


「良く飲むのはビールとかですね。男っぽい人なんでしょうね」


「なるほど…」


興味深そうに話を聞いているけれど、こういう話なら幾らでも出来そうだなと思ったところで意外な事を訊かれた。


「失礼かもしれないのですが、金成さんって先生と生活していて何か…その色々不都合な事とかってあったりはしないんですか?」


物腰の柔らかい印象とは裏腹に時々大胆に切りだしてくるあたり仕事が出来るんだなと察せられるが、僕は困惑してしまう。何と答えたらいいのやら。


「えっと…歳も離れていますしね…僕はその…こんな人間ですし…」


正直答えになっているのかどうかは分からないが言える事を言うしかない。視線に耐え切れず俯いてしまいそうになったその時、


「まあ犬のようなものだと言えばいいのかな。まあ歳は離れているけれどね、そんなに感覚は違わないと思うよ」


「せ…先生!!」


なんと早川さんがそこに立っていたのである。入ってきたのに気付かなかったが、ちょっと話を聞かれていたらしい。


「それにしても吉河さんはなかなか意地が悪いね」


早川さんは続けて吉河さんに何か怪しく微笑みかけている。吉河さんは何か思い当たることがあるのか少し恥ずかしそうにしていた。


「え…?なんかあったんですか?」


「いや今博くんがさ、『アシスタント見習い』として喋っていたと思うんだけどさ」


「え…?」


「実は彼女には最初から君の事をしっかりと教えているんだよ」


「へ…?え…?マジですか…?」


つまりそれは吉河さんは僕がどういう経緯でここに居るかを知った上で最初に会った時に「アシスタント見習いの方ですよね」と訊いてきたという事になる。


「そ…そうだったんですか…」


「ご…ごめんなさい!!悪気があったわけじゃなくて、なるべく気を遣って欲しくなくて…」


呆然としてしまった僕に吉河さんは物凄い勢いで謝罪する。そう言われると何となく吉河さんの言い分も分かる。むしろ身元不明な赤の他人だからと相手にしないよりかは何かそれらしい感じで話した方が穏便に済む事もあるといえばそうだ。


「あ…なんかすいません。僕もどう言う風に接すればいいのか分らなかったので、てっきり早川さんがそう言う風にするように望んでいると思ってて…」


「まあ君が良ければいつでも『アシスタント見習い』の称号をあげてもいいのだけれど、これからどうなるか分らないしね」


話をややこしくする早川さんはいつも通り。


「私もそれとなくお話を伺って、何かお手伝いできることがあればという気持ちがあったんです。金成さんを見るかぎりでは優しい方だなと思いましたし、多分事情があるんだなと一人で勝手に思ってしまって」


正直なところを聞かされてもやはり聖人君子のように思われてしまう。今どきこんな人が居るんだったら、あの時絶望したのは早とちりだったんじゃないかとさえ。まあそれは後で考えることにして僕は吉河さんに、


「僕なんかを気遣って頂いて本当にありがとうございます」


とお礼を言った。すると、


「あの、今後ともよろしくお願いします」


という嬉しい言葉が。これで一件落着だと思ったところでやはり早川さん、


「まあそれはいいんだけどさ、私ってそんなに男っぽいかな?お二人さん」


「「え?」」


吉河さんと声が重なってしまった。二人であたふたして弁解しようとしていたら、


「まあ良く見ていると思うよ。なにせ私はさっぱりした方がいいと思ってるから」


と言って豪快に笑っていた。僕はその時、こういう所に早川さんの根っからのエンターテイナーな部分が現れているなとちょっと場違いな事を想ったりした。
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しか

何かを思考するしかない。という事は書くに至ってはそうであろう。

月より

ところでこんな話はどうですか?



『うさぎさんが居るという場所にエイリアンが現れました。なんでもそこから地球を偵察したいからと居住区を造ってくれとの要望がありました。うさぎさんたちは餅をついていた手を一時休めて一息つくと一匹が彼等にこう言いました

「いやぁ、実を言うとわたし達も偵察のつもりで移住してきたんですけどね」


驚いたエイリアンの一人は、


「でも、貴方たちはただ餅をついているだけじゃありませんか」


と言いました。すると別のうさぎさんが、


「何世代もそうしているうちに本部からの連絡が途絶えてしまって我々も何でそんな事をしているのか分らなくなってしまってですね、どうせだったら楽しんで生きた方がいいんじゃないかと思いましてね。こうしているわけです」


と言ったのを合図にうさぎさんたちは再び餅をつきはじめました。エイリアンたちは呆気にとられて一旦本部に戻る事になりました。そして本部の古い資料を当たっていた一人が驚愕の事実を発見しました。



そう、あのうさぎさんたちはエイリアンの祖先が遥か昔に偵察の為に移住し、本国の内政が永いこと混乱している間に連絡が途絶えてしまい、いつの間にかそこで普通に暮らすようになったのです』




この話がなにを意味するのかは僕もよく分かりません。というか誰かが特に考えないで話したんです。ミミさんはこれを読んで何を感じましたか?僕がちょっと思ったのは、エイリアンたちにとって地球の偵察なんて本当はどうでもいい事だったんじゃないでしょうか。そして、うさぎさんたちは目的を失ってから大切なことは何かを必死で考えたんだと思います。で、結局はそこで楽しんだ方が良いのだと気付いたのです。




僕ももしかしたらうさぎさんになってしまうのでしょうか。それも一つでしょうね。でもどこかでエイリアンの子孫だと思っている部分もあるのかも知れません。もうほとんど忘れているけれど、時々心の片隅で「地球はいまどうなってるかな」なんて思うときがあって望遠鏡をのぞいて見るような。



こう考えてみるとよくある話だと思いませんか?

掌のワインディングロード ⑳

平日の昼、タラちゃんは外出している。その時間聡子との間に何気ない会話が続いていた。お互いの気持ちを確かめる意味があったり、自分では気づかなかった事に気付かせてくれる大事な時間でもあって俺はどちらかというとそういう普段の生活が好きだったし、聡子もそういう時間を大切にしてくれるというところが嬉しかった。だから内容がなくても全然かまわないのだけれど、その日はちょっとだけ身内の事で意外な事実を聞かされた。


「ゲームを作るサークル?の、シナリオ作成?」


「うん。桜ちゃん、昔から結構そういうの好きだったみたい」


メールで頻繁にやり取りしているという妹の桜と聡子。ほぼメル友と言って良いだろう。どうやら大学生活の定番であるサークル活動の話になった時に桜が教えたらしい。疎遠になっているわけではないけれどあまり干渉しなくなっていたので実は知らなかった。


「へぇ~意外だなぁ。まあ一緒に暮らしてた頃、時々俺の部屋に来てゲームしてたことあったけどな」


「どういうゲーム?わたしゲームに疎いからさ」


聡子が訊ねてくる。聡子は時々タラちゃんのプレイしているゲームにそれほど興味を示さないが、簡単なパズルゲームだと時々対戦したりという事があった。俺はおぼろげな記憶から桜がいわゆるノベルゲームを好んでいた事を思い出す。


「中学生くらいの頃かな確かノベルゲームっていう、文章を読んでシナリオを進めてゆくゲームをやってたぞ。あとは俺の影響かも知れないけど格闘ゲームで対戦してた」


「ノベルゲーム?聞いたことないなぁ…」


「パソコンだとよくある種類のゲームだ。途中の選択肢でルートが分岐してシナリオが変わるとか、推理要素のあるゲームも多いな」


「へぇ~。そういうのだったらわたしもやってみたいかも」


「もしかすると桜の作ってるゲームもそういうゲームのシナリオなのかもな。ああ、ネットで有名なやつあったな。アニメにもなった『なんとか蝉が鳴く頃』とかそういう感じの」


「あ、それだったらアニメちょっと知ってるかも。友達がアニメ見てトラウマになったとか言ってた」


「俺はそういうゲームはあまりやらなくてアクションとかが好きなんだけど、アクションにはシナリオとかは無いからな」


「なるほどね」


今の説明で納得した様子の聡子。身内の話なのに疎いというのも恥ずかしい話だが、こうやって聡子が多分男では聞きにくい事も聞いてくれるので頼もしい。妹の知らない一面を知ったような感じである。ただ一方でゲームを作るとなるとプログラミングが出来る人が必要だったり、作りたいという気持だけではなかなか作れないと思う。サークルがどういう規模のものかは若干気になるところである。後日なんとなくその辺りの事が気になって、というか興味が湧いたので久々に妹にメールをしてみる。文面はこんな感じ。


『ちょっと訊きたいんだけど、サークルでゲーム作ってるんだってな。どういうゲーム?同人とかで発売してたりするの?』



それに対して凡そ一時間後にこんな具合に返事が返ってきた。


『お兄ちゃんからメール来るの久しぶりだから焦った。聡子さんから聞いたんだね。そう、作ってるのは恥ずかしいけど女の子用の恋愛シミュレーションゲーム。乙女ゲーってやつだね。イラスト担当と、シナリオ担当とプログラミング担当が居て、実はほとんど女子だけのサークル。発売というか何かの時に配布とかはしてる』



「ほとんど女子」というのも面白いが、仮に乙女ゲーなどを作っているところに男が居たとしたら針の筵というか俺なら拷問に近いと感じる。大方プログラミングをやらされているんだろうなというイメージだったので、


『もしかしてプログラミングが男とかか?』


と訊いたところ、


『ううん。理系でプログラミングの勉強がしたいって同い年の数学科の子が担当してるよ』


という意外な答え。ただ今の職の事を考えるとSEなどを目指して学生時代からプログラミングを勉強するという意味では結構しっかりした考えの持ち主なのかも知れないと漠然とだが思った。せっかくなので、


『じゃあ今度ゲーム見せてくれないか?』


と頼んでみたところ、


『嫌だ。私の恋愛観がだだ漏れだから恥ずかしいし』


と断られた。こういう場合は聡子に頼んで聡子から感想を貰う方がいいかも知れないなと思った。



その週の日曜日、中山競馬場でAJCCというGⅡのレースがあるという事でまた3人で出掛ける事にした。AJCCは何の略なのかを調べてみたところ「アメリカジョッキークラブカップ」という名前らしい。この頃ようやくレース名に慣れてきたが、まだまだ知らないレースが多い。タラちゃん曰く「結構重要なレース」とのこと。というのも過去の名馬がここを勝っていたりするという事なのだが、俺は少し違和感を覚えていた。


「高齢馬が多いな…みんな7歳とか8歳とか…」


競馬場で競馬新聞を広げながら呟いた事だが、馬柱に並んでいる名前の馬齢の部分を見ると殆どが7歳とか8歳という高齢馬なのである。あまり年齢は気にはしないのだが、むかしタラちゃんから「ある時期をピークに歳を重ねると馬も衰えてきます」という話を聞いていたからそういう馬が買いにくいなと思ってしまった。


「でもですね4歳の馬が一番人気になってますけど、そんなに抜けている馬でもないので実績を重視しても良いと思いますよ」


タラちゃんはアドバイスしてくれる。聡子は、


「ここは外国人ジョッキーじゃないかな?4歳のダービーも2着だったサワノリーゼント」


とタラちゃんとは反対の事を言った。ただその後、


「でも、瀧騎手も気になる…」


と続ける。瀧大とかいて「たきゆたか」という名前のジョッキーは日本の競馬を支え一時代を築いてきたジョッキーで俺も競馬をやる前から名前を知っていた。天才ジョッキーと言われていて競馬中継のインタビューでもよく目にする。物腰の柔らかい人らしく競馬界の広告塔とも言えそうだが関西を拠点にしているらしく中山で見たのは久々だ。


「タラちゃんの本命は?というか気になる馬」


勿論ここはタラちゃんにも訊かねばなるまいと思って訊いてみたところ、


「いや…実は今日はヨコスカマーティーが色々気になって…」


と言葉を濁した。ヨコスカマーティーは人気はしていないが実績馬らしく、故障して復帰戦とのこと。さすがに買えないが、もしかしたら強いのかも知れないという想像があった。



ところでその日の競馬場は普段よりも男女のカップルが多いように感じた。聡子にも窺ってみたら、


「うん。というか女性が増えたかも。ウマジョも結構目立ってる」


という返答。ウマジョという言葉も色んなニュアンスがあると思う。例えば男と一緒に競馬場に来た競馬はあまり興味がない女性と、むしろ競馬が好き過ぎて一人でも余裕で足を運ぶ熱心なファンとか。個人的な印象だが、競馬特に馬券は才能も大いにあると思う。予想に関しては男性よりも巧みに様々なデータや根拠を集めてきてかなり複雑な馬券の買い方をして収支がプラスという話も耳にする。俺も聡子とどちらが予想が巧いかよく分からない時がある。人間性があるのか直感型の聡子と、データ型の俺、その半々のタラちゃんという感じ。そんな事も分かるようになってきて競馬にも競馬場にも慣れてきた俺と聡子だが、時々すれ違う男女の初々しいカップルを見ていると最初に競馬場に来た日を思い出してしまう。


「タラちゃんもなぁ、ウマジョだったら彼女とか出来るんじゃないのかな?」


と何気なく言ったところ、


「ええ、そういう出会いだったら凄く話易いとは思いますけどね。でも、何となくですけど最近出会いってあるのかもなって思いましたよ」


というタラちゃんにしては珍しい答え。そんな話をしているうちにメインの時間が迫ってきた。



結果を言ってしまうけれどメインはタラちゃんの気にしていた事が実際に起ってしまったような感じだった。一着は瀧大騎手が騎乗した馬。そして俺が最終的に単勝を買っていたサワノリーゼントは失速し撃沈。そして心配だったのは競争を中止したヨコスカマーティー。後日のニュースで命に別状はなかったけれど引退が発表された。種牡馬入りは出来るそうだが、競馬を見ていてこういうシーンはやっぱり切なくなる。それでも種牡馬として第二の人生を歩んでもらいたいというのは、何か動物に対しての気持ちよりももっと深い想いがそこにあるような気がする。

ステテコ・カウボーイ ⑤

「君は子供の頃、どんな子だった?」


一緒に夕食を食べていた時、早川さんは唐突にこんな事を訊いてきた。ただその時は「唐突」だと思ったけれど同居し始めて半年近くともなればお互いの事をもう少し知っておいた方がいい頃だし、彼女はそういう話が出来る頃合いを見定めたうえで訊いてきたのだろうと思う。


「う~ん…自分の事はよく分からないんですが、今よりも変な奴だったと思います」


「今よりも?まあ私は個人的には君の事を変な奴だとは思っていないがね」


「まあ、変な奴っていうか変な事ばかり考えていたような気がします」


「例えば?」


「笑いませんか?」


「笑わないよ。苦笑するかも知れないけど」


真顔でそれをいう早川さんは僕から見ても大分変な人だと思ったけれど口にはしなかった。「…まあいいですけど」と気を取り直して、


「エイリアンの身体は何でてきているか考えた事ありますか?」


と話を振ってみる。


「ん?エイリアンの身体かい?」


流石に想定外の質問だったからか若干戸惑っているように見えた。それでも、


「そういえばないな。というかその前にエイリアンが居るかどうかを考えるよね」


「ええそうなんですけど仮にエイリアンが居るとした場合に、身体がどういう風に出来ているか考えられる可能性を絞れるんじゃないかなって思いまして」


「ほぅ…なかなか面白い考え方だね」


「それを考えたのは中学校の頃で当時理科で習った生物の「細胞」という概念を知ったので、同じように細胞で出来ているとすれば、水分とかタンパク質とかって普通に持ってそうだなって思ったんです」


「なるほどなるほど」


早川さんは案外興味深そうに話を聞いている。


「で、それから?」


「えっと、それで終わりです。僕の結論は少なくとも水分とタンパク質は含まれているだろうというものでした」


「え…?」



早川さんは僕の結論を聞いて唖然としている。まるでそれが信じられないものを見るような具合だから少し焦った。


「え、って中学生だからそんなものじゃないですか?それ以上は想像出来ませんでしたよ」


「うん…まあ分るんだが、君はその結論で満足したのかい?」


「自分としてはそうですね」


「う~ん…かなり勿体ないなぁ…」


彼女はそこでコップに注いでいたビールをグイッと飲み干した。そこそこ酒豪の気がある早川さんだが普段は仕事に支障がない程度に抑えている。たまたま今日が原稿を仕上げた日だったので、今日は既に缶ビールを2つほど開けている。一方、僕は最近好きになった梅酒をちびちびとやっている。


「勿体ないってどういう意味か訊いていいですか?」


「文字通りだけど普通はそこから想像が膨らんでって、具体的なイメージになってイラストを描いたりできるような気もするんだけどね。君はそうじゃないのかい?」


「ああ、僕は絵心があるけど下手糞なので無理ですね」


「絵心はあるのか…」


「ええ、ギャグ漫画に出てきそうな独特のキャラクターまでは書けるんですが、リアルな絵とかになるとアンバランスになって、イメージと喰い違っちゃうというのか」


「なるほどね。分かるような、分らないような…じゃあちょっと待ってて」


と言って早川さんはテーブルを立ったと思ったら仕事部屋から紙を数枚とペンと一本持ってきた。そして、


「一応だけど君の絵を見てみようと思って」


と告げた。そういえばこういうのは初めてだ。プロの漫画家から見るとどういう評価になるのか少し興味が湧いたのもあって比較的書きなれているキャラクターと、似顔絵のようなリアルな画をそれぞれ書いてゆく。途中「ほうほう」という感心した声が耳元で聞こえたが、次第に無言になってゆく。完成した絵を見て一事。


「うん。君の分析は当たっているよ。多分早くから独自のスタイルを確立してしまっているから崩せないんだろうね。こうなんというか書きなれている方は迷いがないんだが、この似顔絵は…」


「やっぱり下手糞ですよね…」


「まあ小学生並みだろうね。一つ言えるのは目に生気が宿ってないからちょっと気味が悪いよ」


「美術の先生によく言われました…」


「まあ似顔絵というのは一つのデフォルメなわけだし、貸してごらん?」


すると早川さんは余った紙になめらかな線で顔を描いてゆく。次第にそれは見慣れた顔になって、


「あ、これ僕ですね」


「うん。君の顔はあんまり特徴がないんだけど、鼻と目を強調すればそれらしくなるんだ」


出来あがったのは僕の顔だった。確かに写実的ではないかも知れないが似顔絵として、そして早川さんのスタイルで僕をきちんと描いてくれている。


「うわ~さすがプロですね…。あの、その絵貰ってもいいですか?」


「え、いいけど、こんな落書きでいいの?」


多分無意識に自分の本音が出たのであろう、この『落書き』という発言を絵が上手い人が言うと僕の全力を軽く超えてくるから若干イヤミ臭くなるという事を、早川さんはあまり気にしていない。


「絵が巧いって何なんだろうなぁ…母親は結構絵が巧くて「感性の問題だ」って言ってたけど、それはある意味才能じゃないのかなって思うんだけど…」


「ふふふ…母君の話がはじめて出てきたね」


「あ…そうですね」



この日の話はここまでなのだが、後日早川先生のツイッターを少し見ていたところ『エイリアン』という呟きとともに一つの絵…落書きがアップされていた。


「うわ…めっちゃ本気ですやん…」


思わず変な言葉が漏れてしまったが、それはありきたりな宇宙人という感じではなくて完全にクトゥルフ的な要素が散りばめられたかなり厳つい生物の絵だった。ちなみにその絵を気に入った人からのリプライに、


「このエイリアンの身体には水分とタンパク質が含まれていると思われます」


と謎のメッセージを返していたが、この場合水分と言っても「塩酸」とかじゃないのかなとか思ったりした。

掌のワインディングロード ⑲

僕は生来期待する事が少ない。『タラちゃん』という呼ばれ方の理由である「もしかしたら」という口癖も期待というよりは期待の裏にある懼れのようなものの表れで、常識的な視点からなら十分期待できるときでさえも万が一の不安の方が気になってしまう。昔は悪い癖だと思っていたけれど、大井さんと細井さんはそれが良い所だと言われ、最近ではそれも悪くないかなと思えるようになってきた。


けれど、まるで経験のない事で「もしかしたら」という淡い期待を抱くことは未だにできない。様々な事を考慮した末の普通だったら感じられないような可能性に一度賭けて失敗した事があるからだ。それも進路の事だったから影響が大きく、それ以降かなり苦労して軌道修正を図らなくてはならなかった。具体的には大学で選んだ学部である。もともと理系の度が強い自分だとは思っていたけれど、いつの間にか心理学への憧れが強くなっていて、高校時代は安易にそういうものを利用すれば自分の悪い所がどうにかなるかも知れないと考えてしまったところから文転したことに始まる。



大学で心理学を専攻できるような学科に入れたところまでは良かった。けれど、実際に勉強してみて思い描いていた内容とは悉く喰い違っていた。多分相性の問題だろう、一般教養がある一年目はなんとか描いた通りのキャンパスライフだったのだが学科の専門の教科が増え始める2回生の頃から暗雲が立ち込めてきた。率直に言えば学んだことがあまり頭に入ってこないのである。というより学問で常識とされるところが受け入れられなくなっていった。


同じ学科の数少ない友人からは、


「哲学科とかの方がいいんじゃない?」


と言われたけれど、どうもその先も泥沼のような想像しか出てこなかった。勿論そこで4年間学んでいけばそれなりに何とかなったかも知れない。けれど次第に講義よりも図書館で自分が学びたい事を勝手に探してゆくようになり、結果的には自分が何を必要としているのかも分らなくなってしまった。そもそもは自分の選択だから、その自分の選択が信じ切れなくなったところで学ぶ意欲はなくなっていたのかも知れない。その反動で始めた今のバイトに明け暮れるようになり、いつの間にかフェードアウトしたという表現が正しいかも知れない。



何の因果か今の接客業は忙しいし心身ともにキツイ部分もあるけれど、その分「仕事をした」という充足感があった。僕は研究されたことを学ぶよりも実際に活きた場で働きながら色んな事を経験して学んでゆくタイプなのだと自分で分析しているのかも知れない。その生き方に疑問がないわけではないけれど、もしかしたら大井さんと細井さんとの出会いのように、そうしなければあり得なかった事を僕は経験しているのかも知れないと、ほんの少し肯定的に捉えることもある。




でも期待はしていない。これ以上の何かがあるとしたら、それこそ「もしかしたら」のレベルになってしまうからだ。そんな僕に、ほんの少しだけ何と言ったらいいのか分らない事が起った。それは1月の後半に珍しく平日の日中街を歩いていた時の事。



「あれ、加賀見くんじゃない?あたしの事覚えてる?」



突然声を掛けられた。一瞬警戒したがどことなく知っている顔だったので少し近づいてみる。


「あ、もしかして高校の…確か吉永さん?」


「うん。高校で2年まで同じクラスだった吉永映見」



記憶は正しかった。高校で文転する前に理系のクラスで結構話をしてくれていた吉永映見さんはいかにも学生といった感じの出で立ちで一人で歩いていたようである。



「今なにしてるの?大学確か文系の方に行ったんだもんね。私は女子だと珍しい数学科に行ってるの」


「頭よかったもんね、吉永さん。俺の方はいまダメダメな感じだよ。大学も辞めちゃったし」



「え…?なんで?」



あまり深刻にならないように軽い感じで答えたのだが、映見さんは信じられないといった様子で僕を見ている。


「あ…ごめん。ちょっと意外だったから…で、今仕事とかしてるの?」



多分僕の様子を見て何かを思ったのだろう、気を取り直すように質問された。



「うん。まあバイトだよ。あそこ等へんにある居酒屋でバイト」



「ふーん…でもまあ元気そうでなにより…かな?」



「元気だと思うよ。そっちはどうなの?」



「あ、うん。今度4年になるでしょ?就活とか嫌だなと思いつつ、院とかに進学するのも手だなって相談してる所なの」



「へぇ~。結構院に進学する人って多いんだね」



「ん?その言い方だと、何か知り合いにも居るみたいな言い方だよね」



そこで僕ははたと気づいた。確か吉永さんは分析力が鋭くて会話の端々に頭の回転が早そうなところを窺わせていたけれど、それが余りにも鋭すぎるからか、或いはもともと女性が少ないクラスだったからなのか同性とあまり会話している所を見た事がなかった。



「うん、まあ身近にいるからね。文系の方で院に進んだ人」



「…そうなんだ。その人も女の人?」



「そうだよ。27歳だったかな」



「それってバイト先の先輩って感じ?」



さすがにルームシェアをしているという事を伝えるのはためらわれたので、



「そんなところ」


と言っておいた。



「ふーん…」



ただ相手は何かまだ気になっている様子。続けざまに彼女はこんなことを言い始めた。



「ところでさ、私最近人とあんまり話してなくてさ、もし時間があれば話し相手になってくれない?」


「え…?急に?」


「ちょっとその辺の店に入ってさ、ダメかな?」



正直にいえば僕は高校時代吉永さんに良い印象をもっていた。異性を意識し過ぎる僕にとっては特に気兼ねなく話が出来る相手として吉永さんのような人は貴重だった。そういう理由もあって、バイトまでの時間その辺りの喫茶店で話をしようという事になった。高校時代の思い出とか知り合いの進路とか近況などを聞いている間に、同じ世代の人の関心はやはり進路の事で一杯になっているんだなと実感する。その路線から早々に離脱してしまった自分にとっても吉永さんの話は刺激的だったし、吉永さんも自分の話をするだけではなくて僕のたわいもない話もじっくり聞いてくれている。


「うん。競馬好きだったよね。わたしもさ最近ちょっと興味あるんだよね。ネットのニュースで知ったんだけど、何年振りかで女性の騎手がデビューする予定だとか」


「え、よく知ってるね。藤さんっていうらしいんだけど、男ばかりの社会でどんな活躍をするか期待されてるみたい」


「そう。その『男ばかりの社会』って、まさに今自分がいる環境と似てるなぁって思って」


「ああ、そういえばそうだね。数学科に女の子なんてあんまり居ないもんね」


「しかも院に進学ってなると、かなり減るの。だからちょっと不安になってくる事もあってね、そんな時にそのニュースを見たら、なんか勇気づけられたっていうか…」


「なるほど…」



競馬というのは昔のイメージよりも大分改善されているし、こうやって一般の人が注目するような話題も時々出てくるようになった。もともとの競馬好きの人からすればそれはちょっと嬉しい事でもある。話が結構盛り上がって僕も歳相応の感覚を取り戻したような気がした。吉永さんの話で興味深かったのは大学のサークルでゲームを作ってたりしているという事で、「一応プログラミングの勉強も兼ねてて」とさすが考えてるなと思った。別れ際、形式的なものかも知れないが連絡先を交換し合って、


「もし何かあったら連絡してね!お互い頑張りましょう!!」



と言われた。それほど重要な事ではないけれど後で大学の名前を聞いておくべきだったかなと思ったりした。

強度の体験と裏

強度の体験というのは、ある強度で存在とされたものを現実の強度ではない強度で
体験する事だが、主にそれは夢の中で実現されているとも言える。


そして現実では量子論で、夢の中ではほぼ常に「観測」がその世界の『リアル』を
作り上げている。つまり、観測されるまで何かその世界の『リアル』なのかどうか
が分らないという事。


ある弱い強度で知覚された何かが外部の実体を伴ったものと解釈されるような「観
測」があって、存在が認識される(観測器では純粋な入力が知覚にあたる)。ただ
し存在の強度はその弱い強度であり、その世界の『リアル』とされる強度ではない。


夢は現実に近いリアルであればあるほどその世界の『リアル』とされる強度が高い
(強い)と言える。


夢の中でその世界の『リアル』とされる強度とみなされ存在とされたものは観測の
主体である自分と同等である。



さて不思議の国のアリス的に論理学を応用した不思議な世界を作るとすれば、「逆
の世界」や「裏の世界」が考えられる。


逆=「〇〇は××である」という現実の事実命題に対して「〇〇は××でない」と
いう命題が成り立つような世界


裏=「〇〇は××である」という現実の事実命題に対して「××でないものは〇〇
である」という命題が成り立つような世界


もちろん、「××でないすべてのものが〇〇である」というように全称命題として
解釈した方が分り易い。


こういう逆や裏の世界を夢に見た場合、やはり強度の体験なのでその世界の『リア
ル』は観測に掛かっているものの、その世界で「存在」と認識された人の発言も
またとりあえず『偽っていない』という前提で、その世界の事実を知る為に有効
である。ただし、その世界での発言は現実の世界での自然なものと同じなので、
観測している世界をその通りに解釈してはならず、必ずその逆、ないし裏に変換
して理解し、発言もそのように発言しなければ混乱してくる。


「この世界は裏の世界だ」


と発言したことがそのまま真になるような世界の場合、それがそのまま裏の世界
なら発言が「表の世界はこの世界だ」という意味になる。裏と表の逆転。



ただし、発言が『偽っている事が含まれている可能性がある』、『真偽が定かで
ない事がある』ような場合、発言をそのまま信用して世界の認識を変えることが
出来ない。




何故こういう話をしたかというと、まさにそういう夢を見たからである。

投票について

「ナンセンス物語」に「ねこかわさんの動画」という作品の後編をアップしました。かなり前の作品ですが、設定を
複雑にし過ぎたのもあって、ナンセンス物語の枠に収めるのが難しいと気づき完結させないままになっていました。
「ナンセンス物語」をどのように捉えるかは色々あると思いますが設定そのものがナンセンスというかあり得なそう
な世界観になっているのですが、世間ではショートショートと呼ばれるものに近いのだろうと思っています。


ところでショートショートという言葉自体ナンセンス物語を書き始めた時には知りませんでした。自分にとっては
実験のつもりで、馴染みのない単語を繋げて変な文章を作ってそこから話を膨らませるという作業をしていて時々
まぐれあたりのように面白い作品ができるものですから、自然と「ナンセンス物語」と呼ぶようになっていたので
すが最近では読者の反応を見ているうちに「ナンセンス」さをどの程度にすれば良いのか迷うようになったのと、
正統派の作品も書けるようになってきたのもあって、ナンセンス物語を書きまくるという感じのブログではなくな
ってきたような気配があります。


そしてあっさりとした設定で書けるパターンの作品はやりつくしたのもあり、設定を少し複雑にして冒険して
みていたのですが、そのくらいの時に「ねこかわさんの動画」というのが途中まで出来て、ラブコメ路線の結末
まで想像したのですが、なんか「あざとい」なと思われはじめ、「つづく」と言いつつも続きを書くかどうかすら
分らなかった次第であります。



ナンセンス物語の需要も含めて、どういう作品を書くかは迷いがあります。投票を設置してみるのも手だなと思い
ます。

ねこかわさんの動画(後編)

仕事から帰ってきてから定時の「ねこかわ」さんの動画を日課のように見始めて一か月程経った時、その日アップされたばかりの動画を嬉々として開いたら投稿者コメントの欄に気になる言葉が記されているのを見た私。


『もしかしたら少しの間更新が途絶えるかも知れません』



それは単純に一度休むという事なのか、それとも何か重要な意味が隠されているのかその時は分らなかった。勿論毎日の更新というのは大変な作業だし、ネット上では『失踪』というかたちの事実上の引退のような事もありがちな事。ファンも日課になっているから更新を楽しみにしてしまいがちだけど、テレビで取り上げられた日以降の動画の再生数の伸びは目を見張るものがあって、その重圧ももしかしたら影響しているのかも知れない。一言のコメントだけれど、色んな事を想像してしまった。ただ、動画ではいつもと変わりなく茶と白の猫のだらりとした愛くるしい姿が上手く編集されていて「ねこかわ」さんの声も普段と変わりがないように思えた。


一人夕食を食べながら、


「なんか気になるなぁ…」


と呟いてしまう。でもネットを介して私が出来る事なんていつものようにコメントを残すことくらいしかない。


『なにかあったんですか?』


というコメントは私以外の人からも寄せられていた。その次の日は土曜でやっぱりよく晴れた日だった。ちょっとだけすっきりしない気持ちのまま前と同じように書店兼CDショップに入店して、猫が出てくるような漫画を探す。毎日動画を見ているのもあって、この頃猫成分を欲しているなと自覚し始めているのだが普通のコミックにはあまりそういう種類の漫画はないらしい。


「やっぱりないかぁ…」


諦めてその場を離れようとした時、


「どういうのを探してるの?」


という聴きなれたハスキーな女性の声が聞こえた。慌てて声の方を振り返るとそこにはにこやかな表情で私を見ている「ねこかわ」さんが居たのである。あとで考えてみれば、同じ場所に行けば出会う確率が高いのだから奇跡でも何でもないのだけれど、私はその時運命めいたものを感じてしまった。


「あ、「ねこかわ」さん!私あれから毎日動画観てて、それで猫が好きになっちゃって、で猫が出てくるような漫画をですね!!」


伝えたい事が多過ぎて混乱した返答になってしまったけれど「ねこかわ」さんは分かってくれたらしく大きく頷いて、


「そうなの!ありがとうね。コメントしてくれてるもんね!あ、猫の漫画だったら4コマ漫画のところとかが良いよ」


と言い、そのまま私を4コマ漫画のコーナーに誘導してくれる。「ねこかわ」さんは慣れた様子でゆったりとした動作で背表紙を眺めて一冊の漫画を引き抜いて手渡してくれる。


「これ、おススメ。猫をよく観察してる本だよ!」


「あ、ありがとうございます。でも「ねこかわ」さん、なんか体勢が…」


私は「ねこかわ」さんの様子に違和感を覚えていた。先ほど腰を折り曲げるような動作をした時に、手を腰に添えるようにしてちょっと不自然な姿勢で背表紙を見ていたのだ。


「うん。実は腰が痛くて…ちょっと前から気にはなってたんだけどだんだん酷くなって。医者に行ったらさ椎間板ヘルニアっていう病気らしいんだ」


「え…?ヘルニアですか!?」


病気の事はあまりよく知らなかったけれど、その言葉はどこかで聞いたことがあって確かかなり痛いというイメージだった。


「今度手術する事になったんだ。ちょっと入院しなきゃいけなくて…」


「ええ…!それは大変じゃないですか!あ、そうか。だから動画の更新…」


「うん。家の猫の方は実家の方に預かってもらおうかなって思ってるんだけど、病院には連れていけないしね…」


「そうでしたか…それなら仕方ない…」



私はショックを受けていたけれど「仕方ないですよね」と言おうとした瞬間、それこそ私にとってはきゅうりにはちみつをかけて食べるような狂気ともいうべき考えが咄嗟に浮かんでしまった。



「あの…もしですよ…もし、私がその間代わりに「ねこかわ」さんの動画を撮るって言ったらどうします?」


あとで聞くとその時私はかなり神妙な顔つきだったらしい、ねこかわさんは最初驚いたように私を見つめて「え?」と笑いかけていたけれど私が真剣だと悟るや否や、


「も、もちろん、そうしてくれたら有難いんだけど…動画の編集がね…あ…でもそうか…」


「どうしたんです?」


「いや、君が撮ってくれるんだったら入院中でもノートPCがあれば編集できるから、公開する事は出来るといえば出来るなって思って…でも、、、」



「ねこかわ」さんは躊躇っているようだった。客観的に考えてみればそれほど面識のない人に頼むというのもなかなかハードルが高い。<やっぱり無理だよね>と思いかけたその瞬間、


「うん、でもかなり面白い試みかも知れない!!」


と「ねこかわ」さんは表情をぱっと輝かせた。それはまるで、こう言っては失礼かも知れないがいたずらを思いついた少年のような表情だった。


「え…じゃあ」


「うん。私の中では計画が出来たよ。実は今日ここに来たのは入院中に読む本でも探そうかなと思ったんだけど、編集をするなら別に買わなくてもいいしね。よし、思い切ってお願いしよう!」



そこからは物凄いとんとん拍子で私がこれまで経験どころか考えていなかった事が起った。まず「ねこかわ」さんの家に案内され、その日の動画の録画を見せてもらう。「ねこかわ」さんはそれをPCに取り込み私にはチンプンカンプンな作業で黙々と編集をしてゆく。


「要するに、このパソコンにカメラを接続して動画を取り込んだら、それをネット上のここのサイトに一旦アップロードしてもらいたいんだ。それをノートの方でネットでダウンロードして、それを編集するという感じかな。アップロードにちょっと時間が掛かっちゃうかも知れないけど、まあ大丈夫でしょ」


「ねこかわ」さんの指導によって、何となくやり方を理解した私。試しに猫の動画を取らせてもらったけれど、なかなか難易度が高いという事に気付く。


「カメラを回したままでなるべくゆったり動かす感じかな。この子も君が来た事にちょっと驚いてるけど、それが入院中にどんな変化を見せるか楽しみだよ」


彼女の計画では、私が「ねこかわ」さんの家の猫である『ルル』に慣れ、『ルル』が私に慣れてゆく様子を見せたら新鮮な動画になると思うとの事。なるほどなと思った。



そして計画は後日実行に移された。仕事終わり「ねこかわ」さんの家に直行して、預かった合鍵でドアを開ける。主人の帰りを待っていた『ルル』は最初かなり警戒していたけれど、既に何度か「ねこかわ」さん宅を訪れていたので次第に慣れ始めて、餌や水を取り替えて猫用のトイレの掃除をしたりして撮影の準備を始める。動画の容量を考えて6時半頃から30分ほどの長さで撮るようにと頼まれていたので、自分としても工夫しながら『ルル』が可愛く映るように、そしてこれも重要で、時々何か喋りかけてくれとの事だった。


「ルル、良い子ね~」


自分でも緊張と慣れない感じの猫なで声が出てちょっと笑いそうになってしまう。色々苦戦しつつも初日の分は何とか取り終え、「ねこかわ」さんにメールで連絡する。その後、パソコンから動画を一旦ネットにアップロードする。ファイルが大きくて予め何個かに分割しておいた方が良いからというアドバイスがあったけれど確かに時間が掛かった。なんとか終えて名残惜しいけれど『ルル』を置いて自宅に戻る。


『今日手術終わって、ちょっと安静にしないといけないけど明日にはアップロードできると思う』


就寝前にこんなメールが届いた。翌日、私はいつもよりも2時間程早く起きた。「ねこかわ」さん頼まれて居た事で、朝に「ねこかわ」さんの家の『ルル』の様子を見てもらいたいとの事だった。幸いな事に彼女の家と私のアパートの距離が結構近いので特に問題なく『ルル』に会いに行けた。『ルル』はちょっとだけ寂しそうに見えたけれど、ご飯を取り替えたり、撫でであげたりしていると満足したのかベッドに向かって眠りはじめた。



昼ネットで動画を確認すると、ちゃんと編集され字幕の入った私の動画がアップされていた。投稿者コメントには、


『入院中ですが、友達に頼んで何とかアップロードできました』


とあり視聴者からも温かいコメントが続いた。お手伝いができたという実感が溢れ、嬉しくなる。その日も同じように『ルル』の面倒を見ながら動画を撮った。2日目でだんだんコツが掴めた気もするし、『ルル』の方もだんだん懐いてくれているような気がする。



一週間ほどそんな生活が続いた。「ねこかわ」さんは術後の経過もよくリハビリを終え、退院する運びになった。彼女からは、


『一週間、本当にありがとう!また遊びに、ルルに会いに来てやってよ』



というメールが届いた。「ねこかわ」さんは退院したその日からまた毎日動画をアップロードしている。事情を知った視聴者から「退院おめでとう」という温かいコメントが届いたけれど、ちょっとだけ私も嬉しいコメントが。



『あのお姉さんもまた登場してほしいなぁ~』



あの一週間の動画を見返す私。そこにはラブコメのようにではないけれど、突如、猫と一つ屋根の下で暮らす事になったストーリーが展開されている。

さがして

何かしら言いようのない物足りなさが今日を彩っている。不満という言葉では言い過ぎてしまうようなちょっとした焦れのようなもの。満たされていると思う、自分がまだ求めているもの。


夏を前に陽射しは穏やかな方で暑さもほどよい日曜。猫の喉を軽く撫でて気持ちよさそうな顔を見たらなんとなく笑う。世の中の話題に比べればちっぽけな自分の問題。問題とも言い難いようなちょっとした迷い。しっぽを立てて何処かに歩いてゆく後ろ姿を見ながら「なにをしようかな」と思う。



毎日がこんな風に流れていたら幸せなのかも知れない。でもなにかをどうにかしたいと思っている気持ちがずっとあって時間が過ぎるのなら、求めているものとは少し違うのかも知れない。いつか漫画で見た眩しい笑顔の男の子の表情が浮かんでくる。



あんな表情が本当にこの世界にあるのだろうか、なんて呆れるくらい素朴な疑問。わたしは見た事がないのかも知れないけれど、どこかの誰かは見ているかも知れない。多分、どこかでそういうものを探していて、見惚れてしまう色合いの服で着飾るように心だけでもそれに近づけていたいと思う。ないものねだりなんて単純な言葉じゃなくて、『あるかもしれないものねだり』を多分今日も。




そんな気持ちを短い呟きにして目の触れるところに上げてみる。名前や趣味だけはよく知っている曖昧な友達からのなんてことのないメッセージ。気持ちが乗って今しがた撮ったばかりの猫の後ろ姿を添えて、


『どこか行きたいよぅ』


なんて続けてみる。猫に擬えた自分の気持ちが何となく伝わったのかハートマークの印をちょっと貰う。



「そっか、出掛けてみたいのか…」


自分で打った文字の意味に教えられるように用事もないのに出掛けてみたくなってくる。折角ならちょっと…いや出来れば満足がゆくくらいのオシャレをしてふらっと外に出てみたい。


「うん…」


まるで演技をしているみたいに大袈裟な動きで服を選ぶ。途中から部屋に入ってきた猫に、


「ねぇ、これどうかな?」


なんて聞いたりしながら何となく爽やかなコーデになった。家を出る前に鏡を見てなんとなく物足りないような気もするけれど、何が足りないのかよく分からなかった。



ただ何となく「噴水のある所」がいいと思って記憶を頼りにいつもよりちょっと遠くまで歩いた。公園というほど何かがあるわけでもない広場。真ん中に丸い噴水があるのが見えた。誰もいないと思ったけれど、よく見ると女の人が何かを抱えて座っているのが見えた。


「あ、ギターだ」


珍しさで声を出してしまったわたし。女の人はこちらをちょっと振り返って、


「どうも」


と首を少し動かした。しばらく待っていると彼女はギターを鳴らし始め、躊躇いがちに少しずつ声を出していった。綺麗な声と安らぐようなメロディー。唄い慣れている感じではなかったけれど、表現したい事が伝わってくる。



<何の曲だろう>



もしかしたらオリジナルなのかもと思った。同性ギターが出来る人には憧れたりするけれど、わたしはこんな風には歌えないだろうなと思う。一曲が終わり、その人がまたこちらを見て照れ臭そうに笑う。


「どうでした?わたし今練習中でぜんぜん上手くないんですけど…」


「いいえ、上手でしたよ!感動しちゃいました」


「ありがとうございます」


わたしはそのまま彼女の練習に聴き入っていた。こちらに歩いてくる人の何人かは少し歩みを遅らせて通り過ぎてゆく。


涼しげな水の音と爽やかな風と歌が調和している時間だった。今だけは何処にもなかったようなものが確かにあるような気がした。



しばらくして歌い終った彼女がゆっくり立ちあがりながら隣に置いていた帽子を手に取りそのまま頭に被せた。



「今日はありがとうね。もしかしたらまたここで練習してるかも知れないから」



そう言って歩いて行った。わたしはそれを見送った時「あっ」と思った。わたしはその後に街を歩きながらあるものを探していた。



小さなお店でわたしは見つけた。自分に似合う帽子。



それを被り彼女が歌ったメロディーを口ずさみながら歩く帰り道。ふいに「すいませ~ん」という声が後ろから聞こえた。そして高校生の男の子が嬉しそうな顔で自転車で駆け抜けていったのを見た。その風を感じながら呆れるくらい単純に、


<誰かが見たものはやっぱりあるんだな>


と思った。
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Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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