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掌のワインディングロード ⑯

有馬記念当日。かなり冷え込んだ朝だったが、絶対早めに移動した方が良いと思って急いで支度を済ませる。3人とも時間を作ることが出来て、一年の総決算を観戦できる事になったのは僥倖といえる。土曜日こそ疲労が溜まっていたが今日に備えて8時頃には床に就いたため、すっかり完調。


「流石に6時は早くないかなぁ…?」


細いさんは言うが、僕としてはこれでも遅いと思っていた。確かクライイングハートが勝った年の記憶だとドリームインパクト効果もあったけれど朝の4時には家を出ていたと思う。このアパートから中山競馬場が一番近いので普通のGⅠだったらそれ位でも十分かもしれない。また府中だったら広いしまだ勝手が良いのだが、この日に中山に行くという事は例えばコミケに行くのと比定される
のではないかと思う。


「祭りですからね、なめちゃいけません」


「そういえば、『祭り』で思い出したけどあの演歌歌手も馬主さんなんでしょ?」


鏡を前に化粧をしながら多いさんが言った。そう、演歌のサンちゃんこと『北川三四郎』もJRAの馬主さんで、今年の菊花賞で悲願のGⅠ取りになったのだ。その名も『キタガワブルー』。ドリームインパクトの兄である種牡馬のブルータイドの代表産駒とも言える存在になった同馬は今後の活躍が大いに期待され、この有馬記念でも3歳の中では有力と見られていた。


「実は僕の本命です。自信はありませんが、鞍上も必ず何かをやってくれると思ってます」


自信が無いと言いつつ、実は密かに勝つ可能性が高いと思っていた。


「あー、何か昨日の段階ではオッズが高くて、なんか不安だったんだよな…名前も何となく…」


キタガワブルーのような馬は実績があっても何故か評価されにくい。一つにはドリームインパクト産駒ではないという事、もう一つは馬主がこれまで所有していた馬の実績、そして名前から受ける印象だろう。細いさんはオッズを気にしているけれど、常に勝っているわけではなく2、3着と成績が安定している馬というのは頭では抑えにくいという事情もある。馬連などではそこそこ売れているから強いという事は一応認知されている。しかしながら3歳馬、乗り替わり、など不確定な要素が多いとこういう何があるか分らないレースでは狙いにくいのかも知れない。


「まあ、馬券の事は後にしてとりあえず移動しましょう」


二人で馬券の事を話しているうちにメイクを終えた大井さんが立ちあがって促していた。同意して3人で玄関を出た。もはや通い慣れた道を歩いて駅。若干だが駅に人が多いような気がするのは多分気のせいではない。ここから何人かは中山競馬場に向かうのである。朝なので言葉少なに何駅が通り過ぎ、目的地へ。



その駅から続いている道は既に人が列をなして歩いている。多分入口付近はもうかなり並んでいる筈である。



「やっぱり、こうなるよね…」


「うわー…予想してなかった…」



細井さんも大井さんもらしい反応。大井さんは何事も事前に調べるタイプだから予感していたのだろう。奥に進んで最後尾につける。


「ちょっと寒いですけど、後一時間半くらい気長に待ちましょう!」


と提案すると細井さんが「よし!」と言っていきなり競馬新聞を広げ始めた。


「タラちゃんメインの前に今日の9レースなんだけど…」


どうやら有馬記念の前のホープフルSの馬券検討らしい。あまり深く考えず「普通に9番の…」と前走重賞を買っている馬が推した。


「なんか、ちょっと恥ずかしい…」


周りでも同じような事をやっている人がいるけれど、あんまりにも似合いすぎてるのもそれはそれで困惑してしまう。



☆☆☆☆



寒い中を待っていた甲斐があって開門して比較的いい場所を見つけることが出来た。ゴール盤の手前。


「これだと馬券は一気に買っちゃった方が良いな。よし、俺が買ってくるよ」


細井さんの選択は正しい。多分次第に身動きが取れなくなってはぐれてしまうだろうから。僕は『キタガワブルー』の単勝1000円と『キタガワブルーとセイボノヒカリ』の馬連1000円を頼んだ。セイボノヒカリはエリザベス女王杯馬で、ドリームインパクト産駒で本格化した今なら好走できそうだし馬券的にも美味しいかなと考えたのである。


「聡子は?」


訊かれた大井さんはかなり真剣にスマホの画面を見ていた。


「聡子?」


無言の時間が続いたので気になった細井さんが言うと、


「よし、決めた!ブロンドアクターとアースサウンドの馬連…3000円!!」


と周りにも聞こえる様な声で言った。僕は少し驚いてしまった。もちろん声が大きかったと大井さんのテンションもあるけど、3000円という大井さんにしてはかなりの勝負に出た事が意外だったのである。


「どうしてそれにしたんですか?」


思わず訊ねてしまった。すると、


「タラちゃんが前力説してた馬と、勇次の本命のアースサウンドを合せただけだよ」


とこれまた意外な答え。


「なるほどな」


細井さんは頷いているが、実を言うとこの馬券はかなり旨味がある一方でブロンドアクターが本当に強いのかどうかで評価がまるっきり変わってしまう買い方だった。もしかしたら強いのかも知れない…けれど…。僕が悩んでいるのをよそに細井さんはいつの間にか居なくなってしまっていた。それにしても、


「聡子さん、何か今日気合入ってますね…」


と言いたくなるような様子だった。大井さんは軽く微笑んで言った。


「まあ、大勝負ね!」


午前からのレースが始まって、途中昼食などを買いに行ったりしたが順調に進んでいって第9レースの頃にはもう普通のGⅠ並みの歓声があった。特にゴール盤付近での絶叫が凄まじく、身動きが取れないうえ大井さんが盛大に馬券を外したものだから何か異様な興奮になっていた。密着しているお陰で寒さは感じないが、息が苦しくなってきそうな気持ちになってくる。


「あぁ~2、3着だったぁ…ワイドにしておけばよかったぁ…」


何故か非常に既視感のある展開。買う直前になって配当を気にしてワイドを選ばないというのはよくある事だろう。


「あー…緊張してきた…」


細井さんの事も気になるけれど僕は僕でGⅠ直前の緊張感でまたどうにかなりそうだった。臨場感もあるけど、応援している馬がいるとテレビで見ててもよくある現象で、あまりにも力が入り過ぎていてレース後に虚脱状態になったりするのだ。


「リラックスよ、タラちゃん」


対して大井さんはもう腹を括ったような様子で、今か今かと待ちわびているようにも見える。やがて本馬場入場が始まり、先ほどのレースに続いて物凄い歓声が上がる。パドックでの様子は見ることが出来なかったけれど、この本馬場入場も重要だという事が最近になって騎手のインタビューなどで分りはじめていた。


<お…リラックスしてる、動きも堅くない>


そう思ってしまうくらい、『キタガワブルー』の状態は良く「見えた」。あくまで僕の目によく見えただけなので本当の所は馬自身にしか分からないのかも知れない。けれどこうして見る事の出来た馬の姿からは結構色んな事が見えてくる。歓声が一層強まったのはこのレースで引退になるゴールデンボート。ドラマチックなラストランを期待している人も多いみたいだけれど、前走で衰えも感じられたのが僕の本心。もちろん、劇的な勝利で感動の涙を流す準備は結構出来ていて、どこかで期待している自分がいるのも確かだった。



本馬場入場が終わり、一旦クールダウンする会場。けれど時折手拍子が起ったり、もう待ち切れないと言った感じ。そしていよいよファンファーレが鳴る。


パーパパパー パパパパー



ところどころ掻き消されているいるような感じだが、周りに合わせて3人で拍手する。そして最後の「おー」という歓声。あまり騒ぎ過ぎるのも馬にとっては良くないという事は知っているけれど、これがないならそれはそれで寂しいだろう。


「ゲートイン大丈夫かな?」


「ゴールデンボートですか?多分大丈夫だと思いますよ」


近走ゲートに難があるという事で注目されていたゴールデンボートもすんなりゲートに入った模様。



全頭ゲートイン完了。最後に観客が一斉に叫んでスタート。



2500メートルのレースなのでじっくり構えて見てられるかと思いきや、『キタガワブルー』がいきなり先頭に立って軽く歓声が上がる。


<あ…これはマークされちゃう…>


実を言えば2、3番手が理想だと思っていたので若干不安になってしまった。けれどレースはかなりのスローで流れこれは鞍上の狙い通りの展開かも知れないと思いはじめた。競りかける馬もいないままそのペースで目の前を過ぎ、あと一週となったところでも隊列は変わらない。


「イケる!!」


と口に出した瞬間、ゴールデンボートが動いた!いつものように派手なアクションで大外を上がってゆく。けれど中山で大外を回されて、方やスローでロスなく逃げている馬がいる中ではかなり不利なようにも思えた。だが、その逃げ馬もゴールデンボートが押し上げた影響で後続との差が徐々に縮まって、完全に直線勝負になってしまいそうな具合。


「うわー、来るかなデルーカ!!」


細井さんはアースサウンドを見ているようだった。大井さんは静かに見守っている。



直線、『キタガワブルー』がコーナーをロスなく周った差を活かして粘っている。


<行けるか!?>


と思った瞬間、セイボノヒカリが並びかけようとしていた。歓声も絶頂でここでもう自分は興奮してしまったのだが、すぐに焦りはじめる。


「あ、アクター来てる!!」


誰かが叫んだ声で、ブロンドアクターが伸びているのに気付いた。みるみる差が縮まって、そして交わした!だが更に外からラウロ・デルーカの『アースサウンド』が一気に伸びてきた!!



ブロンドアクターが最後まで凌いだ。ゴールデンボートは直線あまり伸びなかった模様。一瞬で「世代交代」という言葉が浮かんだ。と同時に、いいレースを見れた充実感が胸に広がる。馬券は3、4着でダメだったが、ブロンドアクターも注目していた馬なので悪い気はしない。そんな事より、隣で力強く両腕を振り上げている女性が居ることに気付いた。


「聡子…あたったじゃん!!すげぇえええ」


それは馬券を見事に的中させた大井さんだった。払い戻しも凄い事になりそうだが、何かいつもと違うその気迫に面喰ってしまう。


「聡子さん!!凄いです!!」


けれどその驚きもすぐに過ぎ去り、もう称賛の声しか出てこない。落ち着いたのか腕を下げ、


「二人のお陰よ。それに、今回は私の念が通じたんだと思う」


と満足そうに言った。馬券べたな自分はもう競馬通を名乗れないかも知れないと思いはじめたり。
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