こんなとき
こんな時だから、こんな時でも。
過ぎ去って行くその日々にどこか懐かしさ。いつかの誰かもこんな風だったと何となく思い、人の世の奥深さを感じる。
たわいもない事。それでも想いはあったろう。そう感じれば、語られぬざわめきも聞こえてきそうで。
匂いさえそこに。
こんな時だから、こんな時でも。
過ぎ去って行くその日々にどこか懐かしさ。いつかの誰かもこんな風だったと何となく思い、人の世の奥深さを感じる。
たわいもない事。それでも想いはあったろう。そう感じれば、語られぬざわめきも聞こえてきそうで。
匂いさえそこに。
願って言う言葉は確かに。
純粋なものだろう。その願った事がどうなると思っているわけでもない、そんな時ほど。何にせよ君の幸せを、誰かの不幸の上にはない幸せをと思うなら常にそれは本当かも知れない。
でも、語られるほど強くあるものは少ない。些細な揺れでしかないかも知れない。或いは気まぐれ。
ただそんな事を思える自分でありたい。そう台無しにしてみたところで何かは減るだろうか?どうせなら全部そういう気持ちで願えるなら、本望なのかも知れない。
夕焼け小焼け、向かうところ、明日。いつもまた掴みきれずにまた明日と。だけどまた明日と。
密やかに告げよう、そんな気持ち。触り心地のよい洗い立ての安らぎ。温かさに気付かせてくれたその微笑みは、同じように誰でもないけれど誰かに向けられたものだろう。
想う向こうに確かなカタチがあって、その世界に僕は生きているとそう思えたのですと、どこかに向かって言うのも良いのだろう。
この言葉が続く限り、続いてゆくのかも知れない。どこかで願われた何かが。
失われたものだけではなく、残ってゆくものを見届けるようなそんな肯定もある。悲しみとも違う一つの希望で。知ったからこそ、また愛おしく思えている自分が確かにあるのだと。
呼吸を整えるように言ってみる。それがあるのはただ必要とする者の為なんだよと。偉大な者になろうとする気持ちももう要らないのさ。
ただ普通に届けたい。埋もれそうなほどのその中から届くべき人に。
誰かにとっての特別でありたいと願い、その為に何かをする。ただ今はまだ見えないだけだ。同じ強さで求める、そんな。
単純な事だった。僕はただ求めた。幻想なのか実在なのかも分からない、そんな誰かを。
自分の中の分かりやすい感情は恐怖です。それが源であるなら、それが無くなってしまうと無感情に思われてしまうようで、時々ドキドキしてどうなるか分からないという経験をしないと退屈になってしまうというのもあります。退屈というのは理性的に意味のないものだと感じた事を続けているうちに出てくる自然な情で、情緒的なものですが、それが何か曲者でもあります。
感情を理屈で捉える事と理性を感性で捉えるという事とでもいうのか、そういう夢を見て何だか理性と感情という括りが妥当なのか分からなくなりました。
理屈とは感性を捉えた言語で表現されるもので、理屈を越えたものが言葉では言い表されないとすれば感情は不能です。理屈で捉えられないものを言葉にしようとするような、限界を突き破るような何かが感情だとすれば、感情とは情緒になり得ない部分だと思われます。という事は見逃されている肯定的な感情とは愛によって実現されます。
感情の源である意識がはっきりしていないと感情的にはならない?
感情は一般的にヒトにはあると言われていますが、情の厚さは人それぞれで「ある」けれど暑い薄いという捉え方をするものなのか、それとも「ある」か「ない」かで捉える次元もあり得ると思います。情があくまでもあって、それでも薄い人と、まるっきり無いのとでは話が違うというか、感情と理性という言葉で捉えて処理して情に流されないようにしているのとも違って、初めから情がなく、理性のみで存在する存在を神とでも呼ぶならそれは感覚的には存在しないと思います。むしろ情緒的に発達してくれば感覚で処理するのが自然というか、理性のがんじがらめに苦しむ事もないというか。
ただの幻想だとしても何かの意味になり得ると、そう思えているような。
「ような」としか言いようがない。それほどはっきり思っているのではない。感じているだけだ。
迷いの中で、ありきたりな言葉でも自分のような者の為にあると思えた。いつか変わっていった君に触れるような温度。
寄り添う。でもそれは通り抜けるもの。風にとっても自分にとっても。
それもまた一つの。
コミュニケーションというより「風」。誰かが誰かに伝えようという意図もはっきりはせず漂ったり、吹き抜けてゆく言葉。
見え隠れする。
高鳴っている。
それに何かを感じるから。また前を向く。
自分にとってナンセンセンスはふわっとしたものというかふわっとした印象の言葉なりイメージです。ふわっとしたものってどういうの?と言われてしまうと具体例を作るしかないのですが、関係性とか意図がはっきりとはしていない言葉ですかね、難しく言うと。
ふわっとした感覚で言葉を言うのもなかなか出来るものでもなく、、、。出来た時にはそれなりに理由があるのだと思います。
ふわっと肯定している。と言えますね。
飾らない言葉で感謝を伝えるという、そのシンプルさで善いといえば善いし、足りないといえば足りないだろう。図らずもこぼれ落ちるものに心の有様を知らされる。
容易く与えられるキャンディーのその甘さのような唯一性。あの時のそれ、何気なく幸せな。君に辿り着くのもまたそんな何かなのかも知れない。
もしその道にこの言葉があったら、そのひと時に留められた味があったら、いつか覚えていてくれるのなら。