何かをするから、したいと思うから
何かをしている、或いは何かをしたいと思っている人にとって意味があり
価値があるような事物。それをする事がなくなれば無用のものになって
しまうような物。それに興味を持たなければ単なる事実。
ある思考についても、それに関係する事に興味がある人にとっては活きてく
る意味や価値のある思考だが、それに興味のない人にとってはただの文字列。
以前にも少し言ったように、「何かの外的状況が関係し興味ある時にはすごく
意味のあるように見えて」、全くそういう事態ではなくなった場合には
「戯れ」にも見えてしまうような文章が多分ある。
『ナンセンセンス』という造語ですら、そういう事を経験する前にはナンセンス
な語で、経験して以降には「センス」として了解される。だが、一般的には
造語の域を出ないし、意味が込められているとしても了解しにくい。だから
『ナンセンセンス』は常に『ナンセンセンス』のままだといえばそうだ。
昨日の言い方に倣えば、『ナンセンセンス』という語の元に外延的に集めた
だけの文章が並んでいるに過ぎない。ここに内包的定義を与えられるのか
というと、多分不可能に近いだろう。それでも私の感覚で言うと、「微妙」
にそれっぽいものがそこに書かれる。「類似性」、「類縁性」、「同型性」。
「個人的に意味があるもの」は、他の人にとって意味がない事がある。
そういう意味でもナンセンセンス。逆に、私があんまり意味がないと
思う事でも意味を見出す人がいるかも知れない。ならナンセンセンス。
多分、何かをしている、或いは何かをしたいと思っている人にとっては
意味や価値があり得るのだ。その何かをしていない、したいと思わない、
人にとっては無意味、無価値とも言える。
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