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誰かに

言葉にしないうちには何ものでもない感情です。それは本当に言葉にしなければ
、そしてそれを「自分の言葉」と認めるという条件がなければそう思っているこ
とを証明することもできないのかも知れません。


色んな本当があって、目の前ならもっと違う事が言えるのかも知れません。ただ
複雑な状況がこんな回りくどいことをさせていて、と言ってそれに意味があるの
かどうか完全には自信がなく。


自分なりに出来ることをやっているような気がします。もしそれが僕の勘違いか
ら起こったことであったとしても、仕方のない事だと今では思えます。



勘違いなのだと思う方がまっとうだとどこかで感じている…あるいは感じるよう
にしているのでしょう。だけど、憧れ続けているのは紛れもなく本当のような気
がしています。
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ステテコ・カウボーイ ⑬

「あーーーーー!!!!いやーだーーーー!!!」


家の中に突然響いた声に思わず身体がビクッと反応する。声の主は紛れもなく早川さんなのだが、彼女からそういうトーンで発せられるとは思ってなかっただけに思わず動揺してしまい、慌てて仕事部屋に駆け付ける。


ドアを開けるとそこには既に机の上に突っ伏して両手で縁を抱えるようにしている早川さんが居た。


「どど、どうしたんですか!?何かあったんですか?」


とにかく何があったのか確認したい一心で必死に話しかけてみる。それに対する早川さんの反応は、


「うぅ…う…いやだぁ…」


というどこか子供のような様子だった。まずは落ち着いて話をしないとなと思い、傍に駆け寄ってしばらくそのまま見守る。こちらに意識が向かってきたのか、徐々に気持ちが収まってきたようで徐に顔を上げて、


「はあ」


と一度深呼吸をした早川さん。


「落ち着きましたか?」


念のため確認すると何か申し訳なさそうに、


「すまない。取り乱してしまった」


と静かに話し始めた。


「今コーヒーを淹れますから、一度居間に行きませんか?」


我ながら良い対応をしたと思う。彼女も「うん」と頷いて、


「すぐそちらに行くから、先に待っていてくれ」


と僕に告げた。最近何があったというわけではないけれど、先月「可換環」さんとして載った作品を読んで少しいつもと雰囲気が違うなと感じていたところだったので、もしかしたら何か僕の知らない事情があるのかも知れない。何にしても僕の仕事はコーヒーを淹れることで…



いつも通りに準備をしていると僕は何だか冷静になってくる。相撲の力士の中にはルーティーンを取り入れることによって好成績を収めてるという話を聞きかじっていたけれど、僕にとってコーヒーを淹れることはルーティーンになり始めているのかも、などという不思議な考えになっていた。



キッチンから早川さんが居間に入ってきた音がしたので少し様子を窺ってみると、冷静さは取り戻しているものの、なんだか少ししょげているようにも見える。


<こんな時、僕には何ができるのだろう?>


多少不安になりながらも僕の恩人に出来ることがあるなら何でもやろうという気持ちになっていた。出来上がったコーヒーを注いだカップを両手に抱えテーブルまで運びつつ、彼女にかける言葉を探していたのだが顔を上げて早川さんがこちらをじっとみて、


「ありがとう」


と意味深な具合にいうのでなんだか今度はどぎまぎしてしまう。


「いえ、僕に出来るのはこれくらいのものですから…」


早川さんは目の前に置かれたカップにゆっくりと両手を当てる。しばらくして何か意を決するように小さく頷くと正面に座っていた僕の方を見て、



「人間は誰でも甘えたくなることはあるものだよね」


と言って優しく微笑む。その時の口調はいつもの堅い感じではなくて、前に友人の春日さんが来た時のような、こう言ったら失礼かも知れないけれど「女性」的な感じのする言い方だった。


「そ…そうですね。っていうか僕はいつも誰かに甘えたいですし、早川さんに甘えているとも…」


「まあ独り暮らしていたからさ、金成くんが居なかった時には時々こういう風になっちゃうこともあったんだよ」


この時の早川さんは僕のことを「君」とは呼ばなかった。それは妙にくすぐったい響きで、何かを勘違いしてしまいそうになる自分に気付いた。その雰囲気に耐えられない気持ちもあり、


「えっと、そういう時はどうしていたんですか?」


と早口気味に尋ねてみる。早川さんはゆったりとコーヒーを一口含んで「うん。おいしいね」と小さく呟いてから、


「あの時と同じように『放浪』していたの」


「ほ、『放浪』ですか?」


「そう。わたしにとっては『放浪』。どこに行くかも決めないでとにかく外に出て、『そろそろ帰らなきゃな』って思えるところまで歩いてゆくの」



そう言う早川さんはなんだか遠い目をしている。僕はその時気付く。


「『あの時』ってもしかして、僕を見つけてくれたあの雨の日もってことですか…?」


「『あの時』は、本当にどこまででも行きたい気分だったの」


一転して彼女は僕をじっと見つめて何かを確かめるように話し始める。


「どこに行ったってね、結局自分のところに戻ってきちゃうの。わたしは漫画家で、ずっと漫画を描いてゆく事からは離れられない。でも、自分の中の何かが<それだけがわたしじゃない>って言う気がするの。それはわたしなのか、わたしじゃないのか…でもその心が何を求めているのか、わたしには分からないのかも知れない。だから、わたしは『放浪』を自分に許しているの」


それは何だか現実感のない言葉だったけれど、一方で僕の中にある何かととてもよく重なる言葉でもあった。


「早川さんも同じなんですね」


無意識に口をついて出た言葉に自分でも驚いた。「何が同じなのか」、分からないまま「同じ」と感じていたという事だろうか?そんな言葉なのに早川さんはゆっくり頷いて、


「そう。わたしも君と同じなんだよ」


と言った。それは頼もしいようで、どこか脆くて、でもこの時僕は自分の中に何かこれまでとは違う感情が生まれていることに気付きつつあった。ただ今それを口にしてしまうには早すぎるという気もしていた。



僕は彼女と同じように一杯のコーヒーをゆっくり味わっていた。

ここまで

こうやって日記を続けたいのも本当なのですが、これまでに書いたもので本来は伝えたい事を述べ切っていると思います。ただ、あまり難しくないようにと心がけて日記にする方が伝わりやすくはなっているのでしょう。それでも私にとっては伝えようとする人についてしっかり読んでくれる人がある意味では優先で、この日記を優先するあまり言葉が空疎になってしまうよりは書ききったものが読まれるのを待ちたい、信じたいなという気持ちです。


なのでこの新日記はここまでという事にします。

伝える試行錯誤

競馬ファンにとっては特別な時間が過ぎ、今更ながらクリスマス気分を
少しでも味わいたいなと思っていたりです。去年の今頃は少し雰囲気を
味わっていたような気がしますが、一年でこうも変わるものかと思った
り。


どう言ったらいいのか分からないのですが話すべきことがあるような気
がしていて、でもそれは言葉で説明すればやたら小難しい話になってし
まうのです。かと言って「こんな感じ」とざっくり言ってしまえば取り
逃されてしまうだろうし、伝えたことにはならないだろうなと。




少し前にも述べていた「そのままを記しておきたい」気持ちと同様に、
何かを書き残しておかなきゃと感じることがあります。それは世の中
を賑わせている事についてというよりも、自分がこの世界で感じてい
る事で、それも日々ちょっとした『感じ方の違い』があるという事な
のですが、それこそかなり昔に述べた


「ナンセンス的」なのか「ナンセンセンス的」なのか「全てには意味
がある」なのか



というような捉え方の違いに関係しているのだと思っています。少なく
とも言えることは、どういう状況にあっても「人生には意味がある」と
解釈して生きようとする部分と、「やっぱり世界は理不尽だ」と投げや
りに考えてしまうところが存在するような気がするのです。後者にとっ
てみれば前者は「必死にそう解釈しようとしているだけ」になりますし、
前者から見れば後者は「諦めるのが早すぎる」というような感じに見え
るのかも知れません。



ただし前者も後者も『意味』という言葉を巡って解釈をしているわけで
あり、ただ感覚的に捉えればどちらでもない、そんな風にも映るんじゃ
ないかと。というわけで『ナンセンセンス』というのは感覚的なものな
のですが、そこでお話が終わりというわけでもないのです。



大事なのは自分の感じ方で、どういう風に生きているかです。そこには
迷いがあり、理屈で考えて動いている時もありますし、それさえ限界を
感じることもあります。その地点でどうするかも何もないのかも知れま
せんが、<なかなか動かない>と感じている自分を動かそうとする別の
自分の存在を感じるわけです。



そこの部分の『エネルギー』としか言いようのないものを、なんとか形
にしたいという気持ちは続いていて、我ながらかなり奥の部分にある『
大切な何か』なんじゃないかと思ってしまうんです。それは作品でどの
くらい伝わるものなのか定かではないですが、短い言葉にはなり難いそ
の何かをどう出していったらいいか試行錯誤が続いています。

準備で

思いのほかキーボードが上達してきてこのまま弾き語れるレベルになれば
なと期待しているのですが、『コード』についてはギターより理解しやす
いなと感じます。結構前に勉強した音楽理論もようやく活きてきたようで
、気持ちも高まってきています。


友人と音楽活動をしてゆくという目標があって、その友人もオリジナル曲
が大方出来たとの事で、二人での活動を『ダケスタリスク』という名前に
しようという話をしていたところから段々具体化してきたような気がしま
す。



良くも悪くも一人では出来ないことですから難しさはありますが、その分
可能な事の幅も格段に増えます。『エネルギー』というしかないような何
かを形にしたいですし、それをぶつけた作品に仕上げれば良いものが出来
上がるという確信はあって、『難しい』事だからこそ如実に現れてくるの
かなと思っています。



まあこういう創作を続けてゆく長期的なエネルギーも必要で、極端な話、
『準備のための準備』くらいの気長さも要求されるのですが、一体いつ
のころからの準備だったのか思い出せないほどかも知れません。



クリスマス気分は正直全然ありませんが、別の意味でテンションが上がっ
ているような気がします。

広い意識

広い意識にとって意味のある事、特別な事に目が向いているような気がします。昨日今日とかではなく、何か特別な事があった日が浮き上がってくるような人生の捉え方というか。


数日の間に特別だと思った事も、長い目で見ればちょっとした事になってしまうのと似た見方ではありますが、過程の隅々までは想起できないものの、大事な事は流れの中に留めていられるような気がします。


そんな意識で過ごしていると「今」どうしたいかがちょっと見えてくるような気がします。やっぱりその意識にとって夢となるような何かをしてみたいですし、そこに向けて「今」この瞬間に選べる最善をしていく方がいいでしょう。



一足ではいけないからこそ気持ちを維持しつつ、場面場面で出来る事をする、という感覚が掴めつつあります。

今から

『自分の能力』を把握していることが時に重要となります。否定的な意味で


「〇〇ができない」


という事として把握しているのも場合によっては把握していることが肯定的
に捉えられることもあります。もちろん普通の意味で、


「〇〇ができる」


という事として把握していれば見通しも立ちますし、目標もそこから自然に
出てくる場合もあると思います。何だかんだで「出来る方」だという評価に
自然になってゆきそうな気配もあるのですが、その一方で苦手というか、疎
かになりがちな面もあり自分としては自信を持ちすぎていないようにした方
が順調に行くという少しばかり微妙な位置にあるような気がします。



もっとも、否定的な捉え方をすればこうやって何かあると一々言葉にして分
析して、考えを改めて何とか適応している状況ともいえますし、実際は常に
何かしていないと不安になってくる性質でもあります。



童顔も影響していますが、昔から他の人から見て「頼りない」感じに映るのが
実は大いに気にしているところで、理想としてはしっかりした人になりたいな
と思います。とは言うものの最近では自分の現状に納得している部分と、


『仮に思っているよりももう少し能力があるのだとしたら…』



と考えた場合に少しばかりまだ何かができるんじゃないかと疑っているという
か、出来ても変じゃないなと思ったりすることがあります。まあほとんどの場
合、自分の知っている人が結構凄かったりするという噂を聞いた事に由来する
だけなんですけど。



そのあたりが微妙なところで、出来るのならサボっているという評価になりそう
ですし、そもそもが自分にとって難しいのならかなり頑張っているという評価で
す。



比べることは無意味なのにという、ある歌の歌詞になんとなく勇気づけられます
。というか、少し前までは比べる以前に特殊すぎる状況になっていたので、比べ
るもなにもなかったのですが、何故か比べてもそれほど違和感のない状況になっ
てきているという事が自分にとって不思議なのかも知れません。場合によっては
その特殊すぎる状況を忘却しても表面的には自然になっていて、自分の意識も都
合よく整理されてしまっている感さえあります。




実際「今」がどうなのかが重要なのですが、自分の場合は「今」に活かせるように
整えてきた環境もあって成り立っている「今」なので、必ずしも「今だけ」の意識
にはなり難いです。




とはいえ『評価とかに流されやすい意識』がそれとして存在しているのは確かなよう
で、時にそういう意識で動いてゆく場合に大事なことを覚えていられるものか、少し
だけ心細さを感じたりもします。それこそ「今」だけで、これまでの過程を忘れてし
まえばもしかすると物足りなさを感じてしまうかもしれません。



悩ましい問題ですがそれをきちんと意識した上で導き出した結論なら、自分としては
納得なんだろうなと思います。

後押し

平日の休日に用事は済ませ、やりたいと思っていたことも上手く出来たので
思いのほか気持ちがすっきりとしています。昨日書いたことでもありますが
、一旦これまでの成果をそのまま評価している自分とは違う、もっと何かを
求めている自分で改めて評価してみてそれでも尚、気持ちとして伝わってく
る作品があったという事に気付き人知れず喜びを感じていたところでもあり
ます。


と同時に日々のもっと厚みのある感情、実感の伴う言葉を探してゆかないと
深い意味では伝わってゆかないのかなとも感じました。



ところで、日頃から気分とか気持ちとかを重視していると一時物凄い意気込
みで始めていても、熱したままになれていない時間の存在を意識してしまい
ます。昨日の内容とは違っていてやってきたことを「否定」するものではな
いのですが、かと言って『常に』妥当するものでもないというのは仕方のな
い事なのかもしれません。



それでも…自分の中の何かが後押ししているような気がするのは何かがある
んじゃないかと思うというか。

否定を通じて

表現する「舞台」、「場面」を求めていると同時に自分の能力を出し切るような「作品」が欲しくなります。それなりのエネルギーがないと動かせないような厚みがあって、そこにぶつけてゆく事によって表現が出来上がるというのが理想で出来るだけポジティブであってほしい。


「ぶつかってゆくところ」、「動かそうとするところ」、それが重要で自分がいま何にぶつかっているかに気付く事がキーになりそうです。


でも実際、ぶつかっているものは無いのかも知れません。それが本当のところで、これまで作ってきたものの価値をあっさり否定してしまうようなまた違うエネルギーがあって、むしろ本当はそれがしたかったというような事なのだろうと思います。



でそこからどういう風に進んで行くのかが意味ある事なのです。

残しているもの

12月はどこも忙しいのだろうと思いますが、少し気を休める時間も必要だなと
感じます。家に帰ってきてもやりたいことをやり始めるとそれこそ余分な時間は
なくて、例外的に生じる『待ち時間』の方がかえってのんびりできているような
気さえします。



結局目指しているものは何なのか。そこまで費やしている理由は何なのか。そう
考えてゆくと自分の中に『残しているもの』があるという事が一番だと感じます




そもそも言葉が放たれた状況、条件によってニュアンスを変えるならば特定の条
件でこそ十全な意味を持つ言葉があって、同じ言葉でも言える時と言えない時が
あるそういう意味で『残しているもの』はシンプルなのだけれど、その強さ、
度合いが『言える瞬間』を待っているのかも知れないと最近では思います。



友人とか大切な人とかという「関係性」によっても言えることと言えないことが
あると思いますが、例えばこのブログにおける「読者」との関係性、世の中にお
ける「位置付け」によっても言える場合と言えない場合があるのは意識はしませ
んがよくある事だと思います。



つまり、そういう状況(或いは舞台)にしてから『残しているもの』を言えたな
らと思うと、それを目指して出来るかぎりの事を続けるのが最善という判断にな
ります。具体的には「文脈」とか「背景」を述べてからという事だったり、関心
が高まってきて言う意義を感じた時とか、そういう事です。
プロフィール

なんとかさん

Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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