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掌のワインディングロード ⑫

私は自分の事をあまり望みの薄い事には挑戦しないタイプだと思っている。世の中がこんな感じだし同世代の子も世界に期待していないというのか、身近にある幸せとか、頑張れば何とか出来そうな事に留まっているような感じと言えばそうかも知れない。一回り年のいった世代の羽振りの良かった時代の話を聞いたりすると、「そういう時代もあったのね」という歌詞のような感想しか出てこない。仕事だから相槌を打ちながらもどこか冷ややかに聞いている自分もいる。


実家の両親だって同じ世代だけど、公務員にとってはあまり変わらなかったという苦労話を昔よく聞かされた。既に立場が逆転していた数年前から父は私に教職に就くことを望んでいた。勉強をするのも人に教えるのも嫌いなわけではないけれど、私ははっきりと研究に向いているタイプだという事を自覚していた。


<人に教える前に、もっと自分で勉強してみたい>


大学3年の頃からぼんやり思いはじめていた気持ちが行動に移ったのは教職免許を取る為の教育実習を辞退した時である。そこで両親は裏切られたような気持ちになったのかも知れない。私としては教職が既に狭き門で、コネの世界だという話を教授から聞かされていて、挑戦する意欲も失せてしまったという事情もあった。就活も始まってはいたけれど、4年の頃から始まったゼミの雰囲気が自分には合うと思えてきた。



気が付くと私は院へ進学する準備を着々と始めていた。教授の後押しもあって、奨学金を貰えるというような状況になったのでバイトを続けていけば親の仕送りがなくても生活できる―ただし授業料は出してもらわなければならない―と分って、私はほぼ一人の判断で院試を受け、そして受かってしまった。


そこから一層両親との関係が悪化したのは言うまでもない。授業料はなんとか出してもらえる事になったけれど、


「あとは勝手にやれ」


と言われた。院時代、母は時々連絡をくれていたけれど、卒業後今の道に進んだのを知らせて以来、電話口で泣かれてしまった。母も父ほどではないにせよ、私に普通の道を期待していたのだと思う。けれど、未練が残ったままの私にとって仕事は全てを捧げるものではなかったのだと思う。



私が何故、今こんな事を振り返っているかというと、望みが薄い事に挑戦しない性格で良くも悪くも今の生活がある私がギャンブルをしてしまっているという事がとても意外な事だと自分でも思えているからだ。馬券を買い始めたのも何となくだったし、そもそも当たるという事はそれほど気にしていない。『応援のつもり』といえば近いかもしれない。



けれど確かに手にしたお金はその夜の夕食代になったし、幾らか手元に残った。一昔前なら「あぶく銭」と呼ばれたかも知れないお金も、お金である事には変わりない。まっとうな仕事というなら、今の仕事はグレーゾーンなのかも知れないけれど、ちゃんと働いている実感はある。考えれば考えるほど、このお金は不思議だった。



タラちゃんは当たった事を喜んでくれたし、勇次に至っては「それ買っておけばよかった」と悔しそうにしている。男性というのは意外とギャンブルが好きなのではないかとさえ思えてしまう。でももっと深く考えてみると、私がこの「10番」の馬券を買ったのは決して『望みの薄い』事に投資したわけではないという事が分る。



実際、私は10番のヨコスカパンドーラが勝ってもおかしくないと思っていた。倍率というのは多くの人が賭けた金額を反映するから、10倍という倍率もしっかり意味がある。見る人によっては他の馬が1着になる可能性が高いと踏んだのだろう。けれど私にとってはそれほど『ギャンブル』という感じもしなかったのも確かなのだ。


そういう感覚的な話を二人にしてみたら。


「ああ、分ります。僕もときどき自分が良いと思った馬が全然人気にならない事もありますし」


という返事。勇次は一応頷くものの、


「まあでも人気が集中するって事はそれなりに何かいいところがあるってことだと思うけど」


と言う。私は数学の確率論はそんなに得意ではないけれど、競馬のレースの確率というのは数字で言い表される事を越えているような気がする。難しい話だけど、どこかロマンのようなものを感じなくはない。そして私はジャパンカップに勝ったヨコスカパンドーラについて調べているうちにもっと興味深い事を知った。


ヨコスカパンドーラは名前に『パンドーラ』というギリシャ神話でよく出てくる女性の名前が入っている。「全ての贈り物」という意味の女性の有名な逸話が「パンドラの匣」という言葉でよく知られている。


「全ての贈り物」。その中には当然悪しきものも含まれている。ありとあらゆるものが飛び出した最後に残っていたものが『希望』。文学的にもとても魅力的なテーマの逸話だけれど、この馬に何故この名前が着いているのかを調べた時、私は納得してしまった。



数年前にこの馬が生まれた時、牧場の経営があまり上手くいっていなかったらしい。パンドーラは良血だけれど、思ったほど期待されていなかったという。けれどその時経営者が変わってあらゆる可能性を尽くしてそれまで行っていなかったような試行錯誤が始まったという。牧場の人はこれで上手くいかなければもう希望はないとも思ったらしい。そんな中、ある馬主さんの目にパンドーラが目に留まる。馬主さんも牧場の事を知りパンドラの逸話の『希望』なのか、それとも『希望するように定められた人間』の『苦痛』なのかの、その話に通ずる部分があると思ってそう名付けたらしい。




そしてその馬は先週、チャンピオンに輝いた。生産者の事を考えると喜びは大きかっただろうと思う。けれど喜びばかりではない、それまでの過程を考えれば希望し続ける事の苦痛というのもよく分かるような気がする。



私はそれを知ってから自分の事を振り返った。望みの薄い事には挑戦しない方が良いのかも知れない。『パンドラの匣』は開けないままの方が良いのかも知れない。でも、開けてしまうなら苦しみと、そして喜びがあるのかも知れない。私にとってパンドラの匣とは…



そう考えた時、勇次と顔が合った。彼はにっこり笑った。もし、勇次が傍に居てくれるなら、タラちゃんが応援してくれるなら、希望し続ける事も決して不幸ではないように思う。


そんな風に思った。




※ヨコスカパンドーラのモデルはショウナンパンドラですが、この話は完全に創作です。
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