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掌のワインディングロード ㉒

フェブラリーSの週。数少ない中央ダートのGⅠレースであるという事と、有馬記念から大分間が開いたという事もあり特別感が増しているように感じた。大井さん細井さんともに府中ダートのGⅠを見るのは初めてだからか予想にも気合が入っていたように感じる。


府中に来たその日、既にテンションが上がって忙しなく歩き回っている他の大勢のお客さんを見て、<この頃は随分お客さんが増えたような>と思いながら過ごし易そうな場所を探していた。その時、大井さんが何気なく言う。

「もうこの雰囲気は慣れちゃったなぁ」


少し苦笑する大井さんは常連になるとは思ってなかったのだろう。細井さんも同じような表情を浮かべている。その時、僕はこの3人でこうして競馬場に来て楽しめている事がもう当たり前なのに何だかとても素晴らしい事のように感じた。そして僕の頭に咄嗟に、


<こういう日々は多分長くは続かないんだろうな>


という考えが急に浮かんできて自分で吃驚していた。けれどよくよく考えてみるとその週にあった事で僕は既に何かを感じ始めていたのかも知れない。




月曜日のこと。バイトで店長から「加賀見君」と部屋に呼ばれた。店長はそこでゆっくりこう言った。


「加賀見君、社員になる気ある?まあ今すぐにってわけじゃなくって、もし社員になりたいのなら今うち人手不足だから求人ちょっと出てたりするからどうかなって」


ほとんど想定していなかった事だったので僕は呆気にとられて、


「え、希望すればなれるものなんですか?」


と訊いてしまった。すると店長は苦笑いして、


「いや、そういう事ではないんだけど普通に求人で応募すればちょっとは優遇してくれるかもってとこかな」


と言う。


「ああ、そうですか」


その時はそう返事して曖昧に頷いて「検討してみます」と答えて残りの仕事に集中したのだが、次の日目覚めて冷静に考えてみて、


<もしかしたらそれは凄く良い事なのかも知れないし、凄く責任が重いのかも知れない>


と思いはじめた。今の状況は責任もなく給料もそれほどでもないけれど、仮に一般の枠で「就職」というかたちになればまた生活もガラっと変わってくるだろうなという事が予想された。


<でも…>


一方で、今はあくまで成り行きで仕事を続けているという感じで「就職」という事を意識するなら可能ならば「普通」の仕事に就きたいという気持ちは当然ある。かなりハードルが高いという事もうんざりするほど聞かされているが、自分の個人の経験としてまだ確かめては居なかった。そういう迷いが出てくると、何かをはっきりさせるために一度本気で「就活」というものをやってみるのも良いのかも知れないと思いはじめる。同年代と同じような就活にはなりえないけれど。火曜日はそのまま職安に行く事にした。



職安には時々通ってはいたが、本気で転職を考えて探していなかったのもあって求人票も今までよりしっかりと見るようになった。例えば自分は体力がある方だし、立ち仕事は慣れているから工場というのも選択肢だろうなと思って絞って検索してみたり。或いは今と同じような飲食業の社員での待遇を眺めてみたり。



けれど就活する場合に僕は甘えかも知れないが、土、日の休みはどうしても欲しいと感じてしまっていた。ただその条件で探し始めると一気に求人が減る。週休2日も隔週だったりするので毎週に限定すればそれほど選べる求人ではなくなる。けれどどうせ絞り切れないのだから、そういう条件の中で見つけてみるのもいいのかなと思った。そういう風に捉えると、意外と出来そうな仕事があるという事に気付く。



結局週末までに時間を見つけて2回ほど職安に通い応募してみたい所が数件見つかった。試しに応募してみようとしたら相談員から経歴を尋ねられ、まだ就活は慣れていないし面接の対策などの講習を受けてみてはどうですかと勧められた。確かにそちらを先にする方が賢明だなと思い丁度次の週に講習があるというこだったから登録した。そういう事をしてみた時自分の中で何か意識が切り替わってゆくような実感があった。



おそらくそういう事があったからだろう、僕は今の状況が変わったという想像を知らぬ間にしていたようである。そして多分、それは大井さんや細井さんにも同じことなのだろう。3人で競馬場に来れないようになるのだとしたらそれはかなり寂しい事のように思われる。自分にとっての生き甲斐であるから尚更そうで、職探しをするという方向に動き出した一方で、どこか現状維持を望む自分もいるということに気付き始めている。



一方でその日のレースはかなり興奮して見ていた。というのも僕には珍しく馬券が好調だったからである。大きな額は賭けられないけれど、メインのフェブラリーSでは事前に怖い存在で切るか買うかで迷っていたラウロ・デルーカに頼る事にした結果、彼は見事に一着に導いてくれた。


「すげえなタラちゃん!ってかデルーカがすげぇ」


細井さんも地味に複勝で抑えていたのでにんまり顔である。大井さんは、


「なんかメルー騎手って2着多くない?」


とユメノチルドレンという馬に乗っていたもう一人の外国人JRAジョッキーのクリスチャン・メルーという騎手を詰っていた。確かにその馬は前走でもGⅠ2着で、メルー騎手はこのところ勝ち切れないレースが多くなっているように思われた。ところで大井さんは名前が可愛いからという理由でユメノチルドレンの単勝を買っていたのだった。
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