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真実と思うことに

時折凄味を感じる事があります。人と接していてとか創作物を見て、ここまで「迫って」ゆけるものなのかと。けれど一方で自分も必死に追ってきたものはありますし、作品であれこのようにしてであれ、ギリギリの線で続けているような時もあります。


真実に対して誠実である事と、あくまで良識を失わない事を続けて行った場合に遭遇する理不尽の中に実は内容があると感じます。もしかするとまるで違う前提で動いているようなこともあり得るのか、と思いたくなるほどの理不尽さがあって結局それをどう解釈するのかで世界観すら違ってきますが、良識から始める事を放棄したとしても上手く捉えられるとは限りません。むしろ解釈から考えられる可能性の否定を通じてしか迫れない領域があるんじゃないかと思うのです。


実際のところ知りたいことについては、知らないままでも生きて行けるのが割と本当のところで、何はともあれ生きて行けるなら良いという事がある意味の真実なら、もしかすると当人としては知らないままに無意識的に処理して他者が受け取っているものの中に何かの真実が積み重なっているのかもと、、、それは果たして妄想でしょうか、或いはただ考えすぎのレベルのことでしょうか。何にしても真実だと思っている事は表面上は取り繕えてもどこかには現れてしまうものです。
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難しくはなりつつも

何かが難しくなったのを感じます。状況に応じて切り替えられるというのは様々な可能性を同時に考慮しているということもありますが、自分が既に別の状況になっていると思って書き始めている事が象徴的なのかも知れません。


何かを共有し得ない、或いは部分的に共有しているという前提でより普遍的な事を話してゆくというのも悪くはないのかも知れません。自分も次第に人間関係が変化していって、気づかされることも多いというか「感覚」的なこともむしろご当地的な発想がない方がうまくゆく場合もあって、より広い方の意識で考えてゆく機会を増やすのも必要になってきたなと感じます。



とは言うものの、その方向から考えるにしてもなにか別の捉え方があるようにも思えて、個人的な事に向き合っているからこそ気付く一人ではないみたいな事が大切な気がします。

「こう」と

「こう」と意識できるように動いてゆくと、何もイメージしないまま過ごしているよりかは「何か」が違ってきます。そうする事で感じる変化を情報として記憶してゆくとより柔軟に動けるんじゃないだろうかと思ったりします。


歌うときに敢えてテンションを上げて歌うような具合に動いてゆくこともまた「こう」動こうとして動いている事ですね。仮にそう動いていきやすい環境になったのなら、自然にそう動いて行けるのだと思います。


一つ前に述べたように「こう」と思い浮かべにくいものについてそのように動いて行けるならもしかすると難しいことも実現するのかなと。一瞬なら出来ることもありますよね。


それを顕れに

何はともあれ「難しくはあるな」と思うのです。目指そうとしている事が具体化する前から、それを想起する段階で容易には上がってこなくて、「それ」を覚えていようとするのも難しいのです。


もちろん抽象的にどういう方向かというのは自分の世界観では大まかに掴んでいますし、自分がわかるレベルでは言葉にもなります。多くの場合自分が本心からどちらの方向に惹かれてゆくかという意味合いが強く、途切れ途切れに伝えられてきた何かに要所要所で共感してゆく繰り返しで、でそこから自分ならどういう風に進んでゆくのかということに向き合う段階と言うべきなのでしょう。であって、なんとも言えない具合に踏み出してしまうとそこからは未知という感じです。


しばらくして何かが浮かび上がってきます。何かとの「近さ」を感じつつ、それでいて自分の選び方で言葉を選んでゆきます。




やはりこういう表現では無理があるなとも思います。それは作品または具体的な行動を通じてしか表現できない部分でありまして、何かを選択し実践してゆくすべてに「それ」が顕れとなっているようにできればなと思うのです。

ステテコ・カウボーイ⑨

どこまでも僕のままでゆくというのなら、軽はずみに「やってみる」なんて事は言えないのだろう。僕が僕を見捨てないように…でもそれは並大抵の決意ではないとこの頃思う。

しばらくぶりに雨の降った水曜日。ほぼアシスタントのようなノリで早川家の日用品の買い出しを頼まれて、少し上等で黒光りするようなコウモリ傘を手に玄関を出た。この男物の傘は早川さんと親しくしていたらしい某人物が家に置きっぱなしにしたものだと説明された。僕はその時、若干だが野暮な想像をしてしまっていて、例えばの話、早川さんと交際した事のある人はどういう風に接っしていたのだろうかなんて思ってしまった。女性にしてはという言い方も失礼なのかも知れないけれど、大分豪胆で我が道を切り開いているタイプなだけに相手の方も萎縮してしまうんじゃないだろうかなどと余計な事を考えてしまったりする。


「居ないなら居ないで、どういう風に生きてきたのだろう」


自然に出てきたそのつぶやきは、未だに消える事のない孤独と不安を少しだけ和らげるような気がした。そう、早川さんのような人はどんなことがあっても生きてゆける。彼女が作品に向き合うように自分も何かに向き合えるのなら、この気持ちは少しは軽くなるのかなんて思ったり。絶え間なくしとしとと降り続く雨はアスファルトを濁らせている。ここで生活をして次第に見慣れてきた景色だったものが、なんとなく隠している一面を見せているようで雨の音に混ざって時々聞こえてくる物音が何だか妙に生活感を漂わせている。



しばらく歩いて生活圏にあるスーパーに辿り着くと、自分とは何かが違ってはっきりと目的を感じる主婦達が気忙しそうに店の中を動いていた。こういう風に想像するのが正しいのかは判らないけれど雨の日に買い物に来るという事はそれだけ必要な物があるという事なのだろう。おそらくは並べられた商品を見定めているその人にしか分からない基準で手にとって、それが賢明なのかどうか考えながら選んでいる。僕はといえば頼まれたものを買うだけだ。



だが、自分で選んでいると仕事と同じように「微妙な判らなさ」が付いてまわる事に気付く。それこそ「早川さんだったら」同じハンドソープでも具体的にどれを選ぶのか、とか、その量についても任されている部分は意外とあっていちいち電話して確認するのも手間だろうし、その辺りは殆ど「なんとなく」選んでしまっている。



<なんとなくでも選べるものだな…>



人生の行き止まりを経験したあの日の僕はもう選べなかった。いや、理屈っぽく言えば選ばない事を選んだ。もうそれ以上何もしない、そう思って自分の身をアスファルトの上に捨てたつもりだったのに、今はこうしてごく普通に生きるために必要な事を続けている。ここしばらく過ごしてみて何だかんだで死を選ぶほどの意志はないし、結局それなりに面白い事が見つかって必要な事を必要な事と理解しはじめる。少なくとも今の僕には早川さんの生き方を否定する理由が見当たらないし、早川さんが自分の生活の中に自分を組み込んだ事の大きさを考慮すると、無碍にしてしまうのも悪いなとかなりの強さで感じてしまう。


『でもそういう君の性格が問題をややこしくしているような気もするんだよね』


脳内のハスキーな早川ボイス再生される声に思わず苦笑してしまいそうになる。ある意味早川さんは僕を見守ってくれている存在として認識されているのかも知れない。実物の早川さんはそうであるばかりではないのかも知れないけれど、こうして一人で出かけている時にもその存在を感じるというのも何とも複雑な気分である。


『あ、あとは君の判断で適宜必要と思うものを買ってきてくれてもいいよ』


これは出がけに言われた本物の言葉である。どこかの企業で経営を任されているような感覚だけれど、大真面目に『必要』という語句の意味を考え始めるとドツボにはまりそうである。それこそ脳内で認識されている早川さんが喜ぶだろうと思うものは何故か僕があまり必要とは思えない。異性の気持ちになって作品を描いている人にはこういうのは容易いのかも知れないけれど、女性は甘いものが好きだというテンプレートで考えてしまうと少し違うし、かと言って自分の感覚でやろうとすると…



そういえば以前気を利かせてアイスを買ってきた時は喜んでくれたなと思い出す。今回は溶けてしまう心配があるから別のものとして代案を考え始める。そしてふとレジの近くを通りかかった時、僕は「それ」を見つけた。



☆☆☆☆




「お帰り」


「ただいま帰りました」


家に戻って早川さんに頼まれたものを買ってきた旨を伝えると彼女は少し嬉しそうに、


「助かるよ。」


と言ってくれた。咄嗟に『本当に助かっているのは僕なんですけどね』という自分としてはかなりポジティブで気の利いたセリフが浮かんできたけれど、恥ずかしくなって照れ笑いになってしまった。


「あ、それでですね、こんなものが早川さんには必要なんじゃないかと僕なりに考えまして」


といって僕は薄い黄色の紙袋に包まれた商品を手渡す。



「ん?これはなんだ…あ、こういうものを買ってきてくれたのか」



中に入っているものを確認して感心したような声を出す早川さん。それは前々から気になっていたコーヒー風味ののドーナッツだった。やはり作業していると甘いものが欲しくなるし、コーヒーにコダワリのある早川さんならば一度は食してみたいだろうと「想像」したのである。



「君もなかなか分かっているじゃないか。というか、私の見立てだと君は応用力があるとみた」


褒められるのは慣れていないので照れ隠しに、


「早川さんの教育の賜物ですよ。もしかしたら本当にアシスタントになれるかも知れませんね」


と言うと、


「う~ん…正直題材としては漫画家のアシスタントネタというのはありふれてるからね。どちらかというと家政婦のようなポジションで居てくれると色々助かるんだが…」


という微妙な発言。何はともあれその辺りの事を少し話し合うためにも、


「じゃあコーヒー淹れますんで、それ食べましょうよ」


と提案したのだった。

あれば

「動かすのが容易ではない」という感覚は様々な物事についてあると思われますが、一方で「動かしたい」という気持ちも感じる事があります。気持ちがどこまで動かし得るのかは分かりませんが、動かし得る事については動いてゆくものなのかも知れません。もちろん気持ちがあればですが。


追記:


というのも、少なくとも気持ちさえあれば地道に続けていって徐々に改善されてゆく事があるものですし、何かのきっかけで間接的に有利な方法を見つけられるというチャンスも残されているからと思うからです。あとは同じように「こうしていたい」という気持ちの強さで続いている事については、その制度の中にある人がそうではなくなった場合には自然と廃れてゆくという必然があると思うからです。
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Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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