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新・猫話17(ごはん)

過去にも何度か書いたり呟いたりしたことがありますが、猫に餌…ご飯をあげる時間は家では決まっていますがけっこう特殊かも知れません。


朝…というか深夜の3時に一回目。そして昼の3時に2回目。夜の8時に三回目というのがここしばらくの食事です。そもそもこれでいいのかを問い直したくなるタイミングなのですが、どうも深夜3時に食べたくなる「花」と「マタロウ」に合わせてゆくとそこは外せなくなり、結局お腹がすき始める時間にあげてゆくうちにこうなってしまっています。比較的夜は静かな猫達ですが、花がやってきた頃にどうも夜に活動的になって、枕元に立って髪を噛んで引きちぎって人を起こすような事をおぼえてしまってからというもの朝の3時のご飯の為に寝ぼけながら一階に降りてご飯をあげなければならなくなりました。


分量についても気にしなければなりません。「マタロウ」がノルウェージャンが入っているのでもともと大きくなってしまうのですが肥満気味で、更に盛ってあると他の猫のまで食べてしまいます。なので、数回に分けて少量ずつというペースであげることを意識していますが、結果的にこれもこのタイミングになってしまう原因といえばそうですね。「ハッピー」についてはごはんについては優秀で、自分で食べる量を管理しているようなところがあります。ただ、キッチンに人が立っているとおやつの「鰹節」をねだる事がありますし、人間の食事中にも何かを訴えるような鳴き方をするようになりました。



無視するのが一番なのかも知れませんが、猫は自分に目を向けさせる、注目させる方法は幾らでも知っています。鳴き声も段々と凄いものになってゆくのでどうしても無視するわけにはゆかず、仕方なく食事を中断しておやつをあげたりという事も最近増えています。もちろん猫は人間とは違っていて、自分の食べたい時に食べるという事が出来ないので、どうしても「ねだる」という事に行きついてしまうのでしょう。



ちなみに与えるものについてはすっかり決まってしまっていて3匹とも同じです。餌代もそれほどいかない印象ですね。
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強度に

強度の存在で現実に思考しているのと同じくらいの強度の存在があるとすれば、強度の存在という概念に思い至る存在も考えられる。その場合己を強度の存在と了解しているのか否定しているのかというリアリティが生じる。


夢の世界の住人が自分が夢の人物だと理解した場合の行動パターン、思考。それは恰も終わりを了解している主体だ。


追記: 強度の存在に対して己がどのような関係の主体なのかも重要である。直接関わる主体なのか、その関係を見つめ見守っている傍観者、第三者として存在しているか。夢だと分かってみている主体のように強度の存在だと分かって成り行きを見守っている主体は、現実の主体でもあり得る。強度の存在を強度の存在として見ているのである。

掌のワインディングロード ㉗

Y県への旅行、あるいは帰省のようなもの。土曜日の朝、私達は新幹線が出発するU駅まで電車で移動していた。大学で上京してからこちらでの生活に馴染んでしまって考えてみるとそれほど帰省していない。母との関係もあまり上手くいっていないという事もあるけれど、自分のペースで生きるには地元は少し緩やか過ぎると思えてしまう。でも、旅行という名目ならまた違った視点で見れるものなのかも知れない。


なんて事を考えながら3人で新幹線を待つ。人は思ったより多くない。時折見送りと思われる人や、迎えに来た人が少しソワソワしながら待っているけれど、混雑はしていない。


「新幹線に乗るのもいつ以来かな…修学旅行かな」


タラちゃんがぼそっと呟いた。意外だけれど容易に理解できる。そんなに遠くに行かなくても必要なものは近くで揃ってしまう都会の人はもしかすると東北にはそんなに縁はないのかも知れない。仕事で行った事があるとは言え、勇次も多分同じような気持ちなのではないだろうか。


「F県まではまあ普通なんだけど、そこからはちょっと凄いのよ」


それは別に地元を褒め称える言葉ではなく、新幹線のシステムがちょっと他では考えられないようなものだというマメ知識。Y県に入れば分かる事だ。


「お、そろそろ時間だ。改札いくぞ」


慣れた様子で勇次が先導してくれる。旅行という特別な気分もあって普通に帰省する時とは心境が違うように思う。一方でタラちゃんはやっぱり慣れないのかきょろきょろと辺りを眺めて、


「あと10分かぁ…」


と小声で確認していた。移動してホームのベンチに腰を降ろしてスマホを弄ろうとした時に新幹線が到着した。指定席なので焦らず乗車して、席をゆっくり探す。通路を挟んで左右に3人の席があって私は窓側だった。


「何時間くらいなんですかね?」


発車が迫るとタラちゃんが訊ねてきた。予定通りだとちょうど2時間くらいだという事を伝えると、


「へぇ、結構近いんですね」


という反応。近いかどうかは別にしても比較的早いと感じるかも知れない。実際F県のF市までの道程はあっという間に感じた。特に私達は前日の夜に仕事だったのもあって、車内はどちらかというとリラックスして少し仮眠をとるような状態だった。



F市に到着すると、鉄道が好きな人には堪らないかも知れない「連結」が外れるという瞬間に立ち合える。残念な事に競馬の事になると饒舌なタラちゃんに説明しても、


「へぇ…」


と何かあまり感動のない様子。むしろ勇次とタラちゃんはその頃になるとスマホを必死に弄っていた。それは何故か?


「お、タラちゃん。中山の5レース、一番人気が勝ったみたいだよ!」


勇次の言葉からも分かるように、2人は景色そっちのけでレースの結果をスマホで確認したりしていた。そう、今回ちょっと気にしていたのは競馬のある土曜と日曜に旅行に来た事。実を言えば私もメインレースだけは有馬記念で見たブロンドアクターが日経賞というGⅡに出走するので観たい気がする。それに…


「ああ…藤騎手、惜しかった、3着だって!」


勇次が言った「藤騎手」こと女性ジョッキー「藤奈央」騎手の活躍が私は気になる。弥生賞の週も彼女目当てに凄いお客さんだったけれど、残念ながらまだ勝利には至っていない。夕方のテレビのニュースでもデビュー後の活躍は取り上げられていて、地方競馬では既に初勝利を挙げている。中央、つまり『JRA』での勝利の瞬間をこの目で目撃したい気持ちがむくむくと起っているこの頃。


「今日他に乗る馬はいるの?」


今度は私がタラちゃんに訊ねてみると、


「あとは最終レースですね。12レース。けっこう人気してますね」


と返ってきた。勇次にはまだ許してないけどもしJRAの馬券が何処でも買えるという『即パット』に加入していたら応援馬券も買っていたかも知れない。


「レースの動画は公式ですぐに見れますし、多分勝ったらネットのニュースもすぐ入ってくると思いますよ」


なんだかこういう話をしていると『JR』より『JRA』になってしまいそう。一応旅行という本分があるので、


「これからしばらくするとY県に入るの。たしか次の駅でY市になるからそこで一旦降りるよ」


と注意を向けておく。そうこうしているうちに新幹線が発車する。ちょっと経ってY県に入った位になって勇次が何かに気付く。


「あれ…?もしかして聡子が凄いって言ってたのってこれのこと?」


「うん。分った?Y新幹線は在来線の線路と同じところを走るのよ?凄いでしょ?」


そう、それがY新幹線のユニークなところだ。在来線と新幹線が同じ線路を走って大丈夫なのか、と心配するかも知れないが大丈夫なように出来ている。むしろ地元がY県だった私にとっては普通の事で、珍しい事だと知ったのは実は上京してからだった。


「凄いって…まあ凄いかもな…」


案の定、勇次は複雑そうな表情をしている。そんな風に圧倒的に田舎という感じになってきた景色を見ながら体感的にはあっという間にY市に到着してしまった。そこは私が生まれ育った町だった。

新・猫話16(観察)

猫を観察してゆくと大体は目の形で興味があるのか、眠いのかという事は分かってきます。人間と共通している部分ですし、猫は別に偽らないので「じっと」こちらを見続けるような「花」と、何かを訴えているような目をする「マタロウ」、睨みつけるというか静かにこちらを見ることがある「ピー」で『意思』の違いのようなものも分ってきます。


猫としては「花」が一番分かり易いと思います。興味があるものにすぐに反応してずっと観察し続けて他のものがあまり目に入らなくなっている状態になり易いですね。5歳になる「マタロウ」はそろそろ惹きつけられたままという瞬間は少なくなって、集中し切っては居ないように感じます。「ピー」は殆どの事に無関心というか、動じなくなっています。性格もそこから分かる面がありますね。「ピー」は静かに過ごしていたい歳ですし、「マタロウ」はちょっと冒険したい。「花」はとにかく常に動き回っていたい。


あとは『距離感』も面白いですね。人間との距離感です。具体的には人懐っこい(…ただし家人に対して)「花」はかなり接近して頬や鼻を近づけてきます。「マタロウ」はそこから一歩引いたところで寛いで、時々ベッタリと甘えてくることがあります。「ピー」は自分のペースを守りたいからかいつも定位置で寝ていて、時々「ここに居るぞ」と自己主張しているような気もします。



猫は幾らかの単語を理解していると思いますが、やはり何かの行動が伴って確信になるというのか言葉だけでなくこちらの態度を観察して行動を決定しているようにも感じます。こちらもそういう事を分った上で何を望んでいるのかを掴もうと思うとやはり観察が必要になってきます。こういう事は人間の方でも無意識に了解していたりして、色々考えて判断するよりも感覚的にというか直感的に「こうするのがいいのかな」と思った事をした方が意外と上手く行くような気がします。

新・猫話15(押入れ)

人間は『秘密』とか『謎』とかに惹かれる面を持っています。『好奇心猫を…』という諺があるように、そういうものを追い過ぎて危い感じになる場合もありますが、日常の中にもちょっとした何かがないと好奇心も出てこないのかも知れません。で、猫の話となるとやはり猫にとって『秘密』とか『謎』と思えるような事はあるみたいですね。


具体的には【押入れ】です。



押入れは基本的に物で溢れかえっていますが、うっかり開けてしまった隙間から侵入して狭い所に隠れてしまったり、挙句の果てには人間が入るのが困難な屋根裏に長時間暮らしてしまったり…という事がありました。屋根裏の件は、本当に猫が見つからなくって非常に困りました。猫にとってはそこが居心地がいいのでしょうし、やはり隠れ家のような気分で楽しいのでしょう。だからこそ、うっかり開けてしまわないように注意し始めましたしそこで猫の本性を知ったような気持ちになりました。



ところで『秘密』とか『謎』が全く見えなくなってしまうと退屈してしまうものなのでしょうか、何かあると猫も押入れの前で頻繁に爪とぎをしています。そこが気に入っている『花』は特に時折ちょっと空いている隙間から押入れの奥を観ようとしていたり、ちょっと開けて置いて欲しいらしいですね。似たような事では『トイレ』もそうです。『トイレ』の中に居れるのはちょっとダメだなとは思うのですが、猫が気になるのも分かります。



ただ私としては、人間が外出している時に何処に出掛けているのか、とかそこで何をしているのかという事に対して『謎』を感じたりはしないのかなと思っていますが、猫の頭の回路の中では案外気にならないようですね。とにかく家の中の事が飼い猫にとってはほぼすべてと言ってよいのかも知れません。

新・猫話14(猫小説)

本日、少し前に購入していた『ジェニィ』という小説を読了しました。猫好きにはまるで自分が猫になったように感じるような素晴らしいお話なのですが、これくらいはっきりとではなくても小説に猫が出てくることは多いし、夏目漱石を始め、作家が猫を飼っていたという話はよく聞く話です。前に話したように猫と生活していると集中力が発揮されるようになります。うちでは「花」ちゃんがPCの前に立って作業に集中している時に視覚を遮ったりもしますが、書く間は孤独になりがちで、意識し過ぎない程度に意識させてくれる愛猫はある種丁度良いといえば丁度良いですね。


猫が描かれている小説を読むとどこか安心するような気もします。社会とか世の中というのはもちろん人間の世界ではありますが、人間だけではどうも行き詰って、息詰まってしまうような気さえします。人間同士のコミュニケーションが完璧だと逆に束縛されたりきっちりしていないといけませんが、猫との対話、スキンシップはわりとアナログでお互いに分らない部分があって当然でそこをどう工夫して一緒に生活するかという方向になるのです。『ジェニィ』のように猫の思考が分かるような状況ではありませんし何処まで擬人化して考えるかはありますが、私が思うに「花」が物凄い瞬発力で木にかけ上る時、


<この子はとにかく木に登りたかったんだな、あそこが好きなんだな>


という事が分かります。当初あぶなっかしいかった木登りも今では堂に入るというのか安定感も出てきていますし、木が傾斜しているお陰でしっかり降りてくることが出来るというのも「花」にとっては嬉しい事なのだと思います。実は木登りについてもそうですが高い所にジャンプしたくても身体が重くて出来ない『マタロウ』は、それを羨ましそうに眺めていますし、時々挑戦するのです。でも、やっぱりあぶなかっかしいわけです。



そういう場面でも猫が思っている事を想像する事が出来ます。おそらく『ジェニィ』は猫を惜しみない愛情で眺めながら、観察し続けた際に自然に浮かんだことを小説にしたのだと思います。それは多分飼主だったら自然に出来ることで、例えば今も「花」がこちらを見上げて耳を立てて少し左右に動かしたのを見て、


<あ、なんか不思議そうにしてるのかな?>


と思うようなことだと思います。猫話を続けていけば、そういうところも見えてくるのかなと思っていたりします。でもとにかくポール・ギャリコの『ジェニィ』は必読なので、それを強調したいです。

新・猫話13(楽しさ)

猫の相手をするのは先ずもって楽しいと思います。無邪気で必死に何かに夢中になる様子を見ているのは楽しいですし、かと思うと急に興味を失ったようになるのも独特でそこから猫らしさが窺われるような気がします。


楽しいと思えば餌をあげるのもけっこう楽しいと思うのです。猫に餌をあげる時は「ごはん」と必ず言うようにしています。「ごっは~ん」とか時々捻って「ごっへん」とか言ってこちらに惹きつけて、


「あ、『ごはん』なんだな」


と分った時の反応が良いですね。時間とタイミングからはっきりと『ごはん』を貰える時間だと理解しているんですね。この意思疎通からどうにかもっと詳しい事が分らないものなのかなと思いますが、やはり相手は猫。本能的にも必要だと思った事にしか反応しないのが基本なんですね。でももしかすると私が「眠る」場合にも「ねんね」と言っていますが、これも分っているのかも知れません。言葉が意味を持つという事を約束として分ってもらうには言った事をそのまま実行してみせると覚えてくれるのかなと思って例えば外出する際には、

「お留守番!」

と言ってから出るようにしています。家だけかもしれませんが外に生えている雑草…というか何かの草を欲しがることがあるのでその時は「くさ!」とはっきり言ってあげると玄関まで一緒についてきます。勿論名前にはしっかり反応します。ただ疑問なのが「ピー」です。どうも「マー」と呼んでも自分の事だと思うらしく、「マー」といっても「ピー」が返事したり。



猫と過ごしていると猫にとって世界がどう見えているのかどう感じているのか気になる事があります。そういう事も想像しながら接すると楽しみが広がると思います。

新・猫話12(部屋)

猫の面白い所は自分の気に入る場所が出来るとそこを居場所にするという事ですね。人間も自分の部屋が居心地が良くてそこに居ると心が落ち着くという事もあると思いますが、もし飼っている猫が自分の部屋をそのように思っていてくれるとすれば、猫も人間も落ち着ける部屋になります。


『自分の部屋が猫が当たり前に入ってくる部屋にしよう』と思うと、『一人だけの場所』という考えは捨てなければなりません。猫が入ってきても不都合がないように、何か人間にとっては無意味に思える配置も許容して、ちょっと何かを置いてみたりしながら猫が落ち着ける空間を作るのも結構面白いと最近気づきました。具体的には「花」が頭を乗せられるような小さな箱を本棚の上の彼女の寝床に置いてみたり、荒らされて困るようなものはなるべくしまって置くという事ですね。ティッシュペーパーをぐちゃぐちゃにされてしまうという事が初めて猫を飼う時にはある話かも知れませんが、これもカバーをつけておくという工夫をすれば問題ありません。


そういえばこれも最近気付いたことで、どうも家の中には「花」と「マー」用、つまり猫用の部屋があるという事ですね。これは猫から見てそうなのだろうと思いますが、食事をしている時とか作業に集中している時などに、「花」が、

「こっちに来て」


というような鳴き声である和室に呼んでいると感じることがあります。そこは物が殆ど置いてないので猫と遊んであげていた部屋なのですが、そこから「猫用の部屋」という認識になったのかも知れません。そこでは猫が中心になってしまって、人間は地べたで寝転がるのも変だったのでちょっと工夫して、座れる場所を作ってみました。そうすると猫はそこにいて満足するし、私もそこで本でも読みながら一緒に過ごすという事も出来ます。



『猫を中心にして生活を考える』という視点はちょっと面白いと思いますし、全てとは言わなくてもそう言う風に考えた場合にどうしたらいいのかを何となく想像して、少し取り入れてみるのはいかがでしょうか?

用法

ナンセンセンスを使うとすれば直接的ではありません。意識的ではないと言った方が正解でしょうか。自分の頭か心が何処かでそれを知っていて、意識していない時に何か反応するという感じで。


要するに感覚なわけですからそれがあって現実の行動がどうなるか、どうするかという事が大事です。何かを思い描いた場合にそれを実現するような手助けになるのかなと自分では思ってます。


ちょっとナンセンセンスでふふっと笑うくらいがちょうど良いのだと思います。

新・猫話11(スキンシップ)

猫飼いの宿命とは何でしょう?自分が飼っている猫が一番カワイイと思ってしまう事でしょうか。つまり親ばかになってしまう事です。綺麗で整っているからと言って良いわけではなく、やはり家の猫でなければこんなにも愛おしく思えないと思います。(一方で他の人が飼っている猫も野良もカワイイものは可愛くて、実際に見てみたいな触ってみたいなと思ったりすることもあるのが面白いですね)


3匹を飼っているとどの子が一番カワイイとかそういう偏りがあるのかというとそうではなく、時にマタロウに、時に花に、時にピーにどうしても構いたく、構ってもらいたくなる事があります。猫の相手に夢中で、やろうと思っていた事が蔑ろになりそうになる事もありますし、出来るならずっと猫の相手をしていたいと思う瞬間があるかと思いきや、『ちょっと今は勘弁してもらいたいなぁ』と思ってしまう事もあります。


猫も気紛れですが人間にも気紛れなところはあります。トイレや食事などの世話については決まった事を続ければいい面がありますが、スキンシップをどのくらいすればいいのかについては、本当のところは自分の気持ちに正直にした方がいいのかと思います。


「今相手するのは大変だけど、どうしてもやってあげたいんだよなぁ…」


と思うときが一番迷うところで、結局だだ甘な僕としては優先順位を変えてしまうような事もありますが、結果的にそれで自分が満たされているという事は順序は間違って居ないのかも知れませんね。基本的にがっちり相手をすればいい花とマーに対してハッピーについてはちょっと対応が異なっていて、構い過ぎないようにしつつ、常にどこかで意識しておくというような絶妙な距離感が必要です。僕はピーにも甘えて欲しいのですが、ピーにとってはそれが一番快適なのだと考えるとそれも愛の一つなのかなと思ったり。


そういう風に考えてゆくと、自分の作業の優先順位がある程度定まっているのに比べて猫とのスキンシップは臨機応変という事もあるのかなと思います。人間も猫的になってゆくのかも。なんて。
プロフィール

なんとかさん

Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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