装置の改良
「端的に申し上げますと、その提案は却下です」
「どうしてですか?その人に頼めば作ってくれるはずですよ」
わたしは声を張り上げた。本部のその厳めしい顔つきの男は支所に配属されたばかりのわたしという人間を軽んじているように見える。未だに目的がよく分からない政府系の団体に運良く採用され、数ある支所のうちの一つでとりあえず指示されている事を続けていたのだけれど、性格的に作業する上で色々と不合理なところを目聡く見つけてしまって、特に業務上の調査に使うある装置をより使い易くすればもっと効率的に仕事が進むという事に気付いた。そこでその装置―空間上のある特殊な量を計測する装置―を開発したという人物にアポを取ってみれば良いと思い、本部に掛け合いに出向いたのだ。
けれど私が調べたその開発者の名前を出した途端、責任者であるその男の人の表情がより険しくなりわたしの提案もごらんのように却下されそうになっている。
「わたしがまだ配属されたばかりだからですか?あまちゃんだからですか?」
「そ…いえ…そういうわけではないのです」
問い掛けに少し動揺したところが微妙に癪にさわるけど、この人の様子を見ているとどうやら理由は別にありそう。わたしは少し機転を利かせて別方向からアプローチしてみる。
「もしかしてその人の性格に難ありとかですか…?」
「難ありというか…まあ当たらずも遠からずというところでしょうか。我々としてはあまりその人が関わっているという事をこれ以上公にしたくはないのです。つまり現状の装置でなんとか業務をしていただきたいという…」
発言を窺がうとどうやらある程度当たっているらしい。というかそもそもその業務がわたしもよく分からないのだけれど空間上のその特殊な量を計測するという部分がメインだし、その後に作成する報告書のような書類もそのデータをまとめたものが決定的に必要なわけで、素人目から見てもそこが効率的に進まないと改善の余地もないのだけれどと思ってしまう。「川田」という胸のプレートが見えるその男性のいかにも『苦渋の選択』をしているという沈黙に耐えかね、わたしはこう訊いてしまう。
「どんな人なんですか?もしよろしければそう考える理由を教えていただきたいのですが」
するとその人は「う~ん」と唸って、
「…もし貴方が本当にそこまで知りたいのなら、開発者の連絡先を教えても良いのですが。もしかすると実際に会ってみた方が実感できるかもしれませんしね」
となにやら思案している様子。ここはもう一押しだと思って、
「わたしもまだまだ未熟ですし、意見を共有できる事に越したことはないと思うのです」
とそれっぽい事を述べてみる。諦める事が前提のような気もするけれど、わたしはその時実際に会ってみれば上手く話をまとめられるという自信があった。そして責任者はしぶしぶ開発者「松永流星」さんの自宅を教えてもらった。
「自宅」
と何気なく言ったけれど紹介してもらった住所が何の因果かわたしの住んでいるアパートの隣にある一軒家だった。聞いた時は何かの間違いかと思ったけれど確かにアパートの付近に「松永」という表札が掛けてあったような記憶があったし、まあ開発者といっても一般の人の居住地だからどこであっても不思議ではないと思い直した。
<でも…色々とややこしくなるのかもな…>
勢いとは裏腹にわたしは早くも責任者の発言を受けて怯んでいる部分があった。仮に責任者の言う通りだとしてもし関わったら面倒な人で、そんな人の近くにわたしが住んでいる事が分かったとしたら後々厄介な事になりはしないか。
「まあそんな事今考えても仕方ないか」
と自分に言い聞かせてから大きく深呼吸し、その日アパートの玄関を出た。そしてそのまま「仕事」としてスーツ姿で隣の一軒家の前で立ち止まり、今一度表札を確認した。
『松永流星』
ご丁寧に名前まで書いてある。もしかすると一人暮らしなのかも知れないけれど、隣の建物に住んでいるわりにここから人が出てきたのを見た記憶がない事が少し気になった。気持ちが削がれないうちにチャイムを押す。しばし間があって玄関のドアが開いた時、わたしはそこに立っていた人に釘付けになった。
「ああ、もしかすると貴方が連絡をくれた人?たしか川北さんだっけ?」
「ええ、そ、そうです。松永流星さんですよね」
「よろしく」
「は、はい」
恥ずかしながらわたしはこの目の前の清潔で優しそうなと眼差しに早くも好印象を抱いてしまっていた。久しく色恋沙汰よりは「仕事」を最優先に考えてきたわたしにとって、こういうタイプの人は非常に…なんというか困る。全身から優しく包み込んでくれそうなオーラが出ていて、たぶん自宅が研究所を兼ねているからだろうけれど長めの「白衣」が爽やかさを演出していて…
<こ…こんな事を考えていてはダメだ>
危く変な考えになりそうになった自分を戒めるように一度「コホン」と咳をして、
「本日はご存じの業務で使用している装置についてお話を伺いたくて参りました」
と敢えて堅苦しい言葉を選んで早々に「仕事」の気持ちに切り替える。それでも松永さんは先ほどと同じように自然体で、
「ではどうぞ中に」
と家の中に案内してくれた。そして通されたのはごく普通のリビング。
「二階が研究室になっていまして、そこは少し散かっているのでここでお話を伺うという事で宜しいでしょうか?」
丁寧な話し方にさらに好感を持ったまま勧められたテーブルの椅子に着席する。部屋の雰囲気はあまり「理系」という感じがしないし、一人暮らしの男性の部屋というよりはセンスのある人の小奇麗な空間という感じがした。
「松永さんはこちらで一人暮らしですか?」
うっかり訊ねてしまってすぐ後悔したわたし。でも松永さんは笑顔で、
「いえ、同居人が一人います」
と答えてくれる。地味に<訊かなくても良かったなぁ>という思いがこみ上げてきた時、
「あれ?その人誰?お兄ちゃん?」
と張りのある女性の声がリビングの入口の方から聞こえた。そちらを振り返ってみるとそこには松永さんよりも少し歳が離れているように見える「妹」さんらしき人が立ってこちらを疑わしそうに見つめていた。
「もしかすると同居人って妹さんですか?」
「そうです。10歳ほど年齢が離れていて、今中学生ですね。彼女が学校に通い易いのでこの家で同居しています」
「そうだったんですか」
何故か妙に安堵してしまった自分がいた。けれどそんなわたしの様子を見定めているような視線を感じる。妹さんは、
「お兄ちゃん、仕事の話?」
「そうだよ。香澄。あの装置の事について訊ねたいんだそうだ」
わたしはこの時、まさかこの松永さん自体を見定めに来たとは口が裂けても言えないなと思った。妹さんはそれで納得したらしいけれど、そのまま部屋の一画に位置するソファーに腰を降ろしてそこにあった雑誌読みはじめた。流星さんはこちらに目で「気にしないでください」というような合図を送ってきた。
「そういえば学校はまだ夏休みですもんね」
「ええ、そうなんです」
とりあえず気付いた事から軽く世間話のような事を始め、お互いに自己紹介をして、さっそく「装置」について基本的な事から質問をしてみた。
「まだ実証されていない理論ですが、かなり事実である証拠が集まっていていずれ定説になるだろうと言われているものがあるんです。で、政府系のそちらの団体はその理論が正しいものとして先駆けて実地でデータを観測し始めるというお仕事をされているわけです。どうしてそうしているのかというと…」
「もし事実だとすると社会的影響が大きいのと、理論を応用していち早く世の中で活用したいからですよね」
わたしが自分で知っている事を続けると松永さんは満足そうに頷いた。なんとなく褒められたような気がして嬉しい。けれど松永さんは次の瞬間表情を少し曇らせて、
「ただ本来ならですね、そんな装置がある事自体が不自然なのですよ」
とちょっとだけ暗いトーンで言った。どういう事なのだろう?それは松永さんが開発したはずなのだから装置がある事が別に何もおかしくない。
「どういう事ですか?」
というわたしの問い掛けに松永さんは、
「オーバーテクノロジーってご存知ですか?」
という質問をした。
「えっと、どこかで聞いたことがあるような気がします」
というと、
「ざっくり言ってしまうと現代の科学ではその装置を作る事は不能です。つまり現代の技術を「超えて」いるのです」
「は…はあ」
そう説明されても何か実感が湧かない。というのも毎日規則正しい時間に出勤して、ルーティンワークで装置を使用して測定しているわたしにしてみればそれが自然だし、それが出来て「当たり前」だったからだ。
「気分を害すつもりはないのですが団体に貴女が最近雇われて、そして多分ですがあまり業務について詳しいところを教えられていないのは、ある意味でこれが『非公式』なものだからです」
「非公式?」
「SFのように受け取って貰いたくはないんですが、わたしと妹はもともとこの世界の住人ではないのです。ここから説明しないといけない話なんです」
「はい?」
「とにかく説明させて下さいね。わたしと妹はこの世界に非常に似ているけれど技術のもっと進歩している平行世界から移住してきたのです」
「え…?平行世界?」
わたしの困惑をよそに松永さんはどんどん話を先に進めてゆく。
「パラレルワールドですね。なんでその世界から来たかというと、その世界が環境的に人間が住めるものではなくなってしまったからなのです。まあ人間が悪いのですがね。でも技術的にはこちらの世界よりも先に進んでいて、非公式ですがわたしのような存在が密かにこちらに移住しているのです。ただあんまり目立って活動すると混乱が大きくなってしまうだろうし何より干渉し過ぎも良くはないと思うので、我々はひっそりと暮らしているわけです」
「そ…それを信じろという事ですか?」
動揺が隠せないけれどそんなわたしをよそに彼は冷静にこう述べる。
「信じる必要はないのかも知れません。むしろそんな事を考えない方が過ごしやすいですしね。シンプルに考えればわたしはそのオーバーテクノロジーといわれる技術を貴方たち…この世界に提供できるだけの事です」
わたしはここでソファーに座っている妹さんの様子を伺った。「なんでもない事」というようにこんな話をしても至って普通の様子の妹さんを見て、<もしかして本当なのかも知れない>と思いはじめていた。それなら本部の責任者のあのいわくありげな様子も説明できる。そうするとあの人はわたしに何も知らないまま、毎日のルーティンを繰り返すように期待していたのだろう。
わたしは少し頭を整理しながら、時折深く呼吸をしながらわたしがこれから取るべき行動について熟慮していた。そして一つの方針が見えたわたしは、ゆっくりと話し始める。
「その、もしそういう話なのであればですね、わたしも今後もっと松永さん達と個人的に深く関わっていた方が色々と都合が良いような気がするんです」
「なるほど」
「どういう経緯であれ世の中の為になる事なんじゃないかって思っていて、もしですよ、松永さんの話が本当なら、そちらの世界での教訓を活かしてより良い提案をしてくれるんじゃないかって、素直に考えている自分がいます」
「そう言って頂けると嬉しいですね。でも面倒くさいかも知れませんよ」
そう忠告してくれる松永さんにわたしは今、とんでもない事を言おうとしている。むしろ松永さんの話しとは全く違う次元の話で、ものすごーく個人的な願望で…
「あの、わたし実は隣のアパートに住んでるんです」
「え?」
さすがの松永さんも唐突な発言に戸惑っている。
「それで、わたし…恥ずかしながら彼氏募集中なんです。しかも仕事もばりばりやっていたくて…」
「え…どういうことですか?」
松永さんはもしかするとまだ意図が分っていないのかも知れない。わたしは思い切って言おうとする。
「わたしと、その…!!!!」
「お兄ちゃん!!!!!」
すごく大事な事を言いかけた瞬間、妹さんが突然迫力のある声で叫んだ。それに動揺していると妹さんはこちらをじっと見つめながら、
「わたしは、常日頃『わたし達の事情を理解してくれて、協力的な人を味方に付けるべきだよ』って言ってるよね!!」
と有無を言わせず確認するような口調で話し始める。
「う…うん。そうだったな」
「でもね、本当にそういう人なのかどうかは直ぐ分るものじゃないと思うの」
「た、確かに」
「それにお兄ちゃんは流され易いところがあるから、わたしの判断も仰ぐべきだと思うの」
「…そそれで?」
「お兄ちゃん。先ずはその人と『友達』になってみるのが良いと思うよ」
「え…?」
凄い剣幕だったから、この展開は意外でわたしは吃驚していた。けれど、
「でもね、安易に付き合ったりだとかそういう関係になるのは面倒かも知れないから気をつけてね!!」
と表面的には満面の笑みで話す妹さんを見て、この日最も戦慄したのだった。そうは言いつつもなんだかんだで私達の友人関係はここから始まったりしたのだ。ちなみに…というわけではないけれど「装置」の改良の打ち合わせが最近はじまったところだ。