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さんぷる

私は土曜の夕方、仕事終わりに『慣用句』という名の酒場にやって来た。そこは、街で比較的静かな場所に位置し、建物は小さいが木造で、このご時世にあってはなかなか小洒落た雰囲気だという話で、私も一度は訪れてみたいとかねがね思っていた。


しかし私はここでとんでもない目に遭った。


入口の前で少し辺りに目をやりながら、落ち着きのある色をした木製のドアを押し始めた時、私はそれまで膨らんでいた店内のイメージを思い出していた。いろんな酒と、テーブルに、椅子に、主人。


しかし次の瞬間、私の目に留まったのは、このどれにも該当しなかった。私は、帽子を被った眼鏡の少年が、体格に似合わぬ大人用の白衣の袖を垂らしながら、私から一メートルと離れていない所に立っているのを見た。余りに近すぎて、私は心臓が止まりそうな程驚いたし、気付かないまま入店していたら危うく正面衝突するところだった。しかし少年はそのような動揺はお構いなしに、待ってましたと言わんばかりの笑顔で、得体の知れない茶色い紙包みを私に差し出しながら言った。

「これは大変高名な方が開発されたばかりの新薬です。是非サンプリングにご協力頂けませんか?」

私は、呆気に取られながらも、反射的に答えた。

「なっ…いや…。それは君、幾らなんだって怪し過ぎるんじゃないのかい。失礼だけど、君みたいな子供がだよ、事もあろうに『酒場』で出会い頭の客に薬を手渡そうとするとは。」

すると少年は幾らかムッとした様子になり、早口で付け加えた。

「いやならいいんですよ。別に、貴方で無くとも構わないんだから。しかし貴方はこの薬の効果を知ったら、きっと後悔します。この薬は…」

しかし私はこの時、薬どころの話では無かった。人間、予期していない事態に対して、そんなに物分かりが良いわけが無いのである。だから暫く静観する時間が必要なのである。

「あのね、おじさんは今、そういう事は…」

と言いながら、とりあえず視線を店の中に移し、一通り眺めると主人らしき男性が目に留まったので、私はその人に救いを求めた。

「あの、ご主人でいらっしゃいますか?」

男は答えた。

「いえ、経営しておりますのは私の家内です。」

「えっ?あ…そうですか。」

私はここで引き返すか、奥に進むかで大いに悩んだ。実際、店の中の雰囲気は想像よりも良かったし何よりも意外性があったはずなのだが、その意外性もこういう状況では、ドアを開いた瞬間の一件に始まる異常で不気味な印象が支配する物語の舞台として、店が飲み込まれるのを助長したに過ぎなかった。


悩んでいる私を見て少年が勘違いしたのか、再び口を開いた。

「悩むのも無理ありませんよ。なぜって、まだ説明が終わっていないのですから。実を言うとこの薬、その日一日の記憶を全て消し去る事が出来るのです。」

私は、薬の効果を聞かされても、その言葉もそうだが、実際に薬なんかでそんな事が可能になるとは信じなかった。精々、麻薬のようなものの類いで、脳の機能が麻痺する事で記憶の錯乱はあっても、それは物理的な消去ではないし、大体、人間の脳内で物理的にどのように記憶されていて、どういう情報として記憶されているのかも分からないのに、一日という時間だけ狙い済ましてそれをすべて消去するなどという事は、科学の進歩の順番から言っておかしい。たとえ可能だったとしても、それは『説明出来ないやり方』によって偶然可能になっているという、非合理なもの…ほとんど魔術なのである。私は理論も説明されず、そういう効果を実証する為のサンプルにはなりたくないという信念を持って生きている。そこで私は皮肉を言う事にした。


「だったら、私はいますぐにでも飲んで、この変な印象を忘れる事にしたいよ。飲むといっても、薬じゃない。酒だ。」
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みょうがの代わり

 こんにちは。
 この薬の良い利用方法をお教えしましょう。酒をしこたま飲んだ後、店の人にサンプルを飲ませて、ごちそーさん。勿論、効き目が無い時は白衣のガキのツケだ。

Re: みょうがの代わり

こんにちは。

この作品を書いた当時は記憶のメカニズムについてまだ分らない事が多かったころですが、最近では記憶の仕組みがかなり分ってきているようですね。でも、「一日」だけを狙い定めて記憶を消すのは無理でしょうね。どの記憶が消えるか分からないが記憶が消えるような薬ならあるのかも知れませんが…


白衣の子供は態度が生意気ですね。むしろこの子に飲ませてやっても…
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