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掌のワインディングロード ⑤

時々聡子には驚かされることがある。良い意味でなのだが、例えば聡子について知らなかった事で大学はかなり有名なところの文学部を出ていた。彼女の本心としては研究者になりたかったそうなのだが、狭き門という事とある程度の年齢までは収入が無いという事に対して何となく罪悪感の様なものがあったそうなのである。それでも院には進学したらしく、在学中同年代の人がばりばり働いて給料を得ているとか、社会人として仕事をこなしている様子に<自分はこれでいいのか?>と迷ったそうである。


聡子はあまり両親と上手くいっていないらしい。というか聡子が気を遣い過ぎている面もあり、経済的に自立したかったという。院を卒業した時の未練からか自分の本当にしたい仕事が見つからず、いっそ経済的な事を理由にして働いた方が良いし、それならばと割り切って夜の仕事を選んだそうだ。そういう事情もあるから仕事場ではあまり話が合わないそうなのだが、それでも色んな話が聞けて面白いとの事。


仕事で知った話も驚くことがあるけれど、その他の事では彼女はあれでミーハーなところがあるという一面を知った時には驚いた。『タラちゃん』の競馬指導は順調に俺達をファンに仕立て上げ始めている。特に無趣味に近かった俺は競馬という毎週楽しめる趣味を持った事で、何となくだが一週間のリズムが分り易くなった。聡子も競馬場に行く事に慣れてしまっている。それどころか、彼女の場合は既に好きな馬ができたそうである。以前東京競馬場、ファンは「府中」と呼ぶそうだが、5月に三人で行った時にも最初に皐月賞を見た時の様な盛り上がりがあって、そのメインレースで勝った馬の「アオゾラ」という馬が気に入ったそうである。


その馬が数日前出走して、2着になったレースで聡子はその馬の単勝1000円を買っていた。いわゆる『応援馬券』の要素が強いようなのだが、一頭の馬に惹きつけられるというのは実は純情な聡子らしさが溢れるエピソードである。2着に負けた時、『タラちゃん』が「ハンデ」の事を詳しく説明して、「決して実力で負けたわけではない」と保証されて幾らか機嫌を取り戻していたが、俺は彼女が「アオゾラ」が2着だと分った瞬間の聡子の表情を忘れない。絶望ではないにせよ、今にも絶叫しそうだった。



表面的にはクールに見える女性だが、中身はとても熱いのだろう。そういう一面を見せられるとやはり驚かされる。ちなみに、カラオケで歌うときもマイクを離さない。最近はそれほどでもないが、付き合って間もなくは一緒に居る時でも本を読んでいる事が多かった。俺はあまり本を読む方ではないが、文学部卒らしく難解そうなタイトルの本を読んでいる事もあった。


「本当はまだ研究したいんじゃないの?」


一度だけ、深く考えずこう訊いてみた事がある。本を読んでいた聡子は何かを考えるような様子で、一瞬「ふう」と溜息をついて、躊躇いがちにこう答えた。


「そういう気持ちはないわけではないわ。でも現実的ではないでしょ?」


「まあ…」


その反応を見てそれ以上の事が言えなかった。研究の事は良く分からないし、彼女が何をしていたかにもよるだろうが常識的にというか聡子のイメージからか、大学で研究を続けている姿をあまり想像出来ない。彼女なりに考えた末の結論だから今更変わらないのかも知れない。


俺は再び静かに本を読み始めた聡子を見て急に愛おしくなり、気付くと後ろから抱擁していた。


「どうしたの?ふふ…」


「何となく、な」


もっと気の利いたことが言えればいいのだが、彼女が頑張っているという事は俺が一番よく知っている。変に現実的で賢いから、途中で何かに気付いてしまうのだろう。出来るなら、聡子に夢を見せてあげたいと思ってしまうのは甘いのだろうか?



木曜日。昼過ぎに『タラちゃん』が忙しそうに何かをメモしていた。思わず、


「何のメモだ?」


と訊くと、


「いや、今週の新馬戦で注目の馬をちょっとメモしてみようと思いまして」


新馬戦についてはデビュー戦という認識で分っていたのだが、メモをして何をするのだろう?続けて訊いてみると、


「新馬戦っていうのは実は面白いんですよ!強い馬は遊んでも勝っちゃうし、そんな強い馬がポカをやらかすのも新馬戦。そして事前の評判を聞いて、来年の妄想…いや予想をして楽しむのが通なんです」


「来年?何かあるの?」


「基本的には来年の4月以降のGⅠで勝っているような馬…特に日本ダービーを勝つ馬のデビューを見られるかも知れないというのはワクワクしますよね。先週から中山のデビュー戦が始まったんですが、あまり強い勝ち方をした馬が居なかった印象です。でも今週はですね…なんと…」


と言って焦らし気味に話す『タラちゃん』。


「なんだよ。意地悪しないで教えてくれよ」


「一億円馬が出走します!!!」


「一億円!?なんだそれ?」


『タラちゃん』は懇切丁寧に教えてくれた。2歳デビューの馬は1歳の時などに「競り」にかけられて所有者が決まるそうだが、血統が良いとその金額も跳ね上がるらしく、その父親がドリームインパクトという馬はその時の金額で1億円だった期待馬なのだそうである。<馬に一億円…>と一瞬気が遠くなるが、馬券の配当とか相場を見ると何となくあり得そうだと思った。しかも過去には2億を越えた馬もいるのだそうで、先物投資にしてもスケールがデカいなと思わざるを得なかった。


「で、その馬勝ちそうなの?」


「ほぼ鉄板ですね。銀行レースとも言います」


「ん?」


『タラちゃん』に限った話ではないようだが、競馬番組などでも時々独特な言葉遣いをするのが見受けられる。この時の表現も一瞬理解に迷った。『タラちゃん』はうっかりしたような表情をして、


「鉄板並みに『堅く』、銀行の利子ように配当は易いですが確実なレースってことだったような気がします」


「つまり、その馬でほぼ間違いないと」


「ええ、もしかしたら圧勝するんじゃないかと」


「だったら買えばいいじゃん」


すると『タラちゃん』は「ところがどっこい!」とやや時代がかった言葉遣いで、


「こういうレースこそ、穴を狙いたくなるじゃないですか」


と少し分らない話をする。俺は頭が混乱していた。あれだけ勝つだろうと分っているのに、なぜ敢えて穴馬を狙うのだろう。


「実を言うとですね、そんなに格好良い話ではなくてドリームインパクトの牡馬は前評判が凄いけれどちょっと疑ってかかる必要があるんです」


「ドリームインパクトって最強馬だろ?一時ブームになった時があるよな」


ドリームインパクトは無敗でなんちゃら、という話を俺は何かで聞いて知っていた。聡子もドリームインパクトは知っていたし、競馬に興味がない人でも案外知っている名前である。


「それがですね…悪い傾向といえばそうなんですけど、ドリームインパクトの子供の牡馬、つまり雄の馬で本当に強い馬が出ていないような気がするんです。勿論、ドリームインパクトファンの人は違う意見を持っているとは思うんですけど、どうもドリームインパクト並みの強さの馬が出ていないような…」


「そうなのかな?良く分からんけど」


「まあ一つには期待が大き過ぎて、それくらいの馬が出てこないからという理由もありますね。でも、一億円の馬だって常に走るわけではありませんし、こういう時は過剰に人気になったりする面もあるので穴を狙うというのは間違ってはいないんです」


「へぇ…」


俺は感心していた。内容にも感心したのだが、その内容が淀みなく出てくるあたりがさすがだと思ったのである。その時、聡子が近所のスーパーから帰ってきた。


「ただいま。今日夕食パスタにしようと思ってるんだけど、いいかな?」


「おかえり。いいよ。じゃあ俺も手伝うから」


「ありがとう。ところで今何か話してたの?」


「うん。『タラちゃん』と一億円馬について」


「いちおくえんば?一億円の馬って事?どういう話、あとで教えてよ。今冷蔵庫にしまうから」


「あ、僕も手伝いますよ。しまいながら聡子さんにも教えます」


聡子にも今の話をそのまま伝える『タラちゃん』。手際よく冷蔵庫に野菜をしまうのがなんとも主夫っぽい。


「なるほど、そういう話なのね。確かにファンになると冷静に見れないというのはよくある話よね」


「ドリームインパクトの話だな。聡子はその新馬戦どう思う?」


俺は新馬戦で一億円馬がどうなるかを聡子に訊いてみる。


「でも一億円も出すのってよっぽどの事でしょ?お金持ちなのかも知れないけど。やっぱり強いんじゃないかしら?」


「いやそれがですね…曇らせているかも知れないのは『夢』ですよ。」


「『夢』?」


「そうですね。やっぱりドリームインパクトの子供で日本ダービーとか凱旋門賞とかを圧勝しているような『夢』を思い描いてしまうと、その馬を見るというより、血統だけしか見てないかも…」


「夢ねぇ…」



聡子は夢という言葉でなんというか戸惑いを隠せないようだった。男なら分る「ロマン」というものに近いかも知れない。将来の事など殆どは分らない。新馬にしても既に来年の事を思い描いているというのはやはり気が早いと一般的な感覚では思う。自分の子供の将来を大きく期待しているようなものだろうか?



そう思っていると『タラちゃん』の面白い部分にも思い当たる。『タラちゃん』はその日その日を一生懸命なタイプの人間だが、競馬の事になると既に来年とか遠い先の事を考えたりできるのである。少し前に大きな災害があったこの国だから、順調に行けばの話なのだが、既に来年も競馬が普通に開催されるだろうという確信なのか期待が既にファンの間にはあるのである。


<来年か…俺何してるのかな?>


そんな事を心の中で思っていた。
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