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ここまで

どうにかしようとする意志と、動く気になればそう動いてしまえる事による悩みというのが自分にはあったと思います。自己満足というものが、ぐうの音も出ないほどやれることは(あらん限りの工夫して)やったぞという納得によって得られるものであり、それは世界とか世とか理についての実感とセットになっているわけで、かなり深いレベルで何事かを、自分の中ではやったなという静かな喜びがあります。


と言いつつも、社会で生きるにあたって日々求められてゆくことはありますし、またその時々で出来ることも生まれてくるでしょう。


上手くは言えませんが、作品を書き続ける事に繋がってゆくのも真実かなと思います。かな?
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馴染むかどうか

多分、何かの感覚的に不十分だと感じられる事があるから、というか非常に微妙な解釈を許す情報によってやや奇妙に揺れているところがあるというのをそのまま、でしょうか。


少し踏み込んでゆく、とも言い切れない感覚的な問題というか、それこそナンセンセンスとは違うけれど表現に含みを持たせて、そもそも感覚的に捉えた方が自然なのかも知れない作品があるんじゃないかなと思ったり。


その部分を「こっち」か「こっち」かで判断して進む場合には、時に別な観点から(揺り戻すように急に近く感じられて)振り返りつつ背景を知るとか長い道のりになり得るけれど。その先の方をある感覚の中では、と言いつつも、窮極的には感覚的に馴染むかという次元の問題にもなるんだろうなと思います。

きかい

昔見た夢のようなヴィジョンの事がふと思い出されました。かなり行き詰まっていた頃ですが、モノクロの世界である女性が微笑むように「機械になっちゃえばいい」と言ってきてドキッとして目が覚めたというか、はっとしました。


創作の事とかもそうですが、意味のある事とか価値のある事ってあんまり難しく考えないで、「機械」のようにやり続けていれば良いというのはある意味で本当でしょう。抵抗したくなる部分はありますが、自分の感情とか気分優先でやっていては有益ではない事もありますし、特に生産性とかは。


でもはっきりと自分が機械になったら、単純にそういう風に意味のあると思える事が無くなるんだろうなって思います。やりたいとも思えないし、やる意味を感じないからやらない。


明らかに作品を必要としているその自分の心で、作品を書きたいなと思う。というかその自分の心があるから作品が書けるというのは言い過ぎではないと思います。


それでも、あまり複雑になり過ぎずとにかく作品を書き続けられれば良いだろうなとは思うわけで、、、

「そうかい」感

『タリリ、リリナイ、タララ、ナイナイ』


そのアニメの中の絶妙に行き詰った場面で、突如覚醒して謎の呪文を唱え始めた主人公の少年。淡い光に包まれたと思いきや次の瞬間ドラゴンっぽい姿にメタモルフォーゼしているという、いかにもありがちな演出で視聴者である僕の心もにわかに踊り出したのを感じた。


「まあこうなったら安泰だろうな」


危機的状況からの大逆転は観ていて気持ちが良いもの。思わず心境が言葉になって出た。謎の集団に取り囲まれたままあえなく散ってしまうような展開は誰も観たくない。観たい人は嗜虐性が凄いと云うしかないとかいう要るのか要らないのかよく分からないフォローも、こうなったらもう事態を見守るしかないだろう。


変貌した主人公の必殺技と思われる大きく開いた口からの緑色の光線が雑魚っぽいキャラクターを焼き尽くす。悶絶しながら、


「くっそぉ…こんなところでえええ」


と断末魔の声を上げてその場に倒れ込んでしまった雑魚の姿を他のメンバーは冷や汗を掻くような顔で見つめている。<俺達もこんな風にあっけなく倒されてしまうのか…そ…そんな>という動揺が伝わる中集団の長と思われる人物はそこで、


『怯むな!!所詮はガキだぞ!!』



と団員を鼓舞し始める。普通ならここから無謀にも雑魚が挑んでいってほぼ全滅という感じになるんだろうと思い、まあそれも爽快感の要素とも言えるなと僕は思った。ところがどうもそこからの様子が『変』である。どういう風に『変』かというと、


『は?ガキでもあんな姿になったら誰でも逃亡するだろ?』


とどこかサブリーダーを思わせる強気のキャラが長に抵抗する。情けないがもっともだと思う。すると一人が「そうだ!」と言った瞬間に堰を切ったかのように他の団員がサブリーダーに同調し始める。その様子を忌々しげに見て、


『なんと情けない奴らだ!!』


と言ってしまったのが彼の運の尽き。


『そんならあんたが一人で戦えよ!』


という展開になってしまって半ばやけくそ気味に主人公に特攻してゆく長。勿論敵うわけもなく返り討ちにされて倒れ込んでしまう。そうなると余った人員は、逃げるが勝ちとばかりに一斉に森の向こうに…。



主人公が勝ったのは良いけれどどうも後味が悪い。呆気にとられてしまった僕は一度動画を停止して冷静にダイエットコーラを口に含む。<まあこういう演出も現代的でありなのかな…>と思い直したところで動画を再生する。



するとここで更に『変』な展開が…。


主人公が人間の姿に戻ったところまでは良かったのだが、何故か倒れていた2人の男がゆっくりと起き上がったのである。


「へ…?」


『へ…?』


主人公と僕の声が重なる。しかもあんだけ苦しそうに倒れたのに、やけに冷静に立ちあがったの見れば尋常ではない事が起っていると言うしかない。だが何故自分がぴんぴんしているか分らない男2人は見つめ合って首を捻っている。


『何で大丈夫なんだ?』


『さあ…?』


主人公もこうなると警戒した方がいいのか静観した方が良いのか分らなくなって身動きが取れない。


『とにかく大丈夫っぽいっすね。でも、また向かったところで同じように一時的に気絶させられたんじゃ勝ち目ないですし…』


部下らしい一言の後、面目をつぶされた長が重々しく頷いて、


『またあれを喰らったらとにかく苦しいのは確かだからな…』


と情けない一言。そして更に、


『それよりも問題は逃げたやつらの方だ。「吉岡」め…前から俺に突っかかってくると思ったらこんな時に謀反を起こしてきやがった』


とおそらくサブリーダーの名前を口にしつつ非難がましい事を言う。


『あ…そんな事があったんですね…』


真っ先にやられてその辺りの事情を知らない部下の男は『ご愁傷様です…』とばかりに気の毒そうな顔で長を見つめる。


『あ…あの…俺はどうすればいいですかね?』


この重苦しい沈黙に耐え切れなくなった主人公の少年が彼等に訊ねる。


『ああ、まあいいよ。ここからは大人の事情だ』


『いいか、坊主。幾ら道を踏み外したからって規律を乱すのだけはやめとけよ。逃げたやつは後でもっといやな目に合うんだから』


斬新な台詞を吐いて静かに歩いて森の中に消えていった2人の男を見つめている少年、と画面の外の僕。



後日僕はこのアニメを肴にして友人と語らい合っていた。



「いやね、ああいう現実的なところをファンタジー世界で見せられると確かに面白いんだけど、そりゃあねそれこそ子供の世界に大人が介入している極端な例だと思うんだよ。そもそも視聴者と製作者のメタファーというかさ」


「まあそうだけどテンプレートな悪役の方が不気味という解釈があるからな。バイ〇ンマンみたいに純粋に意地悪するだけの存在の方がもしかしたら異例だったんじゃないのかな?」



盛り上がったのは良いけれど、「爽快感」を売りにしているらしいこのアニメのコンセプトには疑問符を付けざるを得ないのであった。むしろ「そうかい」と言いたくなる感覚と、誰が上手い事を言えと。

活路

だいぶ意味づけのウエイトが重いところを動かせるようになっている。実際の生活でなかなか動かせそうにないと思っていた方向で自分の行動が伴っている事が手応えとしてあるからなのか、また少し何かを背負い込むように書き始めても余力がある感じ。


とはいえいざ自分に課してみると「意義」があるような発言をするのも相変わらず難しいなと感じる。今や多くの人がネットでアカウントを持って発言するようになって、不用意な発言は身を滅ぼすとでもいうべき状態が続いている。


身の丈にあった発言をするのを心がけていると、ささやかに自分の身の回りの事とか、個人的な工夫が語れる事になる。それを地道に続けていったとして期待しているような事に近づけるのか、というとあまりにも掛け離れているように感じる。


メレンゲというアーティストの「クレーター」という曲の歌詞のそのままの心境。



自分の中では難しいという事で踏ん張りをみせていないと実際動かしているという事にはならないと思う。難しいのは承知している。難しいところに活路があるというのもまた事実なのかも知れない。

そんな感じで

既に作られている物事があるからこそ、それを突き破ってゆくようなエネルギーがカタチになると言えばそうでしょう。昔は難しく考えていましたが、当たり前のように過去に作ってきたものを超えようとする位の意欲を自分の中に感じています。


熱に浮かされたような状態のように感じる部分もないではないですが、そもそもテンションが高くないと出来ないような事に挑んでいるのです。何というべきなのか、、、まさに「この熱量」にどの言葉を被せたらいいのかとでもいうべき悩みがあって、冷静と情熱の間で今も適度に分配している感じです。


熱さだけでは言葉にならなくなってしまいますし、冷静だけでも硬い言葉になってしまいます。


そんなのも分かりきった事のようで、、、。



その時だけのものにしたくはないんですが、かと言って表しきれないものもつくりたくはないというか。結局は世の中全体のうねりとは独立に、何かを作った以降にテンションを底上げするような感じが理想という気持ちがあって、ピークが続くというのか、そこそこ高いテンションのまま続いてゆくように作っていきたいなという。

概念として

基本的には「自分」という語の意味としては十分理解はしていると思われます。ただ「自分」が
どんな存在かという事を考えてゆくと「自分らしさ」を起点にするとか、その時その時の判断や
行動に現れている自分のユニークさが手掛かりになるのでしょう。


ただすごく回りくどく「これは自分ではない」と思えたところや「これは自分らしくない」と
思えたところで、外延を考える概念でその可能性の領域を除いた部分の方が自分とか自分らし
いと感覚的に捉えることも出来るような気がします。(つまり「自分らしくない」という要素を数え
上げていった集合(概念)の補集合という感じ)



ただほとんどの場合、自分の事について「これは自分ではない」と思うような事はなく、例えば
ちょっと暴走してしまったけれど、広く捉えればそれも自分なのだといえるでしょう。ただ「自
分らしさ」についてはその場合には失われていて、じゃあ「自分らしさとは何か?」と言葉で説
明せよと言われるかもしれませんが、そもそも感覚的な事だとするなら説明は不能だろうと思わ
れます。ただそれでも敢えて言葉でとなるならば、何かと比較というか、似ているという表現を
用いたり、今言ったように「これは自分らしくない」という除外によって示されるところを「自
分らしさ」と外延として定義するべきなのかも知れません。



「ナンセンスに」で続けているように、「カテゴリー」である気分とか雰囲気を区別してそこで
それだけを表現するようにしていると段々より自分らしい領域がカテゴリーとしてはっきりして
くるような気がします。もちろんそれは程度の問題であり、自分が変化するという事を一旦保留
にしておくならば、どの雰囲気にしても微妙な自分らしさがあるのでしょう。



実際、わたし自身が「これは自分らしい」とか「これは自分らしくない」と思うというのか規定す
る事で固まっている部分もあるのですが、ただその際にも『無理をしているかどうか』というのは
当然考えなければならない要素でしょう。



『一生懸命自分らしくあろうとしている』はどちらかというと演技のようにも見えてきます。

まだ

自分の気持ちを高めるものを外化し仕掛けを作ってみる、環境を整えてみるという考えを広げてゆくと、究極的にはそういう世界を創り上げる事なのかも知れません。

社会自体がそういう仕掛けを知らぬ間にしているという捉え方も面白いですが、個人で意識できてやれる事のレベルで言うと身近なものに自分の意図を張り巡らせておくとかです。とはいえ自分でも意識し続けるのは大変と言うか、実質不能に近い時もありますし、忘れているような時もあります。


それでも、ほとんど偶然のレベルでやろうと思っていた事の価値を思い出すというか再発見して、そこからループというかルーティーン的にチャレンジを再開したりという繰り返しがあるように思えます。


で、そういうことに大事な気持ちを高めるものにしても、意外と「そういうものを作らなきゃ」と思ってても出来ないですし、出来たものがそうなっている事の方が多いと感じます。


どこまで仕掛けを作ったり環境を整える事に意味や効果があるかもあると思いますが、意図でやれる事はそれとしてやってみようかなという気分です。


どうも目的と手段というのは本当にどっちを望んでいるのか分からなくなる事もあって、そもそも大望にしてもシンプルな喜びを味わいたいというだけなのじゃないかと思ってしまったり。でもどこかで両者が結びついているようにも見える時があって、例えば今なんかは歌をもうちょっと上手く歌えるようになんて考えていたら、気分を高める事も大事だなって思い始めて、結局はテンションの問題でもあり、、、


とここで書いてきたように、そういう「世界」を具体的にするという事にも関係しているかもなって感じで続きを書いたのです。


この「意識的な」作業を続けると遠回りだろうが何だろうが何でもその為にやっているレベルに見えたりしますが、実際常にそれを意識してしまうと疲れるし、殆どは自分で決めた一つ一つの目標を達成する繰り返しです。


ただこうしてやっぱり同じところに戻ってきているのを確かめると、まだ出来る事があるんじゃないかと思えたり。

また一歩

自分の中でどこかに持っていた「ここまで」という感覚が、何かをきっかけにして取りさらわれてしまっている事があります。選べなさとか、自信のなさとかなのかも知れませんが、本当にちょっとした情報が真実だと分かると迷いが無くなって少し先に行けたりするのが、この世界でしっかり生きている証なんだなと思います。


ここで続けている事も作品について「強度の体験」と呼んだところのものでしかないのなら、相対的に「本当らしい」というだけで終わってしまうプロセスなのでしょうが、事実に立脚して、ある程度の理屈があって向かっている方向というのは必ずしもそれだけではありません。


他者との関わりの中で、他者がこう動くから自分がこう動くという連鎖の中で生きているならば、理論的には自分からある方向に目的を持って動いて行くなら、そのあおりといいますか、それこそ演劇の世界をその都度立ち上げるような世界が始まってもおかしくはないわけですが、それを一人で続けるのは無謀でもありますし、非常にしんどい事でもあります。


「ナンセンセンス」にしてもそこに見えてくる世界観はある強度をポテンシャルとして持っているのは疑いないとは思いますが、感覚的にそうだという判断で常に行動できるわけでもないというか、少なくとも何か拠り所を欲するのも自然と言えるでしょう。



だからこそ、というかより確かに亀の歩みのような進み方でも着実に語れる事を集めていこうというのが「ただ一つの」のテーマなわけです。自分の感覚と経験的な事からの判断で言いますと、ここで語っている事のテンションと内容は「かなり強く意識すれば」現実的なところにあると思います。



歌で表現するならキーを幾つか上げて、一生懸命キープするような世界観ですね。ナンセンセンスの場合は感覚的に冴えている時に綺麗に歌えるような世界観で、違いがあるとすればメッセージ性でしょうか。理論があれば「ただ一つの」的な世界は出現し易くなるという感じで、歌で表現したいと思っているのも、それが作品となる事で反復されうるものになるからです。



継続可能である事が求められます。
プロフィール

なんとかさん

Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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