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ナンセンスとそれから

物語を書くつもりです。リンクフリーです。

色んな文脈

Posted by なんとかさん on   0  0

不正、つまり『ズルい』と感じる事。自己嫌悪もそこからくるものもあるが、
基本的に『ズルい』と思っているのは自分自身で、少なくともその自己嫌悪
の気持ちになりたくないからという動機で何かをしたり、何かを躊躇ったり
するというレベルの行動と判断もある。


自己嫌悪になりたくないからという理由というのなら、自己嫌悪にならない
なら気にならないのか?という事もあるかも知れない。逆に生きるにあたって
おおよそするべきと考えられる事をすると自己嫌悪になるという理由でそれを
怠るという論法が成り立つとすれば、この『ズルい』という感情だけで
判断するのは必ずしも他者から見て良いとは言えない。他者も同じように
『ズルい』という感情で何かを判断する事もあるのだとすれば、自分だけが
不快な思いをしたくない為にする事で、他者にとって良くない事が起るなら
正しくはない。


だが、主にこういう葛藤があるのは社会的な関係の中でである。自己の事だけで
はなく、他者の事も考え、配慮しければ上手く機能しない社会関係で、その
社会関係を維持してゆくために一定の別の観点での思考が必要となる。明らかな
ルールがある社会である。そのルールを守りつつ、その中で各々がやりたい事
を行えるようにすることが必要だろう。むろんルールは絶対というのでもなく、
時に改変もされる。だが、重要な部分は比較的頑丈に保たれるだろう。



公の事は明確に誰もが確認できる『手続き』によって進められてゆく。その手続き
の煩わしさゆえに、手続きをすっ飛ばしてしまう事はやはり不正である。だが手続き
通りにやって生じる不利益は、社会的な次元以前の環境的なものを破壊している恐れが
ある。現社会の為だけでなく、将来に渡って必要とされるであろう環境をなるべく限定
しない意味で良いものに保っておく事は、社会的なレベルというよりも社会が成立する
為の議論として必要だろう。



普通の生活をしている人々の意識は地球環境のような大きな話になってゆくと、
実際の生活の中でそれを関係づけ、社会的な活動に結び付けてゆくようにするには
難しい。どちらにしても環境についてはすぐさま変えられるものではない。この大きな
レベルの事を実現する為に、普段の『ズルい』と感じている事が蔑ろにされるというのは
また違っている。いろいろな文脈が交差して、普段の意識に何かの観念がのぼる。



日常は大事だが、日常を維持してゆく為に必要な事も大事である。何に対して不十分
と感じるのだろう。何かに応えようとすれば、何かが不足するというのは良くある
事だ。責任もそれであり、自分がしておくべきだと感じている事で不十分と感じている
事を可能な範囲で続けるしか無いのは分っている。肝心なのは、『何が足りないのか』
自分で探し出す事だろう。良くも悪くも、比較的大きなテーマを抱えているのは間違い
なく、抱えたら抱えたで、それに対して応えようとする気持ちは続くだろうし、それこそ
可能な範囲で、多分何かをするのだ。それは日常に持っていってしまえば場違いだが、
それなりの場所ではそれなりに有効な議論なのかも知れない。

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なんとかさん

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