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父親として

「パパに吹き出しを埋めてもらうの」

娘は唐突に言った。その時テレビでは鳩が豆鉄砲を喰らったシーンが特に深い理由もなく流されているところだった。娘のその容易ならざる要求に辟易しながらも、一応は子煩悩で通している父は娘を一顧してこう言った。

「たらちねの、たらたらしてんじゃねーよ、たらちゃんよ たらばがにだって たらればだろうよ」

「は?」

娘は当然のごとくこの和歌モドキに反感を覚えた。

「いや、「誰も求めてねーよ」って思ってたかもしんないけど、そこの練は甘いっていうか安直じゃない?普通はさ『たらちねの、たらこパスタで、たらいまわし たらればだって たらんてぃーの』とかでしょ?」


そう告げられた父は知らず知らずに人間的に成長していた娘を愛おしく見つめた。


<そうか、子供というのは見ていなくても勝手に大きくなってゆくんだなぁ>


しばらくしみじみと時の流れを感じていた。娘がこの世に生を授かった時の事、初めてハイハイをした時の事、初めて近所迷惑のあのやかましい歌を歌いはじめた時の事、初めて父のボケにツッコミを入れた時の事。それらすべては彼の人生にとってはどれも宝石のような思い出で、今日のこのシーンも無事彼の宝石箱の中に加えられる事だろう。


こうして家庭内のほのぼのとしたやり取りに比べて世間はやかましいものである。やれ税金がどうだ、やれ年金がどうだ、やれアメリカで突如決まった厄介な対日方針がどうだ、地方自治体の涙ぐましい努力が虚しく廃れてゆく地域がどうだ…そんな事を考えていると腹が減ってくるので辞めにしよう。というか、その方が無難である。


ところで娘はその時少なくとも一瞬は真剣に学校の大して重要でもない些末な宿題に取り組もうと思ったけれど、肝心の父親がまたトリップしかけいるので再び途方に暮れ始めた。大して重要でもないと分っているから本気になれない。だからといって雑にこなしていては自らのプライドと体面に関わる。少なくとも自らが「やった」という気分にならなければこの宿題は済ませたとは言えない。なまじ父が与えたギャグ漫画の英才教育という偏愛が彼女を苦しめてもいるのである。


「いや、たらちねのはいいと思うんだよ」


娘はコタツの上のみかんの皮を剥きながらそう独りごちる。この頃タンパク質が足りてないと思うけれど具体的にどうしたらいいのかよく分からないが、みかんでタンパク質は補充できるとは思えない。ついつい手当たり次第に間食してしまうのもそのせいだと言い聞かせているけれど、少し無理があるだろうか、何てことが頭を過ぎった。


「パパはさ、そもそも最近始めた瓦割の修行について自分自身どう思ってるの?」


相撲レスラーに巴投げを喰らわせるような気持ちで父を揺さぶる。そこでめくるめく旅から戻ってきた父は少し遠い目をしてこう呟く。


「魂は合ってると思うんだよな」


「魂?」


「俺は魂は信じないが、魂は合ってると思うんだ。ぎこちないけどな」


「何の魂?」


「武道家の魂だよ」


「ごめん、ちょっと迷子になっちゃうから詳しく説明して。なるたけ論理的に」


そうお願いすると父は背もたれからぐっと身を起こして身振り手振りを加えて説明はじめた。それは要するに無内容だった。どういう風に無内容かというと、「武道家の魂」なるものが存在すると仮定して、それはいかなるものかは言葉で説明するのは難しい。ゆえに、「武道家の魂」は父の中にあるのかも知れないもので、それによればその魂が瓦割には適しているという事を述べているだけというものだ、


「つまり、なんとなくそれっぽいことを言ったのね」


「まあ常套手段だよな。その宿題もそんなもんだぞ。大体、その設問の設定がおかしいべ。まず平安時代にタイムトリップした学校教師が、雅なる人の前で自作の短歌を発表するという状況の吹き出しとか、それ何の授業の宿題なんだよ」


「確か今は無くなった生活科の宿題だね」


少し不思議な言葉だったので父は聞き直した。すると、


「いや教育学の歴史を研究するんだけど、昔あった生活科がどんな事ものなのかを調べる必要があって、それで具体的に当時の生活科のテキスト通りに授業をしてみようという事になって、その生活科の授業の一ページに設問があって、何でも「生活に密着した想像遊び」としてロールプレイングゲームをしてみようって事なの。で、ロールプレイングゲームも普通じゃ面白くないから、タイムトリップとか現代的な設定を取り入れて、その設定になったわけ」


その説明を聞いて父はものすごく大きなため息をついて一言。


「くっそどうでもいいな。どこからどうでもいいのかすら良く分からないくらいどうでもいい」


「それは言わない約束でしょ?」


「まあ年明けにやったら?今日は大晦日だし」


「それもそうね」


「ところでお父さん」


娘はその時「お父さん」と言い換えた。


「なんだ?」


「彼氏できたから今度連れてくる」


「『どうでもいいな』ってボケた方がいいかな?」


「どうでもよくなくはないんじゃないかな?ん?どうでもよくなくないわけじゃない?かな?」


「少なくとも、その宿題よりは大切なんじゃないかな?」


そう冷静にツッコんでみると、少しは父親らしいところを見せた方が良いのかなと思ったりする父であった。
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問いたい

難しい事とも言えますが、言葉で説明しようとすれば雰囲気のようなものでしょうか。もともと雰囲気は言葉で説明する事ではないと思いますが、敢えて説明している部分はあります。


懐かしいような、でも知らない部分もあるようなそんな感じで何かに触れているときは心が踊るような気がします。目を瞑って耳を澄ませていれば聞こえてきそうな音とか、遠くに想いを寄せている時に感じられる広がりとか、何処かにある筈だと思えている光景とか。


何を求めているのかは不確かであるものの、非日常のようで、でもあり得そうな、そんな雰囲気に惹かれる今日この頃です。

今日は

ただ何となく出し切っていないなと感じるので書くのですが、今日は有馬記念を見に県内の競馬場に行ってきました。とにかく盛り上がってたのですが、レース自体も最高でしたね。


掌のワインディングロードも競馬の要素が大きい作品ですが、需要はあると信じる事にして何とか書き上げたいと思っています。

掌のワインディングロード ㉙

Y県のY市を後にした俺達は今度は電車でK駅まで移動した。K駅は丁寧に語尾に「温泉」という文字が入っている独特の駅で、独特の趣のあるY市と作りが似ていていかにも旅に訪れる地という感じがした。3月も末だったが、関東に比べればまだ比較的寒さの残る地域だとは思うがだからこそ「温泉」という響きは魅力的で、そろそろアラサーと意識しなければならない俺も無意識に歳を喰っているなと感じられたりもした。


Y市を去ってからの聡子は幾分リラックスした様子だったけれど、K駅は聡子にとっても見慣れない駅であるせいか駅を降りてしばらくはスマホの画面を見つめながら、


「えっと、ここからは…」


と次の行先を熱心に確認していた。


「ここ何にも無いし、やっぱりバスで移動だよな」


と一応念を押してみると、


「うん。そうそう、先ずはホテルにチェックインしないといけないから。タクシーでも良いんだけど」


という返事。タクシーというのは良い判断だと思った。聡子の負担も減りそうだし。


「あそこにちょうどタクシーが停まってるから、行ってみよう」


そのまま都合よくそのタクシーでホテルまで移動できる事になった。道に迷う事を考えればこちらの方が確実である。出発してみると予約していたホテルまでそれほど時間は掛からずタラちゃんが言うには、


「これくらいの距離ならぎりぎり歩けそうですよね」


だそうである。流石に歩きたくはないがいざとなったら歩ける距離というのは何かと都合が良い事がある。タクシーは予約していた大き目のホテルの前に停まる。道は途中から次第に「いかにも温泉街」という風情になってきて、ホテル自体も写真で見るよりも立派な建物のように感じられた。愛想の良さそうなフロントでチェックインを済ませ5階の一室に聡子と俺、もう一部屋にタラちゃんが入室した。みなすぐ荷物を置いてから再び集合しある意味メインの目的地へ出掛ける事にした。


「ここからはバスが良いみたいですね」


声が弾んでいかにも嬉しそうなタラちゃんは、その目的地を念入りに調べてきたようである。バス停からはタラちゃんに任せることにして、俺はスマホでそろそろメインレースの近づいてきた『JRAの方』の競馬の結果を確認しながらバスを待つ。


「今日って確か日経賞よね」


もはや意外でもなく聡子が普通に今日の中山のメインレースの名を唱える。


「ああ、この前観に行った有馬記念で勝ったブロンドアクターが楽勝するんじゃないかな?」


「同じコースだもんね。競馬ってギャンブルなのに不思議と『堅い』って事があるから面白いよね」


「オッズだってみんなが買った馬券が反映されているだけなんだけど、やっぱり人気の馬が勝つ可能性が高いって気がするしなぁ…」


その辺りの事情を読み解いていけばいくらでも上手く馬券を買う方法もあるような気もするけれど、この頃はとにかく買う要素があるかどうかを気にしたりはしている。


「僕はアースサウンドが逆転するんじゃないかと思ってますよ。一番人気はこちらのようですし」


タラちゃんがさらっと言ったけれど、確かにこのレースの一番人気は鞍上の事もあってなのか前走勝利したはずのブロンドアクターではなくてアースサウンドだった。


「私は多分みんな考えすぎだと思うよ。素直に勝った馬が強いって信じればいいと思う」


「確かに。俺も普通にブロンドアクターが一番人気だと思ってたからなぁ…」



そんな話をしているとバスが到着する。Y市と同じようにバスでの移動は景色が新鮮で、いかにも旅行に来たという感じを味わえた。ただ次第に目的地が近づくにつれ辺境に来たような様子になっていったので、本当にここに「それ」があるのか一瞬不安になる。最寄りのバス停で降り、そこからしばし歩く。



「ありました!!うん、なんだか変な感じ!!」



建物を見ただけでタラちゃんが妙にはしゃいでいる。それは競馬場跡の、いわゆる「場外馬券発売所」と呼ばれる場所だった。建物自体はこじんまりとしているが広い敷地で、駐車場には車も多く停まっている。一応スマホで写真を撮ったりしながら、看板の文字を読んでみて確かめる。そこで素朴な疑問。


「俺、いまいちシステムが分らないんだけど、ここってJRAでいうところの「ウインズ」だよね」


「ええ、そうです。違うのは地方競馬の馬券が買えるって事ですね」


「う~ん…もう私には分らない世界だわ…」


「大丈夫です。僕もそこまでディープな世界には「まだ」行くつもりはありません。でも、こうやって競馬に関係した場所を訪れて雰囲気だけを見てみると、いつもと違った風に競馬が観れるかもなって思います」


「中も凄いね…」



建物の中はいわゆる異世界。とにかく沢山のモニターにはどこかのレース、そして馬券を買う機械が置いてあって異様に男臭い空間。これは流石に聡子には厳しいと思ったので、何となく入口付近に置いてあった資料などを貰ったり、一通り周って外に出た。


「Y県にもこういう場所があるって事は本当に知らなかった。むかしは普通にこの近くでレースもやってたんだもんね」


「ってか地方競馬に興味がでてきたら絶対聡子は大井競馬場行かなきゃならんだろう」


「なんか話によるとあそこは夜のレースが観れるみたい。しかも最近お客さんが増えてるって話」


「競馬関係の場所を巡るだけでも全国ありますからね、旅のついでに観てくるっていうのは悪くないかと」


そんな話をしていたけれど、結局そこでは他に特にする事も無いのでまたバスに乗り、温泉街付近で降りてそこから『普通』の散策を始めた。ちなみにバスを待つ間にメインレースの結果が分かり、スマホから動画でレースを見てみる。


「有馬記念とほぼ同じですね。キタガワブルーが居なかっただけって感じで」


タラちゃんがそう評したように、勝ったのはブロンドアクター、そして2着にアースサウンド。そして3着だった馬が有馬記念ではキタガワブルーの後の4着だったから、完全に実力通りである。


「やっぱり素直に信じればよかったんだよ」


聡子のちょっと得意気な表情が印象的だった。

だいぶ

どこに向かうか少し迷っていたものの、正道はやはりこちらなのだと思い新日記の方に書きます。以前に比べると書く事についても、生活もだんだんすっきりしてきたように感じます。あれこれ考える部分があっても、最終的にシンプルにというか素直に語れるようになればいいのです。


何を求めるかという事が最近では気にしなければならない事のようで、それもすっきりしてきたからこそはっきり自覚している自分がそう感じているというか。

漂っているセンス

語られない領域を、否定によって限定された可能性の中を漂っているのがナンセンセンスである。つまりそれは肯定しきらず、否定し切らない事によって続いている領域を言葉で埋める感覚である。


その領域を漂うナンセンセンスが語らずに示している事から、肯定、否定のはっきりした思考を引き出すならば。

向こうを見ている

なんと言いますか、もっと具体的に話してみたいなと思う事があって、すごく良くわかる話の方が結果的に「動く」というのか確かに受け入れられると思いますし、自分としてもはっきり捉えたなと思えます。


色んな理屈やら過程があって、普段の判断になっていて往往にしてそういう部分は意識してないのですが、そこのところをすっ飛ばすとともかく何故だか妙に気になるものがあるわけです。


それも場合によっては一つのものとか一つの事ではないんです。だから「何が」とは限定できないのですが、そういうものの向こうにある何かを見ようとしているのかも知れませんね。


一つの到達

意味がない、とそう言いたくなる。ナンセンセンス自体を意味があるものとして語るなら、その意味があるという捉え方自体がナンセンセンスを排除するような。かと言ってナンセンスだと捉えるにはまだ何かであり続ける。


ナンセンセンスをナンセンセンスとしておくとして、ならばそこから何を語ろうというのか。

領域を前提し

捉えられた限界、領域。それは語られたものによってではなく、語られ得ない事が語られないままに示している領域である。確信はなく、それでも凡その事の成り立ちを説明し得る解釈が暗黙の前提となって判断する、その判断の拠り所。「少なくとも◯◯ではない」が積み重なったその余り。


上手く言葉には出来ないその集合をそれとして認識する時、それでもそこに理があるというのならその理から唐突に下された判断と脈略のないように見える言葉を、じっくり解釈しようという気になる。


そんなものかも知れない。感覚とは言いながらも、理によって厳然と示される領域を感覚的に表現している。

難解な

意味を肯定している。理由なき事ではない。理不尽さが横たわっていて、意識をする事も多分無理をしなければならないような事。

思考をするとしてもその理解が及ばないだろうと思って言葉にならない。意味の限界。その領域で単純化した言葉の羅列がある。すなわち繋がりが見えるものにとっては何かであるような。


虚空に向けて言葉を放つ事の無理、不能性。それでいて、その理由を分かっている自ら。語られ得る事の果てに、語られたとしても意味を成すとは限らない言葉がある。



では単純に。


そもそも何を伝えたいのか。「言葉には出来ない事」。おそらく単純なものではないと分かっている。それでも単純化してそれに主語を与える。


それも一つの理不尽である。


謎かけをしているのではない。特別な状況がそもそもあり得て、それを伝える事なしに一般化して説明する事。まあそんなところなのだが、断言は出来ない。



意味を肯定しないならば、つまりその繋がりを、感覚的に捉えている繋がりによる「意味がある」という感覚を肯定しないならば、途端に糸が途切れたかのように自らがそうしている理由を見出せない。


自らも肯定仕切れない。何故なら言葉になっていない、その繋がりを、繋がっているものだと信じきる事が出来ないから。「言葉では説明出来ないから」と分かっていて、ではそれは分からないということと違いはあるのだろうか?


「その繋がり」は、いささか運命めいている。が実際のところそれはある限界を捉えたものに過ぎない。まさに限界だからその線の範囲内で事が起こる、ゆえに運命に似る。言葉の鎖、立場の限界、そういうものが作り上げている見えない制約を打ち破る、そういうものは本来的には「理」であるなら「理」を通じてしか変える事が出来ない。「理」の中で捉えられたものによって、繋がりを説明できるかどうか、それ自体が今なしている事である。



「理」はそれでいて、その説明を「難解」と捉える。それを難解ではなく説いて見せることもまた難解で、それが可能なら、不能と思われる事の幾つかも可能になるのやも知れぬ。


ではこれは何だろう?ただの戯れに思えやしないか?むしろ私は何を伝えたいのだろう?それは言葉には出来ない。むしろ伝えるべき事がない。語られる事なく語られたと、そう思われる。



そんな感じ。
プロフィール

なんとかさん

Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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