ステテコ・カウボーイ ⑮
満ち足りている。多分、真実なのだろう。世の中的にはこの上ない幸運の中にいる自分で、その不思議とも奇妙とも言える生活で何かを取り戻しつつあるこの頃で、自分はそれで良いんだろうなと思える時間や雰囲気が続いていって、平凡にも早川家での家事を義務のようにこなしている今は、「間違いではないな」と感じている。
だけど、それが正しいのかどうか、あるべき姿なのかどうか時々自信がなくなる。立ち直った自分の心から自然に生まれてくる気持ちは、だからこそ消し去ることが出来ないのかも知れない。
「何かをしなきゃいけないんだと思います」
夕食の時、僕は落ち着いた調子で話し始めていた。早川さんは箸を進めながらそれを静かに聞いていた。そして反応がないのかなと不安になりかけるタイミングでこう言った。
「多分、君がそう感じるからそうなんだろうね」
その一言で<ああ、早川さんはこれだけで分かるものなんだな>と言い知れぬ安心感を覚えつつも、何かその雰囲気を終わらせてしまうかもしれない言葉を僕は続けていた。
「今のままでもいいなって思えているんです。でも、だから…つまりそう思えるくらい恵まれてるって分かっちゃったから、『普通だったら』どうするのが本当なのか、浮かんできてしまうというか、その、」
なんとか彼女に正確に伝えようともがいていると不意に「ストップ」という仕草の手が視界に入って来た。
「いいよ。分かってる。そうなって欲しいとどこかで思っていなければ私は君を思いやれていない」
早川さんはそう言った。もうこれでお互い伝えたい事は伝えたような気がする。その先はひどく現実的な話があるだけで、要するに『仕事』をどうするかとかこれから何処で生きてゆくかとか、基本的すぎるところに僕が立ち返ったという事なのだ。僕は静かに頷いて、大分作りなれた甘い卵焼きに箸を伸ばす。すると早川さんが思いもかけない言葉を放つ。
「一つだけ君に言っておきたい事がある。エゴかも知れないけれど、金成くんがただ見栄とか、世間的を気にしての判断で何かを選ぶのだとしたら、私としてはそれを素直によろこべないよ。ああ、これは完全なエゴだね」
「エゴですね」
それは捉え方によってはかなりの事を意味しているのかも知れない。このタイミングでそれは『エゴ』を押し付けていると言っても過言ではない。でも、僕の中にこの生活を自らの意志で選ぶ理由があるのか、それはこのタイミングでこそ真剣に考えなければならない事である。
「じゃあ、僕も『エゴ』で本気で考えます。それで良いでしょうか」
「うん。それでいいと思う」
この期に及んでも早川さんは早川さんだった。僕は漫画家というものをよく知らなかった。才能があるからそれができる人がそれを続けているという考えがどこかにあったような気がする。けれど自分の意志でその険しいように見える道を進んで行く姿は、そういう事ばかりではなくて、何か自分との戦いを常に行っている人達なんじゃないかと、そんな風に捉えるようになっている。
『漫画』というものに何かを込める。自分を持っているからこそ、自分の作品の続きを作ってゆける。僕はこれまでの生活でそんな人の何かになれたのだろうか。
「もし、取るに足りないことを取り除いて、ただ自分が望むように生きるとしたら…」
夜中、窓の外から星空を眺めて自分に問いかける。早川さんは作業に没頭している頃だろう。
『ネットで作品への評価も可視化されるようになって、やり難くなるのか、やり易くなるのか、人それぞれだろうね』
早川さんはいつかそんなことをぼそっと呟いたような気がする。早川さんの場合はどちらだったんだろうという事を今更ながらに考える。
<この生活を続けてゆくなら、僕はどうするべきなんだろう>
いつしか僕は『甘え』ではなく、自分の意志でこの生活を真っ当なものと思えるような何かが出来ればいいんじゃないかと考え始めた。
「でも、ここにいる理由は何だ…?」
考えても考えても分からない。多分、このまま朝日が上っても分からないままだろうなと思った。
☆☆☆☆☆☆
翌日、僕はいつものように朝食を作りながら早川さんに何気ない口調を意識して告げる。
「早川さん。一晩考えましたけど、やっぱり仕事はしなきゃって思ってます」
「そうか。確かにそれはそうだね。色々な例外はあるけれど、金成くんの立場ならそうだろう」
何となく早川さんの声は諦めを伴っているように聞こえた。だからこそ僕はもっと何気ない口調で続ける。
「でも、ここで生活はしていたいんですよね。これは僕の完全な『エゴ』ですけど」
「うん…え…?」
何か自分はこの上ない爆弾発言をしているような気がする。
「え、?どういう事?ん…ごほ」
らしくなく非常に動揺しているらしい早川さん。むせてコーヒーを喉に詰まらせてしまったようで、ちょっと申し訳ない気持ちになる。
「あ、ごめんなさい。えっと、でも世間体とか常識だとか取っ払って考えてゆくと、ここで暮らしてゆくのもありなんだなって思うんですよ」
「ほぇ…?それはどういう…」
「うんとですね、僕らの世代だと『ルームシェア』って結構普通なんですよ」
という建前をあろうことか僕はここで有意義に使わせてもらった。
「あ、そういえばそういう設定を今度使おうと思ってたところなんだけど…でも…」
早川さんでさえも常識的にそれは何か奇妙なものに思えるに違いない。
「ダメですかね…」
「いや、ダメじゃないというか…ただ世代的になんか変な感じはするもので…」
「ただですね必ずしもそれだけではないというか、そう呼ばれるもののままかというと、まだ不明っていうか…」
「なんだいそりゃ?え…?」
「すいません、僕の口からはこれ以上お伝えすることはできません。まあ生活を続けていれば色々感情が生まれてくるというのは、少女漫画では王道ですよね」
「 」
絶句した後、目をきょろきょろさせて何か不安そうな表情になる早川さん。
結局僕は居候というよりは「ルームシェア」という形でこのまま同居人として生活を続けてゆきつつ、人並みに仕事を始めることにした。もしかするとそれまでよりも漫画のネタを提供するという意味では成功しているかも知れない。編集者である吉河さんが訪れた時にこれまでとはちょっと違った様子を感じ取ったらしく、
「金成さん、仕事なさってるんですか?」
と驚きの表情で僕を見ていた。仕事と言ってもバイトからだから激変はしないのだが、曲がりなりにも「アシスタント」という位置として理解していた吉河さんにとっては意外だったのかも知れない。そして、
「俊くん、コーヒー頼む」
と僕の下の名前を自然に呼んでいる早川さん…『可換環』という漫画家さんの雰囲気の変化をもしかすると感じ取っているのかも知れない。
(完)
だけど、それが正しいのかどうか、あるべき姿なのかどうか時々自信がなくなる。立ち直った自分の心から自然に生まれてくる気持ちは、だからこそ消し去ることが出来ないのかも知れない。
「何かをしなきゃいけないんだと思います」
夕食の時、僕は落ち着いた調子で話し始めていた。早川さんは箸を進めながらそれを静かに聞いていた。そして反応がないのかなと不安になりかけるタイミングでこう言った。
「多分、君がそう感じるからそうなんだろうね」
その一言で<ああ、早川さんはこれだけで分かるものなんだな>と言い知れぬ安心感を覚えつつも、何かその雰囲気を終わらせてしまうかもしれない言葉を僕は続けていた。
「今のままでもいいなって思えているんです。でも、だから…つまりそう思えるくらい恵まれてるって分かっちゃったから、『普通だったら』どうするのが本当なのか、浮かんできてしまうというか、その、」
なんとか彼女に正確に伝えようともがいていると不意に「ストップ」という仕草の手が視界に入って来た。
「いいよ。分かってる。そうなって欲しいとどこかで思っていなければ私は君を思いやれていない」
早川さんはそう言った。もうこれでお互い伝えたい事は伝えたような気がする。その先はひどく現実的な話があるだけで、要するに『仕事』をどうするかとかこれから何処で生きてゆくかとか、基本的すぎるところに僕が立ち返ったという事なのだ。僕は静かに頷いて、大分作りなれた甘い卵焼きに箸を伸ばす。すると早川さんが思いもかけない言葉を放つ。
「一つだけ君に言っておきたい事がある。エゴかも知れないけれど、金成くんがただ見栄とか、世間的を気にしての判断で何かを選ぶのだとしたら、私としてはそれを素直によろこべないよ。ああ、これは完全なエゴだね」
「エゴですね」
それは捉え方によってはかなりの事を意味しているのかも知れない。このタイミングでそれは『エゴ』を押し付けていると言っても過言ではない。でも、僕の中にこの生活を自らの意志で選ぶ理由があるのか、それはこのタイミングでこそ真剣に考えなければならない事である。
「じゃあ、僕も『エゴ』で本気で考えます。それで良いでしょうか」
「うん。それでいいと思う」
この期に及んでも早川さんは早川さんだった。僕は漫画家というものをよく知らなかった。才能があるからそれができる人がそれを続けているという考えがどこかにあったような気がする。けれど自分の意志でその険しいように見える道を進んで行く姿は、そういう事ばかりではなくて、何か自分との戦いを常に行っている人達なんじゃないかと、そんな風に捉えるようになっている。
『漫画』というものに何かを込める。自分を持っているからこそ、自分の作品の続きを作ってゆける。僕はこれまでの生活でそんな人の何かになれたのだろうか。
「もし、取るに足りないことを取り除いて、ただ自分が望むように生きるとしたら…」
夜中、窓の外から星空を眺めて自分に問いかける。早川さんは作業に没頭している頃だろう。
『ネットで作品への評価も可視化されるようになって、やり難くなるのか、やり易くなるのか、人それぞれだろうね』
早川さんはいつかそんなことをぼそっと呟いたような気がする。早川さんの場合はどちらだったんだろうという事を今更ながらに考える。
<この生活を続けてゆくなら、僕はどうするべきなんだろう>
いつしか僕は『甘え』ではなく、自分の意志でこの生活を真っ当なものと思えるような何かが出来ればいいんじゃないかと考え始めた。
「でも、ここにいる理由は何だ…?」
考えても考えても分からない。多分、このまま朝日が上っても分からないままだろうなと思った。
☆☆☆☆☆☆
翌日、僕はいつものように朝食を作りながら早川さんに何気ない口調を意識して告げる。
「早川さん。一晩考えましたけど、やっぱり仕事はしなきゃって思ってます」
「そうか。確かにそれはそうだね。色々な例外はあるけれど、金成くんの立場ならそうだろう」
何となく早川さんの声は諦めを伴っているように聞こえた。だからこそ僕はもっと何気ない口調で続ける。
「でも、ここで生活はしていたいんですよね。これは僕の完全な『エゴ』ですけど」
「うん…え…?」
何か自分はこの上ない爆弾発言をしているような気がする。
「え、?どういう事?ん…ごほ」
らしくなく非常に動揺しているらしい早川さん。むせてコーヒーを喉に詰まらせてしまったようで、ちょっと申し訳ない気持ちになる。
「あ、ごめんなさい。えっと、でも世間体とか常識だとか取っ払って考えてゆくと、ここで暮らしてゆくのもありなんだなって思うんですよ」
「ほぇ…?それはどういう…」
「うんとですね、僕らの世代だと『ルームシェア』って結構普通なんですよ」
という建前をあろうことか僕はここで有意義に使わせてもらった。
「あ、そういえばそういう設定を今度使おうと思ってたところなんだけど…でも…」
早川さんでさえも常識的にそれは何か奇妙なものに思えるに違いない。
「ダメですかね…」
「いや、ダメじゃないというか…ただ世代的になんか変な感じはするもので…」
「ただですね必ずしもそれだけではないというか、そう呼ばれるもののままかというと、まだ不明っていうか…」
「なんだいそりゃ?え…?」
「すいません、僕の口からはこれ以上お伝えすることはできません。まあ生活を続けていれば色々感情が生まれてくるというのは、少女漫画では王道ですよね」
「 」
絶句した後、目をきょろきょろさせて何か不安そうな表情になる早川さん。
結局僕は居候というよりは「ルームシェア」という形でこのまま同居人として生活を続けてゆきつつ、人並みに仕事を始めることにした。もしかするとそれまでよりも漫画のネタを提供するという意味では成功しているかも知れない。編集者である吉河さんが訪れた時にこれまでとはちょっと違った様子を感じ取ったらしく、
「金成さん、仕事なさってるんですか?」
と驚きの表情で僕を見ていた。仕事と言ってもバイトからだから激変はしないのだが、曲がりなりにも「アシスタント」という位置として理解していた吉河さんにとっては意外だったのかも知れない。そして、
「俊くん、コーヒー頼む」
と僕の下の名前を自然に呼んでいる早川さん…『可換環』という漫画家さんの雰囲気の変化をもしかすると感じ取っているのかも知れない。
(完)
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