体験
どロッカーが居た。日本語である。「ど」のつくロッカーが駅前に居た。こんな「ど」のつく田舎にロッカーなどあるはずがない。いや違う、ロッカーはロッカーでも物品を保管する場所としてのロッカーではなくて、ロックンロールを地で行くような人という意味のロッカーが駅前の古びたベンチに腰掛けていたのだ。物品保管の方のロッカーもこの駅には無いから、あったらあったで便利で個人的に助かることもあるのだろうけど、そうじゃない、そこにここら辺には珍しい「人種」がいたのだ。
いや、『格好だけ見て判断するのはいかがと思う』と言うかも知れないけれど格好だけじゃなく、明らかにギターを弾きながらロックを奏でている。地下通路とか、音響的にうってつけの場所が無いから、本当に駅の真ん前で、情熱的に歌い上げている。
私はロックの事は、素人と玄人の間の「半浸かり」くらいで、ビートルズに始まり、日本の有名どころは知っているけれど、まさかこんな場所でお見かけするとは思っていなかった。私でも一応知っている結構有名な人だ。この辺の人でも知っている人が居たようで、スマホで写真を撮ってメールでも送って誰かに知らせているように見える人も居た。
「ほらほら…あの、あの人だよ」
「え~マジで!?なんでこんなところに!?」
「キャー!!」
「おい聞いたか、○○さんだってよ!!」
「ほぇ~」
人だかりが出来ているように想像したかも知れないが、実はそこに居た(自分も含めた)人全員のリアクションである。日中だったからたまたま同じ時間にそこを通ったのは5人くらいで、何故かこういう時にいる早退したと思われるとても元気な高校生とか、何かちょっとした用があってここを通りがかった30代くらいの女性と…と数え上げてしまうと全員になってしまうのでこれくらいにするけど、とにかくその5人は、異様な光景の目撃者だった。
その中で「ほぇ~」とみっともない声を挙げてしまった私は、その時、暇人代表として一部始終を見守った。
そのロッカーは、私が知っている代表曲「風の向こうに」と後で知ったのだが最近発表したという「明日」という曲と他何曲かを、一人で演奏した。地域のメディアの姿もないし、完全にサプライズだったようである。平日の、何でもない時間に、ここに来た理由が気になりながらも演奏と歌唱にじっくりと聞き入り、曲が終わるたびに5人で出来る最大限の拍手を送った。ストリートライブ(?)が終わり、彼は質問攻めに合ったが、上機嫌で答えてくれた。
「どうしてここにきたんですか?ドッキリ?」
「ううん、違うよ。何となく、っていうか秘密」
「え~旅行に来たか何かですか?あ、サイン下さい!!」
「いいよ。旅行ではないね、歌いに来たんだ」
その後も理解に困っている私達は「なんでなんで?」と繰り返すが、それは秘密らしい。この場所に何かあるのだろうか?後で調べてみたがところ縁もゆかりも、分っている情報ではないようである。その時よく知らなかった私は、多分何かあるのだと思い別の角度から質問してみた。
「ここ、何にもないでしょ?人も少ないし」
「うん。何にもないね。人も少ない」
「そんなところで歌うって凄いですよね、ロック?」
「何だろうね、ここだから出来る事もあるんじゃないかな」
私は、恥ずかしながら「ロック」の意味も分かっていない。でも何か漠然と格好良いと思った。
「名残惜しいけど、じゃあ電車の時間だから」
とそのままそのロッカーは帰ってしまった。うっかりしていた私はサインを貰うのを忘れていた。だから私がそこで彼を見たというのは証拠には残っていないけれど、同じ時間を共有した人は間違いなく各々それを得意げに広めているだろう。自宅に戻る前に、私は田舎でも奇跡的にあるCDショップに立ち寄り、彼のCDを探した。売ってなかった。
インターネットショッピングというものを初体験した私は、こんな田舎でも律儀に品物を届けてくれるサービスは偉大だなと思った。