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私という君

『大きいもの小さいもの。整然としている』


なんとなく整理していたら見つかった昔のノート。
走り書き、メモ、何かの図。


今となっては読み取れない暗号となってしまった
それらは、確かにそれを使っていた当時の私が
いたであろう意味世界では何らかの位置を占め
役割を持っていた。意味があった。


暗号を読み解いたとしても、その内容が今の
私にも何かを訴えるものになるかどうかも分からない。


むしろ私は、その暗号を今の私にとって意味
あるように読もうとする。暗号は文脈を離れ
孤立した一つのテーゼとなる。そのテーゼが
どういう状況で真であるか?今も変わらず真なのか?


それを解読し、解釈しうる、注釈を加え得る
私はもういないのだろうか?それとも今でも
私は注釈者となり得るのだろうか?



『スニーカーのような、気楽さ。いつまでも』


「君はいないのに、君はずっといるかのように語っているね」



それは、私が本当に私を認識した時だった。
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若かった 何もかもが あのスニーカーはもう捨てたかい

 昔、昔のメモ書き、落書き、殴り書き。当時たいして重要でもなかったものが、思わぬところからひょいと出てくる。懐かしさに思わず読みふけってしまったりすると、勢いと言うか、若さと言うか、自分で気づいていなかった文章と出会ってしまう。決して古くはない。今と比べて劣っているわけでもない。あの時代は今でも現在進行形だ。つまり、私は進歩していないorz
 

Re: 若かった 何もかもが あのスニーカーはもう捨てたかい

こんにちは。

自分はメモ魔だと思うのですが、忘れたころになって活かせそうだなと思うものが結構出てきたりします。文章だけを読んで、当時考えていなかったことまで気付けたりすると成長したなと思えたり。
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Author:なんとかさん
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