朝河氏の帰還
次の日の早朝、立華さんが家にやって来た。そのまま朝河さんとリリアンさんのところに行くことになっている。そのまま朝河さんはあちらの世界に移動するそうだから事実上、これが朝河さんとの別れである。
「戻らないといけないとは分っていても寂しいですね」
「そう言っていただけで幸せです。でも、この世界を満喫したような気がします」
「それならば良かった。連絡するのは大変かも知れませんが、何かありましたら便りを是非」
「分りました。何か方法が無いか探してみます」
立華さんに朝河さんをよろしくと伝え、二人は車に乗り込んだ。庭で見送っていたが、ゆっくり動き出した赤い車は次第に遠くに行って見えなくなる。
「何だか静かになっちゃったな。そらはどう思う?」
家の中で静かに待っていた「そら」を撫でながら、そんな風に語りかける。「そら」は目を細めて気持ちよさそうである。数時間後、朝河さんから『無事到着しました』というメールが届いた。そして午後の3時の少し前、朝河さんから最後のメールが届いた。
『準備が出来たので、今から移動します。このタブレットは望さんに返却してもらいます』
5分後にその望さんから連絡があって無事あちらの世界に着いたらしい事が知らされた。ホッと胸を撫で下ろしたが、私は丁度この後に例の絵を描いた人の息子さんに会う予定になっていた。住所に移動してみると自分の家からそれほど離れていないというのが意外だった。呼び鈴を鳴らすと、扉が開いて小学生くらいの男の子が不思議そうに私の事を見ていた。咄嗟にこの人が孫なのではないかと思って、
「お父さんは居るかな?」
と訊いてみた。男の子は「うん」と頷いた。そして「おとうさ~ん、お客さんだよ!」と響く声で父親を呼んでくれた。その人は急いでやって来てくれて、
「ああ、これはどうも初めまして!ささ、上がってください!」
とすぐ部屋に上げてくれた。私が絵を持っていたのですぐに分ったらしい。客間と思われる場所で彼に絵を渡してみた。
「うん。これは父が描いたものだと思います。これに似た絵が家にも一枚飾ってありますよ」
と言って絵のある書斎に案内された。確かに二枚は良く似通っていて風景こそ違うが構図や色遣いなどは同じように見えた。
「お父様はどのような方だったんですか?」
一応聞いてみる。彼は、
「絵で生計を立ててるとかじゃなくて、しっかり普通の仕事をしてました。でも休日とかにふらっと何処かに出掛けて行ってずっと絵を描いていましたね。絵は独学だったみたいですよ」
「へぇ~でも絵は素晴らしいですよね。どこか幻想的と言うのか」
絵の事を褒めると息子さんも嬉しいらしく、
「そう言って頂けると嬉しいですね。私も父の描く絵は好きだったんですよ」
「絵を描くときに、題材について何か拘りのようなものはあったんでしょうか?」
異世界とか朝河さんの話をするわけにもいかないがこの辺りが重要だなと思ったと思った事を訊いてゆく。彼は、
「う~ん…何だったかな、確か『夢に出てきた場所』を探していると言った事がありますね」
「夢ですか?」
「ええ、父はよく色んな場所の夢を見るそうで、それに似ている場所だと描きやすいという事だったそうです」
「なるほど」
あまり長居するのもと思い、お茶を一杯頂いてお暇する事にする。直接的に異世界に関係していそうな事は分らなかったが、少なくとも描いた人ははっきりしたので良かった。朝河さんにメールで知らせようと思った時に<そう言えばもう連絡が出来ないんだな>と気付き、とりあえず立華さんに連絡する事にした。
そういえばメールについては水曜日の夜に見知らぬメールアドレスから『こんばんは、ジェシカです。ご主人さまにタブレットを買ってもらいました』というメールが『関係者』に一斉送信されていた為、朝河さんも同じ文面が届いていてそれぞれ返信していたのだが、家に帰ってきて「そら」に餌をあげた頃にそのジェシカ君から再びメールが送られてきた。件名には、
『朝河さんの移動の瞬間です』
とあって、動画が添付されていた。その動画はジェシカ君が買ってもらったというタブレットで今日録画されたもので、それはまさに普通ならCGでしか再現できないような瞬間だった。
『では名残惜しいですが、お別れです。もしまた機会がありましたら、またお会いしましょう!』
という朝河さんが最初に映っていて、
『マイケルさん、また会いましょう!!』
というジェシカ君の声も聞こえる。リリアンさんの声も聞こえた。その朝河さんが突然眩い光に包まれていったと思ったら次の瞬間には消失していたのである。そして『あ、ジェシカ、録画終わっていいよ』というリリアンさんの言葉で動画は終っている。
私は呆然としていた。
『凄い…』
と一言メールを返信したが、それ以上の言葉が出てこない。何度も見返して色んな事を考えるが、どう見ても編集したものではない。異世界の人だという事は信じているし他の話ももう受け入れている状態に近いのだが、こういう超科学的な現象を見せられるとどうも頭の方がついて行かなくなってしまうのが私であるようである。とりあえず立華さんと話がしたいなと思った。次の日『白の猫の置物』を返しに行くところだったから、丁度良かった。