FC2ブログ

掌のワインディングロード 36

その日タラちゃんは朝から引っ越しの準備を始めていた。


日曜日だった前日は競馬の開催が東京に移っていたので出掛けなかったけれど、私達はいつもの様にテレビの中継を観ながら一日の半分以上を過ごした。ところで「私達」とは言ったけれど、競馬の中継はずっと見続けていなくてもレースの時だけ集中すればいいのもあって、私は司会者と解説者がやり取りしている声をBGMのようにしながら積読になりはじめていた書籍を一つ一つ消化していっていた。


来週に実家に戻る予定だったタラちゃんは既にあのお店のバイトも辞めていて、それならばと率先して朝食を用意してくれていたり生活リズムを朝型に戻そうという努力をしているらしかった。その意味もあって月曜日の朝から準備を始めたというのもあるのだろう。


私は感心しつつもなんだか寂しい気持ちになってしまって、それを紛らわせるように昨日の読書の続きに勤しんだ。勇次もちょっとぼんやりした様子で新聞を読んでいる。するとタラちゃんの部屋から、


「あ、これいいな!!」


という弾んだ声が聞こえてきて、すぐにタラちゃんが何かを持って私の前にやってきた。


「どうしたの?」


と私が訊くとタラちゃんは嬉しそうに、


「この3冊の本、ぜんぶ競馬の小説なんですけど聡子さんに読んでもらいたいなって思って」


と言って私にその3冊の小説を手渡してくれた。


「ありがとう。興味があったの」


それぞれのタイトルをちらっと見たところでも全然聞いたことのない作家が書いたものらしく、背表紙の文を読んでも3冊とも違う視点から競馬の世界を描くものであることが分った。勿論嬉しいのだけれど、


「また積読がふえちゃった」


と私は苦笑い。すると勇次がこちらを向いて、


「聡子がまだ読まないんなら、俺が先に読もうかな。いいだろ、タラちゃん?」


と確認した。「もちろん」とタラちゃんは頷いた。そしてタラちゃんはまた自室に戻り、準備を再開したようだ。



時間は過ぎて私がその中の小説の一つに手を付け始めた日、引っ越しの業者さんが家にやって来た。それほど荷物は多くなかったので手際よくあっさりと片付いてしまったタラちゃんの部屋。何か忘れたものがないかどうか三人でアパートの中を確認して、勇次が一言。


「どうやら大丈夫みたいだな」


続けてタラちゃんが、


「ええ。本当に今までお二人にはお世話になりました。何だか名残惜しいです」


「それは私もだよ。勇次だってそう」


まもなくタラちゃんを見送らなければならなくなる。私はその前に何か伝えたい事がないか、必死に考え始めた。そうしていると三人で暮らした時間が走馬灯のように頭を駆け巡るのを感じた。春、夏、秋、冬、そして春…でもそう思い出しているうちに私はちょっと可笑しくなって笑い出してしまった。


「どうしたんですか?聡子さん」


『こういう心配そうな表情のタラちゃんを観るのも今度会った時までになってしまいそうだな』なんて考えながら私は説明した。


「うん、なんだか三人の思い出って春も夏も秋も冬も、ほとんど競馬だったなぁって思って」


「そうだよな。そればっかりじゃないんだけど、タラちゃんと一緒に過ごしていると競馬が中心になっちゃうのかもしんないな」


そう言った勇次と二人で笑いあう。タラちゃんはそれを聞いて何か複雑そう。


「僕としては、結構色んな事に挑戦したつもりだったんですけどねぇ。というか、僕はお二人と平日の午前にコンビニ行くのか行かないのかでやり取りしていたような、当たり前の事が思い出されるんですよね」


「まあそう言えばそうね。だって私達、三人で生活してきたんだもん」


そこでタラちゃんはこんな事を言った。


「僕が良かったなって思うのが、これからはお二人の新しい生活が始まるって事ですね」


これまでの付き合いでタラちゃんが何を言わんとするのかがちょっと分ってくるよう。そう、今日はタラちゃんの門出であって、私と勇次の新しい出発でもあるのだ。


「あんまり変わんないと思うぞ、たぶん」


勇次は気の利いたことを言ってくれないけれど、もしかすると照れ隠しもあるのかなと思ったり。そんなやり取りをしているととうとう別れの時がやってきた。


「じゃあ、僕そろそろ行きますね。実家で待たせてあると思うから」


「うん。行ってらっしゃい」


私はこの時、自然と「行ってらっしゃい」という言葉が出てきたとに少し驚いていた。言い直そうかなと思ったけれど勇次が、


「行ってらっしゃい」


と続けてくれたのは三人の関係性を表わすものなんじゃないかなと思ったりした。



タラちゃんが玄関から外に出る。見送りに出た私は今どんな言葉を掛ければいいのか、この時咄嗟に思いついた。


「じゃあ」


と言って向こうに歩いてゆくタラちゃんに向かって、


「タラちゃん!今日のダービートライアルの、何だっけ、そう青葉賞の本命を教えてくれないかな?」


とわざと大きい声で言った。タラちゃんは嬉しそうな表情で一度こちらを振り向いて、


「今回は騎手なんですけど、『もしかしたら』内山騎手がやってくれるかもしれません!自信はあります!!」


そう教えてくれた。再び歩き出したタラちゃんを私達は姿が見えなくなるまで見送った。そして勇次が一言。


「内山騎手のって5番人気だぞ。来るのかな?」


「じっくり観戦しましょう」


私はそう言ってリビングに戻るとまた読書を再開した。テレビから流れてくる解説の声を聞きながら。



(完)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

なんとかさん

Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
普通のカウンター
投票
無料アクセス解析
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR