五雷食堂のカレーライス
この食堂の看板娘であるウェイトレスが運んできたのは、標準的な大きさの皿に半分だけ盛られたカレーライスだった。これを目にした私は咄嗟に、『半盛』という言葉を思いついた。並盛や大盛は盛られた量を表わしているのだから、この食堂の並盛の様子を知らない私が、半盛などと口走って良いものではないとお考えになるかも知れない。だが、私が半分という観念に囚われ、またどうしても手放したくないのは、ちゃんとした理由あっての事なのだ。
模様のない白の丸皿にはランチプレートのような仕切りなど存在しないのに、見事なまで半円だけに偏っていて、カレーライスの主役とも言える黄色い液体ですら目に見えない中心線を境に流れ出そうともしない。それは中心寄りのご飯に皿の淵からカレーをかけたのではなくて、並盛があるとしたら、そのご飯の部とカレーの部を横切って線が引かれているのである。
こんな名人芸とも言うべき盛り方は、私への嫌がらせであろうか?ところが、私には差別される謂れもないし、客としての態度だって批判に遭うレベルでは一切ない。自慢ではなく事実として述べれば、私は注文のミスも笑って許せる人間だし、食堂を出るときには『どうもご馳走さま』と一声掛ける人間である。
待ちたまえ。量の少なさをわざと強調した嫌がらせと邪推するより先に、瞠目しなくてはならない事実がある。それは、このカレーライスの奇妙な状態はどのようにして保たれているかである。この点がどうにも不可解であり、何よりも初めに考察されるべきではないのか。
では、どういった可能性が?ここでは意図的であるか偶然の産物であるかに焦点は絞られる。意図的であるとしたら、この技術を見せびらかしたいとしか考えられない。偶然ならそれだけなので、意図的でないと断言できるまで私は『誰かが何らかの目的の為に見せびらかしている』と構えているべきであろう。
誰が?それは主人か、或いはどこかで私を見ている超能力者とでもいうのか。
何の為に?単純に嫌がらせの一環として驚かせる為で目的は無いのか、それとも私という人間を掴まえてビジネスの話でもしようというのか?
ここで私が急に席を立って主人に問いただすのは、あまりにも直接的過ぎる。かと言って、見逃してしまえば奇妙な話で進展がない。もしかしたら、相手はこの異変に気付くかどうかを試しているのかも知れないのに。では、ウェイトレスを呼び、それと無くこの異様さを仄めかしてみるのはどうだろう。そうすれば、主人の仕業ではない場合でも、私がこの技術に勘付いたという告知くらいにはなる。さすれば、この告知を聞き及んだ超能力者が私にアプローチをかけて来るかも知れない。何度でも言うが、偶然で片付けてしまうのは簡単だが、それでは一見何でもない芸の裏に隠された事実はいつまでも明らかにされないだろう。
私の腹は決まった。
私はウェイトレスを呼んだ。彼女が言う。
「どうなされました?」
「よく考えてみたら、後少しでお昼休み終わっちゃうし食事する時間ないんで、すいませんお皿下げてください。」
「いいんですか?」
「ええ、よろしく。」
私は会計を済ませて、食堂を出た。結局あのとき私は厄介な事実から逃げ出そうと決心したのである。何故なら、午後に大事な会議が控えていたからで、巻き込まれてはならないと悟ったからである。