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扇子

きっと、いつかは成就する。そう願って、今この瞬間に集中する。こんな没入、あるいは没頭で、世界を動かしている。というか世界というものに影響を与えられるとしたら、その世界の事実の幾らかを本気で考えなければいけない。事実を本気で受け取って、そこから想像できる光景を表現しない限り、人は本気で考えていないとして相手にしてくれない。あと五分で到着する。その前にもっと想像を膨らませないと。


出来の悪い兄でいた。センスの欠片も感じない、ただの作業の積み上げがあるだけだった。忠告を受けたのはほんの数年前で、その時、それまでの自分を否定されたように感じて、らしくもないことを色々試した結果、センスというよりも技巧的な意味での向上があって、見る目がない人にはそれで何とか誤魔化せるようになった。だが、今でもセンスのある人には、それが無いと一目で分かるような明らかな欠陥がある。己では、新しい事が浮かばないのだ。決まり切った事なら綺麗に出来る。それは理論があるからだ。だけど、新しい事についても理論を適用できないかばかりを考える時点で、終わっている。


「踏み出すのが怖いんだ」


いつの間にか、心情を吐露するようになっていた。もっと自由でいいじゃないか、何故そんなに狭く考えるのだ。分かってはいる。分かってはいるのだけれど、先がない。


十時の約束だった。人通りはあまりない。空模様は裏切らなかったが、ビルの窓に反射する陽射しが、ジリジリと攻めたてる。今夜も安眠を妨害されるのだろうか。しきりに時計を確認する。あと二分だけど、まだ来る気配がない。


「それについては、この次に会った時にしましょう」


考えてみれば、あの時、あの席から私の意識はそこに置きっぱなしだった。彼が何を思って一番重要な部分を次の機会、つまり今日に回そうとしたのか、それは想像するしかないけど、そこにあるべき重要な部分など私にはありはしなくて、あの時も何とか誤魔化そうとしていた。彼はもしかしてそれを…いやその考えは辞めておこう。私がすべきことは、あくまで重要な部分を考える事なのだから。



「やあ、○○君。おまたせ」


考えている間に彼が現れた。暑いというのにスーツ姿で、それでいて涼しそうな顔をしている。私は一礼をして言った。


「どうも、お久しぶりです。ここでは暑いでしょうから、こちらに」



私は彼と共に喫茶店に入った。中はいつも通りひんやりしていた。ごく普通の、わりと古めの喫茶店である。店員がこちらを見て人のよさそうな笑顔を見せる。既に顔なじみになっていて、私はここで昼食をよく取る。席は一番奧。私は二人分の温かいコーヒーを頼んだ。やにわに彼が言った。


「どうだい、元気にしていたかい?」

「はい。そちらはいかがでしたか?」

「うん。まあまあといったところだよ」

「なるほど」


私は少し目線を逸らすように、彼の腕から微かにはみ出ているかなり特殊な装飾の時計を見つめた。何というかそれは、宗教的というのか、どことなく崇高なものを表現しているように思えた。


「今年の夏はどうだい?暑いだろう?」

「ええ、そうですね。まるでメーターが振り切れてしまっているような感じですよ」

「はは。確かに、限度を超えているよね。でもね、限度なんて人間がそれを越えて欲しくないという理由で設定しているだけであって、摂理はもっとこうなんというか非情なものだからね」

「我々の思いは通じないってわけですね」

「基本的にはそうなるかな。でも、もし誰かがその摂理をどうこうできるというなら、話は違ってくるけどね。もっとも、摂理というのはどうこうできないものとして認識されているからね、まあ認識がそうならどうしようもないんじゃないかな」

「すると、もしそういう認識でみなければ、どうにかする事も出来るかも知れないって…そういう事でしたよね、以前の話は」

「摂理と、常識は違うけれど、常識を摂理として見ているような場合は、それは単に習慣に囚われているだけだから、そう認識しなければいくらでもなんとでもなるという話さ」


熱いコーヒーが運ばれてきた。店員に会釈すると、少しはにかんだ表情で、『ごゆっくりどうぞ』と言った。私は再び会釈した。彼はコーヒーに少し口をつけて続ける。


「もし、君が可能だと思えば、可能なのだよ。いやここは穏当に、可能性を捨てなければ、何とかなるかも知れないという事なのだよ。そして、私みたいにある程度、この世界で行われている事の実態を知れば、可能性を捨てる事がいかに愚かな事かという発見をするわけだよ」


それを聞きつつ、私は全然別の事、例えば干して置いた洗濯物はもう乾いただろうかというような、どうでもいいことを考えていた。私は、重要な部分、つまりこの後に聞かれるであろう、アイディアについて出てくるわけがないと思いつつも、何とか出さなければならないという意識から、逃れるように相槌を打ち続ける。


「それで今日の本題さ。君ならどうやって、この…」

「消えつつある世界に留まっていられるか。そうですよね」



世界が消えつつある。それは確かに事実だった。それは何というか、我々にとっては漠然とした感覚でしかないものだが、世界が今までの世界とは異なる方向に動き出しているという、ある物理学者の提唱した情報理論によって確かめられた事実だった。その理論によれば、世界の情報の全ての流れに、異様、つまりバグとしか言い得ないものが混ざり込んで、それが世界の安定性を揺るがして、これが一定の限度を超えるとこれまでとは違う秩序に向かうか、無秩序になってしまうという。違う秩序ならともかく、無秩序になってしまうと、そこに適応するように身体を作り替えなければならなくなるそうで、私にしてみれば単なる情報の乱れによって、そんな事が本当に起こり得るというような事すら眉唾なのだが、生態系に及ぼす影響、社会に及ぼす影響を考えるとどうも、うかうかしている場合ではないようなのである。


「私は、そう、『私』は、確かにそれをまだ信用しきってはいません。というか、どんなにそういう事を知っても、本当は大して影響がないんじゃないかと思ってしまうんです。ですがもし、それが覆せない事実なら、私は無理にこの世界に留まるような事はしないと、そう信じています。だから、この世界を、つまりこの秩序を維持する為の知恵を絞れと言われても、実は全然、本気になれないのだと思います」


「まあ焦らず、焦らず。私は何も君一人で解決しろだなんて事は言っていないよ。ただ、君だって現実にはこの変わりつつある世界に身を置くものだろう。だとするなら、それなりに変わってほしくないものもあるはずだ。例えばこのとても涼しい喫茶店のような場所が、やっぱりずっとあって欲しい、そう願うだろう。だから、そういう具体的な場所、物、人などをどうやって続かせるか、或いは適応させるかは考えられるはずだろう」


「確かにそうですね。でも、私には精々、その情報にフィルターを掛けるという事ぐらいしか浮かびません。ただ誰でも考えられる事のわりに、実現性は全く低い。或いは、情報がどこから出てるのか、それを突き止めて排除するという根本的な治療というのか、方法が考えられます。まだそっちの方が可能なのではないでしょうか?」


「確かに、この情報の異変を取り除くというのが一番手っ取り早いだろうね。しかし、私はこの異変を異変とは思っていない。恐らくは、何か必然的な理由があるのだよ。そして、それは我々に試練を与えているのではないかと私は思う。どうやって世界が、或いは一人一人が、この危機を乗り越えるのか、ってね」


温かかったコーヒーは冷房によって既に飲みやすくなっていた。私はそのぬるいコーヒーのように、なるようにしかならないというような事を思い付いたが、彼の前ではそれは通用しないだろうと感じた。


「そこに、私の意志が関与する余地はあるのでしょうか?多分、私は、『私』を続けるだけでしょう。危機は乗り越えられないかも知れないけど、一つずつ確かなものは何か、それを確認しながらやれるだけのことをやる。残念ながら、私にはどうしたらいいのかとかいったそういうセンスがないのです。つまらない人間なんです」


「そうか」


私と彼の会話はそこで途絶えた。彼は例の腕時計を見た。それは崇高なものに見えたのだが、なんだかその分、近寄りがたいものだったんだなという事が分かった。



私はどうするのだろう。それは分からない。でも、これまでと変わらないのだという事も分かり切っている。なんというか、つまらない人間だ。
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周りが変わっていくとする

 その変わっていく周りの人がその変化に気づかないとしたら、彼らには変わらないでいる人がどんどん変わっていく様に見えているのではなかろうか。つまり、変化とは相対的なものであり、絶対的なものではない。
 世界は常に変化しているのであろう。とすると、変化しないでいる人とは世界と同調して変化している人なのだろうか、それとも、世界の変化なんぞ何処吹く風と変化せずにいる人なのだろうか。
 すくなくとも私は自分自身を他人によって変えられるのは不愉快である。まあ、自慢出来るほどの自分でもないがね。

Re: 周りが変わっていくとする

こんにちは。

これも自分にとっては謎な作品で、静かな変化といいますか変化に対してそのままの秩序を求める人と、世界がどうあっても変わりようがない人の不思議なやりとりですね。色々限界を感じていた頃に「どうやったら変われるのか」を考えてもやり方が同じなので変わっていかない場合に、「じゃあ世界が激変して行ったとしても同じなのか」と状況を想像してみても、やっぱり変わらなかったという。

他の人に言われて変われるものならとっくに変わっているんだろうなと思いますが、自分が納得して行って自然に変われるとか変わるというのが本当のところのような気がします。変わらないままにしたいのでもなくて。
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