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ナイーブな曇り

雲が、なかなか手ごわそうな雲が頭上に広がっている。不思議と今の僕には情緒を感じさせて、悩ましいというよりは懐かしいというか。子供の頃、漠然と感じていた安心感のようなもの、世界への信頼のようなものは案外、何かに覆われている事で見出されるようでもある。


考え得る限り広々とした空ではなくて、狭まっている青い領域の方が自分にとっては扱いやすい、という風に自己分析すればそうなのかも知れない。なんにせよ、今日はこじんまりと過ごせばいいんじゃないかと思ってしまった。



そんな心境に不釣り合いな幸運が急にやって来たりする。


『え…?サイン会!?』


近くに住んでいる大学の後輩から電話が掛かって来たと思ったら、学生時代好きで彼と一緒に良さを語り合っていた作家が、この近辺の書店で新作発表記念にサイン会を行っているという情報を教えてくれたのである。偶然というか、その日は溜まってしまった有休を消化していた日で、何の問題もなく現場へ向かえる状態であった。



後輩は生憎と仕事だったのだが、情報をネットで得てもしかしたらと思い親切にも僕に教えてくれたらしい。そうなると彼の為にも向かわない手はない。10分程歩いて到着すると、やや人だかりが出来ている模様。にぎわっているはずという僕の想像とは少し様子が違っていた。『僕等の界隈』では有名な人だと認識している作家だが、世間的にはややマニアックな小説を書く人という評価なのかなとそこで改めて感じたのだが、僕が敬愛する作家である事には何の影響もない。



小走りで店内の会場に向かうと、作家のテーブルの前に並んでいるのは女性ファンと男性ファンが半々といった感じ。どうやら新刊を購入してくれた人にその場でサインをしてくれる催しらしく、落ち着いて深呼吸をしてから最後尾に並んだ。



<なんだか急にこういうことがあるとドキドキするな…>



ふと後ろが気になって振り向いたが、誰かが近づいてくる様子はない。おそらく生粋のファンは既に並んでしまっていて、僕のように後から情報を知ってやって来るパターンは少ないのだと思われる。



空には相変わらず厚い雲が覆っている。



そういえばその作家の作品で『雲』についての知識をふんだんに盛り込んだ作品があって、『積雲』だとか、『高層雲』だとか色んな雲の分類をそれを読んで僕は俄かに雲の事を意識し始めたのだ。何かしら不思議な『繋がり』があるなと思う。




並んでいる人が徐々に減り、僕の後ろにも幾人かの人が並び始めたところで僕はその作家にサインしてもらってる時に何か一言ファンとしての言葉を伝えられるなと気付いた。そして自分の番がやって来た。まだ買っていなかった新刊をそこで購入し、他の人がそうしていたように本の表紙のページを広げる。


「ありがとうございます」


慣れた手つきでサインをする作家。言い忘れていたがその人は独特な風貌の男性で、温厚そうなのにどこか悪戯っぽい表情が印象的だった。写真では見たことがあるが実物を生で見ると、


『ああ、やっぱり存在しているんだな』


という当たり前なのだが、素朴な感想が浮かんでくる。サインが終わって握手の手を差し出してくれた時、僕は「このタイミングだな」と思った。


「僕は今日みたいな『層積雲』が好きです」



相手は一瞬「え…?」という表情をしかけたが、すぐに「あ、」と目を見開き、笑顔で


「今回はね、『虹』をテーマにしてるんですよ」


と語ってくれた。ファンとしてはそれで十分伝わったなと思ったし、この人も『虹』をテーマにしているとは言っても多分少しややこしい手法を使って『虹』の本質を伝えてくれるんじゃないかなという想像が僕の頭に駆け巡った。しっかり手を握り、何かを伝えるような余韻を残して僕はその場を去った。





振り返ってみればあっという間の『邂逅』だった。思いの外自分はミーハーなんだなという事にも気付いたり色々な発見があった日だったが、雲は相変わらず。でもこんな日だからこそ読書にはもってこいで、色々「上手く出来ているな」と感じた。実際、時々だけれど世界はそういう小説のような偶然を運んできてくれる。だから小説はある意味で『真実』を伝えているんじゃないかというのは、ごくごく最近気づいたことでもあるし、でもこういう展開は本当に『稀』であって、たぶん何食わぬ顔をして日常的な幸運の分配がやってくる。



<でも、>



と僕はそこで思い直す。こんな一瞬の為にナイーブで居てもいいんじゃないだろうか。今の僕も多分、あの作家のような悪戯っぽい表情をしているなと思いながら、雰囲気のよさそうな喫茶店を探し始める僕だった。
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孤独ではなく

踏み出してゆく事はどこか意識的になってしまうものの、意志の証明でもあると思う。「それが何かになるか」という事の保証はないのかも知れないけれど、気になっていたものを購入して自分に働きかけるように触れさせてみる。


情報は本当に溢れている。時には過剰に思われるけれど、意識的に触れさせて何かを感じ取るには過剰という事はない。本質的に違う事を得る時の地平感はそれこそ幼少期からやり直しているような気分なのかも知れない。


求めている事はそんなに複雑な事ではないと直感する。ただそこにたどり着くまでが異様に険しいというか相当考えられてないと辿り着けないんじゃないかと思う部分が大きい。


「孤独」とは違う。むしろ求めているものを作ったり、見出すために一人の時間に向き合う必要があるという事と、その勇気がちょっと欲しい時があるという事なのだ。



ヒカリココニ

ダケスタリスクとしての新曲「ヒカリココニ」が完成しました。

ヒカリココニ

段々と録音になれてきたのか、綺麗に演奏できたかなと思います。

実感

伝えられるというより、伝えようとしている事が意義深いなと感じている。言ってしまえば強い気持ち、気持ちを忘れないで、というような内容なのだけれど、それに説得力を持たせるような作品を作らなきゃ自分的にはやれる事をやっていないようにも感じる。


そういう風な方向に気持ちを向け続けるのは良い事だと思うし、時々凄い熱い気持ちがやってきて「やらなきゃ」と感じていたりもする。


でも一方では「大丈夫だ」という信頼、安心があって、最終的にはそこが内容になるんじゃないかと思う。シンプルだけれど、いかにそれが大事か、実感し始めている。

いつか

わずかな時の記憶が、触れた温度のように続いている。何かがあった事は身体が覚えている。

今がある、その理由がどう考えてみても。


どこかに行く僕、その僕を





という事

何かを伝える事は出来ないかも知れない。それでも何処かに残ってゆくものとして、届けてみたい。多分それがナンセンセンスだ。

変えて

埋めるような言葉。解き放たれて、結んで、溢れる希望。満たしてゆくものは、姿を変えた「時」だろうか?

ならば言葉に変わるようなその時が、言葉の祈りで、そして歌い出すように。


晴れて

迷いが晴れたというか、色々な事実とか情報とかで実感、納得できた事が
あって、自分としては残しているようなことはない。


自分が「良い」と思ったり、求めているものが結構な頻度で見つかってい
る。しかも音楽や絵とか『デジタル情報』だったりするので、曖昧さがな
くて「ここまで」と思う以上のクオリティーのものだったら、凄い事だと
思う。


自分が出してゆけるもので、どの位のものが出来るかは常に挑戦はしてい
きたい。

世界観を

即ち自分はこの世界観を共有できる人がいるかどうかを探している。多分そういう世界観で生きている人は少ないかもと思っている。


こういう世界観。と言われても内容が分からなければ伝えようがない。ただ、とりあえず書いてゆくうちにそれを説明できる、理屈としては。


限りなく個人のものに近い世界観なのだろうけれど、語られる事で共有されるとした場合、それは実は純粋に個人のものというわけではない。


ここからは普通に語って行くべきなのだろう。


とりあえず今日のところはそんなに内容はないが、世界情勢とかネットで確認できる、得られる情報で色んな事が左右されているように感じる。
それこそタイミングが「やっぱりこういう時にかよ」という事が頻繁にあって、何らかの意味で繋がっているという事を実感してしまう。


そうは言っても「見えない連鎖」は見えないが故に「きっと君もそう感じている、よね?」とか「きっとこれは何かに影響を与える筈だ」とかいった判断に確信を与え過ぎるという事はないように思える。即ち確信してしまうとなんか異様な世界観になってしまうし、かと言って全くないと思ってしまっても不都合が多い。


そもそもそういう事を感じるからこそ私はこのカテゴリーで書くわけで、全くの無ではないこの情報が何かになる想像、推測、、、もしかしたら妄想だってしてみたくなる。


孤独であるようで、というのがテーマになってくるかも知れない。

思いのほか

つねにそのタイミングでそこに何かを書く(加える)という事は意義深いのだろうと思ってしまう。自分の言葉が何処かに向けて放たれるという事は、意味を持つかどうかわからない場合だと一層無意味に近く、もしかしたらただ自分が後でそういうところで書いた、という事実を確認したいが為にそうしているのかも知れない。


何を伝えるのか、の前に何を期待されているのか。少なくとも未来の自分が読む可能性がある。今自分が持っているどんな情報なり、或いは構成し得る情報を求めているのか?


開いている可能性に向けて言葉を放つ。それは時に険しさを有する。私が語るのは、明らかに私があるという事を伝えたいからだろうと思う。しかもそういう開けた可能性に向けて語りだすような自分がいるという事を伝えたいのだ。



実際、それは可能性がある程度見えている場合には不能に近づいてくる。だが本当にそうなのだろうか?その結果を確かめたいと思う心は常にある。自己完結のようで、必ずしもそうではない。



思いのほか言いたいことは言えた。
プロフィール

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Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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