淡く脆い ㉓
『戸田』という人の話を聞いてから数日は少しぼんやりしていたような気もするし、整理のつかない複雑な心境のままとりあえず作業を続けていたような気もする。一方で芳井さんのやり取りを思い出して一瞬浮かれ気味になったり、自宅で過ごしているついつい甘い想像に浸ってしまう事が多くなってしまった。
仕事場でも一人で百面相をしていたのを目聡くも気付いたらしい同輩がその様子をひそかに峰先輩に報告していたらしく、水曜日の呑みの席でも少しばかり弄られた。「片霧くん、なんかあったでしょ?」という言葉から続いた質問攻めでほぼ洗いざらい吐かざるを得なくなった。それを聞いたいつものメンバーは以前にも増して関心が高まっているのか、それぞれ憶測を発表し合うような場になってしまった。
同輩の田中が、
「まあそう言うこともあるんじゃないの。でもほぼ付き合ってるようなものだから心配ないと思うぞ」
と楽観的に捉えていたのと対照的に後輩の山口君は、
「でもそういうときって女性は押しに弱いんじゃないですか?」
と何となく焦らせるような事を言う。峰さんはやはり二人の話を聞いてから少し違った視点で語る。
「ほとんど片霧くん次第なのよね…。君が行動すれば良いだけの話。でも片霧くんはそういうタイプじゃない。それがややこしくしてるのよ」
そういって小さく溜息をついたのだが、確かに峰さんの言うとおり本来なら自分が芳井さんに『戸田』という人の事を予め伝えてしまえば案外上手くいきそうに思える。けれど、自分がよく知らない相手である『戸田』という人に気を遣うわけではないけれど、彼の気持ちは彼がきちんと芳井さんに伝えたいと思うであろう。伝えるかどうかも含めてその人の『意思』なのである。先ほどの溜息は内心でこういう風に考えていたのが峰さんにはお見通しだったという事なのだろう。
「やっぱり片霧くんは片霧くんなの?」
その言葉には若干責めるような調子もあったけれど、できの悪い弟を見守るような優しさもあったように感じた。結局、自分の中では動き出すか動き出さないかの結論が出ないまま次の週末を迎えた。
結論を言えば「何もしない」という事も出来なかった。
土曜の午前一人電車で移動し、段々土地勘が出来はじめた場所を歩く。『七宮公園』を目印に『青』いコンビニに向かう。芳井さんからシフトを聞いたわけではないので居るのかどうかは運任せだったが店で仕事をしている『戸田』氏をすぐ見つけた。
「いらっしゃいませ」
慣れた様子で迎い入れてくれる店員としての『戸田』氏。さすがに以前来た時の事を覚えていなかったのかごく普通に客として接客してくれている。特に必要ではなかったがドリンクとおつまみなどをカゴに入れてレジに持ってゆく。商品をスキャンする段になってようやく語りかけた。
「あの、戸田さんですよね。この前ここの店員の芳井さんに紹介してもらった片霧っていう者だけど」
自分と同じような体格でメガネを掛けている男性の表情が一瞬不思議そうなものに変わったと思うとすぐさま何の事なのかに気付いたのか、少し表情が固くなったように見えた。
「あ、どうも」
視線はこちらに向かっているが普通に仕事を続けている。幸い店の中には他に客がいないようだから話がし易い。
「それで、この前ここに相川って男が来たと思うんだよね。〇〇大学に通ってた人だけど、俺の友達でさ…」
この話が何を意味するのか分るまでにそれほど時間は掛からなかったようだ。先ほどまでの滑らかな動作から一変して明らかに動揺して手が止まってしまっていた。もっとも商品をレジ袋に入れ終わったところだったので自分でそれを採ったのだが。そして戸田氏は一言、
「彼から聞いたんですか…?」
とだけ訊いた。静かに頷く。二人の間に流れた沈黙が全てを物語っていた。戸田氏にはっきりと聞こえる溜息があって、こんな風に静かに語りだした。
「最近の里奈さんの様子を見ていれば貴方がどう思われているのか分らないわけはありません。でも…」
「でも…?」
「俺は本気ですから!」
そう言ってこちらを見つめる目は力強いものだった。
「うん」
この瞬間、峰さんが「片霧くんは片霧くん」と言った意味が実感できたような気がする。結局「うん」と言ったきりただ彼を見続けている自分が居た。その様子を不審に思ったのかは分からないけれど、戸田氏はまた不思議そうな顔をした。
「…それだけなんですか?」
「そうだね。俺が知っているって事を君に伝えたかった。ただそれだけ」
「何で、そんな事をしたんですか?」
彼は本当に不思議そうにしている。
「片霧さんにとって良い方向になるような気がしたから、かな…」
思ったままの事を言ったけれど、ますます分らないと言った表情である。
「君の想いは君が伝えるべきだと思うんだよ」
そう続けると戸田氏は合点がいったらしく、ゆっくり頷いた。そのままレジ袋を抱えて店を後にした。
「ありがとうございました」
外気に触れて、ホットのドリンクの方が良かったかなと思った。
仕事場でも一人で百面相をしていたのを目聡くも気付いたらしい同輩がその様子をひそかに峰先輩に報告していたらしく、水曜日の呑みの席でも少しばかり弄られた。「片霧くん、なんかあったでしょ?」という言葉から続いた質問攻めでほぼ洗いざらい吐かざるを得なくなった。それを聞いたいつものメンバーは以前にも増して関心が高まっているのか、それぞれ憶測を発表し合うような場になってしまった。
同輩の田中が、
「まあそう言うこともあるんじゃないの。でもほぼ付き合ってるようなものだから心配ないと思うぞ」
と楽観的に捉えていたのと対照的に後輩の山口君は、
「でもそういうときって女性は押しに弱いんじゃないですか?」
と何となく焦らせるような事を言う。峰さんはやはり二人の話を聞いてから少し違った視点で語る。
「ほとんど片霧くん次第なのよね…。君が行動すれば良いだけの話。でも片霧くんはそういうタイプじゃない。それがややこしくしてるのよ」
そういって小さく溜息をついたのだが、確かに峰さんの言うとおり本来なら自分が芳井さんに『戸田』という人の事を予め伝えてしまえば案外上手くいきそうに思える。けれど、自分がよく知らない相手である『戸田』という人に気を遣うわけではないけれど、彼の気持ちは彼がきちんと芳井さんに伝えたいと思うであろう。伝えるかどうかも含めてその人の『意思』なのである。先ほどの溜息は内心でこういう風に考えていたのが峰さんにはお見通しだったという事なのだろう。
「やっぱり片霧くんは片霧くんなの?」
その言葉には若干責めるような調子もあったけれど、できの悪い弟を見守るような優しさもあったように感じた。結局、自分の中では動き出すか動き出さないかの結論が出ないまま次の週末を迎えた。
結論を言えば「何もしない」という事も出来なかった。
土曜の午前一人電車で移動し、段々土地勘が出来はじめた場所を歩く。『七宮公園』を目印に『青』いコンビニに向かう。芳井さんからシフトを聞いたわけではないので居るのかどうかは運任せだったが店で仕事をしている『戸田』氏をすぐ見つけた。
「いらっしゃいませ」
慣れた様子で迎い入れてくれる店員としての『戸田』氏。さすがに以前来た時の事を覚えていなかったのかごく普通に客として接客してくれている。特に必要ではなかったがドリンクとおつまみなどをカゴに入れてレジに持ってゆく。商品をスキャンする段になってようやく語りかけた。
「あの、戸田さんですよね。この前ここの店員の芳井さんに紹介してもらった片霧っていう者だけど」
自分と同じような体格でメガネを掛けている男性の表情が一瞬不思議そうなものに変わったと思うとすぐさま何の事なのかに気付いたのか、少し表情が固くなったように見えた。
「あ、どうも」
視線はこちらに向かっているが普通に仕事を続けている。幸い店の中には他に客がいないようだから話がし易い。
「それで、この前ここに相川って男が来たと思うんだよね。〇〇大学に通ってた人だけど、俺の友達でさ…」
この話が何を意味するのか分るまでにそれほど時間は掛からなかったようだ。先ほどまでの滑らかな動作から一変して明らかに動揺して手が止まってしまっていた。もっとも商品をレジ袋に入れ終わったところだったので自分でそれを採ったのだが。そして戸田氏は一言、
「彼から聞いたんですか…?」
とだけ訊いた。静かに頷く。二人の間に流れた沈黙が全てを物語っていた。戸田氏にはっきりと聞こえる溜息があって、こんな風に静かに語りだした。
「最近の里奈さんの様子を見ていれば貴方がどう思われているのか分らないわけはありません。でも…」
「でも…?」
「俺は本気ですから!」
そう言ってこちらを見つめる目は力強いものだった。
「うん」
この瞬間、峰さんが「片霧くんは片霧くん」と言った意味が実感できたような気がする。結局「うん」と言ったきりただ彼を見続けている自分が居た。その様子を不審に思ったのかは分からないけれど、戸田氏はまた不思議そうな顔をした。
「…それだけなんですか?」
「そうだね。俺が知っているって事を君に伝えたかった。ただそれだけ」
「何で、そんな事をしたんですか?」
彼は本当に不思議そうにしている。
「片霧さんにとって良い方向になるような気がしたから、かな…」
思ったままの事を言ったけれど、ますます分らないと言った表情である。
「君の想いは君が伝えるべきだと思うんだよ」
そう続けると戸田氏は合点がいったらしく、ゆっくり頷いた。そのままレジ袋を抱えて店を後にした。
「ありがとうございました」
外気に触れて、ホットのドリンクの方が良かったかなと思った。
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