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ナンセンスとそれから

物語を書くつもりです。リンクフリーです。

希望

Posted by なんとかさん on   0  0

希望と思っていいのだろうか、時々そう考えてしまう。今ある景色に何かを感じてしまっても、全然不自然ではなく。

「大丈夫だから、 」

そう言われたのだろうと思う。そう信じるのも本当に何でもない事で、全然そんなのと思うのも変じゃないから。


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果てしなく

Posted by なんとかさん on   0  0

想いの行き場、僕が僕でいる為の。遠く離れていると思うけれど、こんな心になるのは意味がない事ではないだろう。僕が僕であるようにと祈られたものがあるのならば、僕は心と共に。


この上なく、果てしなく

何処へでも

Posted by なんとかさん on   0  0

全てはそれに掛かっている。意志的に能動的な解釈をし続けてゆく事。可能な限り合理的に解釈して行く。もしその解釈する自分を支えるものがあるのなら何処へでも行けるだろう。

フェードアウト

Posted by なんとかさん on   0  0

そろそろ状況が変わってきたかなと思う。違う枠で物事を考え始めた気がする。求めるものも変わってきて、ブログで書くことも少しづつフェードアウトしていって良いんだろうなと感じる。

今なら

Posted by なんとかさん on   0  0

辿り着いた今は愛おしく、そして。嘘にしたくない言葉がある。いつの間にか重なってきて、その意味は何でしょうと尋ねたくなる。確かに私はそう思うのです。

今なら。

そこで

Posted by なんとかさん on   0  0

ただ信じたいと思った。その想いが続く時間は何を齎してくれるのだろうか。祈りとしての言葉は何かの証で、けれど。「君」と語りかけようとしているこの先の僕と、君と、願うものが同じだというのなら、流れてゆく時間は形だけのものだと言い聞かせていいのかも知れない。


そこで、君は。

素直さ

Posted by なんとかさん on   0  0

相変わらず色々整ってきたなと思ったところでネット上の情報で何かに気付いてしまう。奇妙な繋がりとでも言うべき情報性を持つ事実が、恐らくは知られていない現実、しかも日常性の中では浮かんでこないような現実の姿を具体的に想像させる。

それを知った事よりも、このタイミングで情報として受けてしまっている事の方が「試されている」感を強くさせている。陰謀というよりも、明らかに天の采配とか、意味づける自分を見守っている存在が何かを伝えようとしているとか、或いは世の中が見方によっては酷く合理的に出来ているというな解釈をしてしまうような、奇妙さで自分の中にあるものを呼び起こし続ける。


それは別に今回だけではなく、「もうこんなもんかな」と感じて、その気分のままネットを漂っていると不意に何かを見つけてしまうという繰り返しがあるから、結局は少し気構えた自分でいるしかないと思い知らされているという事で、やっぱりその「知」の全体の中で自分の最善を続けて行くしかないんだろうなと思う。


ただその向こうに希望がチラついている。自分が最も純粋に捉える事が大切で、その心境でそれこそ神様を信じるような素直さで生きて行くのが良いんだろうなと思う。

一つのゴール

Posted by なんとかさん on   0  0

どこまでも進んで行くというよりも、「ここまでで十分行き切った」と思えるところまで至って、そしてそれに気付ける事が大事なのだなと思った。

それは主観的なものだし、妥協はつきものだけれど常識的に考えて行く事から始めて「十分」と思えるところに来ているのなら、自分にしか分からない事情があったとしても十分なものを出せているのだと思う。


自分も分かって行く事で「十分なのだ」と実感できる。多分同じように「攻めて」行く事を繰り返すだろうけれど、満ち足りた気持ちになるというのはゴールの一つだと思う。

再び

Posted by なんとかさん on   0  0

「頑張る」とは違う事を思っている意識が何かを目指そうとしている。


こういう心境は何度目だろう。最近はずっと前にあった事を近くに感じるような独特の心境で、やり遂げた事が確かにあるから今になって意味を感じる事があるんだなと思う。


「何処かに向かいたい」と思うのはシンプルなようで複雑な過程の末の事だから、実際嬉しい。意味を見出すのが常に容易というわけではない人生というか、世界というか、とにかくそんな中で自分なりに何かを見つけ出している事の証だ。





そんなことを

Posted by なんとかさん on   0  0

夜中、少しフワッとした感覚で目覚めたついでに過去のブログを読み直してみたのだが、そこで自分が伝え残そうとした雰囲気に浸る事が出来た。

その雰囲気は、一言で言い表すならフィクションを受け入れられるような自然さとでも言うか、そういうものである。言葉を選ぶときにも気負う事なくフィクションの向こう側を選んでしまっている感覚とでも言うか。

「日常」はある程度固定された雰囲気で進むが、やはり「来訪」があるからなのか、何か今も心強いものがある。そういう雰囲気で居られる時間というのは無限ではなくて、同じように何かを残しておきたいと思った、という理由で書いている筈なのだが、自分はそれを意識せずに始めていた。


その辺りで普段の自分の感覚が戻ってくる。「現実が楽になってゆくイメージ」を意識的に浮かべる事は現実逃避ではないんだろうな、と日中思った事を思い出す。そういうイメージを構築し続ける事は案外、自分にとっては小説を書くことと同義でもあって、普段の自分を侵食させられる位のものだったらイメージの向こう側に結構自然と行けてしまう。


そんな事を考えていると楽しかったりする。

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