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掌のワインディングロード ㉘

Y市、というかY県。僕が事前にイメージしていた風景とはやっぱりどこか違っていて、デザイン性があるのだけれど質素な感じがする駅もここが紛れもなく都会とは違う場所なのだと訴えてくるようだった。一応競馬の知識があったので新幹線で通り過ぎた隣県であるF県のF市には競馬場がしっかりとあるのを一瞬だが確認できてテンションが上がった。そこからさらに北上するY県に対する印象は、正直言って薄らと穏やかな雰囲気だったが実際に降り立ってみると大井さんがそこが出身だという事実がどうもしっくり来ていない自分が居た。


駅前は人が少ない。土曜日にしてはというレベルではなくて、そもそも人がそんなに降りない駅のような感じさえあるがそれにしても人が居ない。僕のその不思議そうな表情を読み取ったのか大井さんは、


「田舎はこんなもんよ。もっとも、私はむかしここをそんなに田舎だって思ってなかったけど」


とどこか上機嫌に語る。細井さんはある程度知っているのか特に気にしていない様子だった。


「なるほど…」


そう頷いてから、見るもの全てが新しい…というか懐かしい感じがある駅周辺を少し見渡してみる。妙に開けた空間と、疎らな建物。美味しそうな食べものがありそうな店などを発見したので大井さんにこの町の名物を訊ねてみると、


「そうね、多分だけど今は牛肉とかじゃないかな。テレビとかでブランド牛として取り上げられてるの見るし」



という答えが返ってきた。細井さんは「じゃあちょっと食べたいな…」と洩らしていたが大分高級そうである。


「私の世代だとちょっと少ないけど、母親の世代はお祝いで鯉を食べてたって言うけどね」


「鯉…ですか。どんな味がするんだろう」


「まあ想像に任せます」


こんなやり取りをしながら少し歩いてバス停へ。予定だとこの後史跡を巡ることになっていたが時刻表を確認するとすぐに到着するらしい。


「うわ…次の時間だと午後じゃないか…」


細井さんが少し驚きの声を上げた。ローカル旅番組などでよくありがちなバスの本数が少ないという事象がここでも確認できたのだ。


「Y市らしいところって言われると街全体が基本的に同じような感じだし、やっぱり戦国武将とか歴史的なものを見ておいた方が良いのかなって思ったから」



大井さんがそう説明している間にバスが到着する。僕等の他にも一応お客さんは乗り込んだけれど、悠悠と言った感じ。市内循環バスが発車し、町を一通り巡っている間に窓から様子を眺めていた。多分僕だけだったら来ることもなかったような町。なにかもったいない気がして見慣れない町並みで目に留まるものがあるとスマホを向けたりしたけれど、かと言って撮るまでには至らない感じ。



そんな僕でも流石に目的地に到着した時には感心せざるを得なかった。名の知れた戦国武将の家が代々この町を収めてきたという話はどこかで聞いて知っていたけれど、その名を冠した神社の周辺にはマニア心をくすぐる物産館や歴史資料を集めた大きな建物があり、しばし歴史に思いを馳せていた。自分もそれなりに勉強は好きだったから学生時代の記憶が刺激されて面白い。学生の時の授業中の見学ではなく、本当に気軽に眺められるのであれこれ想像して楽しむ。



ここで対照的だったのは大井さんと細井さん。大井さん曰く「そんなに来た事がないから」と妙に熱心に資料を呼んで「へぇ~」とか「そうだったのか」と感嘆の声を洩らしている一方で、むかし競馬ゲームでもお馴染みのあのメーカーの戦国武将のアクションゲームが好きだったという細井さんは物産館にそのグッズが普通に置いてあるのを見てテンションが上がっていて、歴史資料もどちらかというとゲームに寄り添ったカタチで解釈していたような気がする。


「ああ、独眼竜もここが生まれ故郷だったのか!!知らなかった!!」



某独眼竜…というかあの武将はどちらかというと同じく隣県であるM県のS市の方の印象が強いが、意外な事実を知って思わず感心する。


「う~ん…でも私あの人よりも『武神』の方がやっぱり好きかな…」


大井さんは少し複雑そうだった。とにもかくにも歴史をじっくり学んで充実した気持ちになる。神社の方は意外とと言ったら失礼になるかも知れないが賑わっていて、子連れやお年寄りが多く感じた。写真を撮るならここは丁度良く、折角なので通りがかりの人に頼んで3人で記念撮影をした。


「そういえばあんまり写真って撮ったこと無かったね」


大井さんが何気なく言った事だがそれは事実だった。まあ3人で始めて競馬場に来たときとかは撮ったりしていたけれど。


「じゃあそろそろ出ましょう。今からK市に行ってそこでホテルのチェックインを済ませなきゃ」


その大井さんの言葉に細井さんは少し躊躇いがちに、


「聡子、今日はそれでいいのか?」


と訊ねる。これは僕にも分ったけれど、大井さんの実家に顔を出さなくていいのか確認していたのだ。大井さんの心境を推し量ると、複雑な気持ちになる。なにせ僕も似たようなものだから。


「うん。今日はいいの。まあ、いつか…」


そう言った大井さんはどこか寂しそうに思えたけれど、僅かに明るいような気もした。
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それでいいのだから

わずかなもの、はっきりとではないけれどあり得ると思えている程度に残っているもの。


今が、それが全てのように覆う。微かな柔らかさが何かの説得力を伴うとしても、見つからず。ただ僕がこうして続けて来た事が雄弁に語る。けれど、また僕が僕を本当だと思えるかの保証がない。


君さえ僕が本物のように思われないだろう。僕だってそうなのだから。でもそういう妙な生々しさでおかしな希望を語る僕。


笑えばいいと思う。本当のところそれでいいのだから。

過去から今へ

何らかの意味で過去の先に自分が立っていると感じられています。過去に残してきたものが現在にも伝えるものとして残っているがゆえと言いますか。


ナンセンセンスの方に感覚的に説明していますが、過去に書いたものでも将来の自分に宛てているとか、いつになっても「前に」とか「今」に感じられる位置で語っているような決意などはちゃんと読む気があれば伝えてくれるんだなと思います。


「読む気」と言いましたが、やはり書き手がどんな意図でどんな気持ちでどんな心境の時に書いたかという背景が分からないと読む気がしないのも確かです。想像力を働かせて解読するような文ではなく、というのが理想ですが心境によっては説明する余裕もないとか、限られた人だけに理解できればそれでいいように書いている場合もあります。まあ本当に解釈したいと思う人にとってはそれでも十分な文の時もあります。


ブログとしては読者に読みたくなるような工夫とか、なるべく詳しく分かりやすく書く事が必要ですが、何より内容がある事が前提です。



私の場合、内容はあるのですが日常的な事で説明するにしても難しくなりがちで、難しいという事が分かっているから語れないままで、まずは難しいとしても読んでくれるような読者との関係と言いますか、信頼がないといけないと思っているわけです。


あとは信頼を勝ち得るとしても、更新頻度が下がると見られる確率は下がります。基本的には創作を続けてゆく事が目的のブログですが、それを書くにも日記を書いたりしながらでないとそろそろ書けなくなっています。


実は構造はもっとややこしく、ナンセンス物語を書く場合にそれまで書いたものではないように書くとすれば試行錯誤が必要で、とてもエネルギーが要ります。それを動かすために、他の事も連鎖的に必要になるのでナンセンセンス物語で書いたりする事もあります。


で、そういう風にやってやろうという意識とか気持ちを維持する際に過去に残してきたものが必要になる時期が来たかなという感じです。



気持ちとしては誰一人として読んでいなくても、理解できなくてもその領域に足をつっこまないと新しい境地には至らないというか、書いててふっと我に返ってしまうから、難しいというか、そんな感じですね。

これから

前を向こうとしている時に、過去の印象が強ければある意味で今を感じにくくなってしまうものなのかも知れません。むしろ今を生きる場合に何かネガティヴな考えに陥りがちになってしまう時には「今だけ」の意識にはなりにくいような気がします。


それでも「今」にある生きた感情から始めるべきであるとするなら、そしてそれが本当の始まりであるなら何度となく「今から」始めるべき瞬間というのは訪れるのでしょう。



「これから」の事を考え始めているなら何にせよ前を向いていると言って良いのかなとも思います。そう考えた時にまだやりたい事があると本心で思えているのも心強いのかなと思ったり。

迷いの部分と

情報という言葉で言うべき事なのかどうかは定かではありませんが、何か自分にははっきりとした記憶に由来する迷いがあって、固有性があるとすればそういうところなのだと思います。ある意味で迷いの部分を語ることがそのまま記憶の情報性と向き合う事でもあるのかも知れません。


それは僕の

ないような気がするのにやっぱりあるように感じる。記憶は薄れてゆくけれど、前でもなく後ろでもない、いつだって何処かにあるような言葉の温度。調べに誘われて声を連ねる。


前を向くからこそそこに向かう瞬間があって、振り返るからそこにもあるような気がするのだろうか。いつか求め、そしてこれから先も求めるとそう信じた何か。



また意味になってゆく。また欲してゆく。「それが全てだよ」と微笑み、どこかイタズラしているように。

再始動

一人で生きているわけではありませんが、個人として発言する場合にはやはりひっそりと述べるのが性に合っているらしく、結局誰かを意識するとしてもそれもまた自分にとって自然というか。


また新たな気持ちで作品を書いてゆくつもりです。

ときつば

向こうへの、つまりそちらへの言葉は果たして意味を成すだろうか。今ではない時に向けられた意識でここに見えない人に言葉を差し出す。

私は未来を思い描いてでもいるのだろうか。それを本気にし始めようとすれば「本当に」そんな時が来るのだと信じる必要がある。


ナンセンスにならないかも知れないがはっきり意味があると思えてはいない。


未来と言う名の空想の世界や異世界ではなかろうか。そんな風にさえ。



どの時代のものでもない言葉。どんな時に向けられた言葉?



こういう言い方が正しいなら時を越えているのだろう。そこに対話しているのだろう。かつて誰かがそうしたように、私も「どこかの時」に「いつかの誰か」に向かって話しかけている。私がそうだったようにそれがその時誰かに伝わるなら、その誰かもそうするのかも知れない。


君はそれを何と呼ぶだろう?



君を知らない僕の言葉が言葉になっているなら確かに「今」は変わらず今だろう。それはどんな時でもない今。じゃあ僕はいつから話し始めていただろう。僕にとっての今は何なのだろう?



優しい歌が聞こえて来る。もう良いだろうか。

今でも

募るらしい。まだ今でも。

君にとって何かであるような、そうでもないようなそんなユニークさに僕は立っているだろうか?真面目だからこそささやかに贈り、贈りというほどのものでもなく届くのかも知れないのです。

何が出来るというわけではないから。ただ何かになったら良いと、そんなところに辿り着きました。


失われてゆくマジカルワールド。でも私は不思議な気持ち。懐かしい響きに連れて行ってもらえそう。そして喩えようもなく。


喩えようがなく。
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Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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