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ノスタルジックな人形劇

「とりわけ変ではないですよね。好都合ですから。」

人形劇を見たいと思った。それもとびきりノスタルジックな。鉄格子の中で思っていたのは、今日は晴れなのか、曇りなのか、という事。人はそんなに気にしない、当たり前過ぎて。

今、言い方を知らない事への言及をしていると思う。それを何と言うのか、何と言われているのか僕は知らなくて、それでも僕はそれを言いたいのだ。紙飛行機に乗って砂漠の上空を飛んでいるような、何か無理がある感じ。見たくないから、もう見る必要がないから、人はそこから目を逸らし、関わらなくなってゆくようなそんなところが僕の中にある。これは僕の物語にすらならない物語で、季節が幾ら巡っても、巡ってくることのない時間。全ての人が欲しがっているものがそこにあって、実際にはないような、そういう所。僕はまた訳のわからない事を言っているのだろうか?狂ってしまったのだろうか?

「秘密を見たくないかい?」

僕は、その秘密を別に明かす必要はないと考えた。あの日、思い出せないあの日に、僕は確かに誰かに会って、何かを知った。変わってしまったのだと思う。なぜ僕だけが?なぜその人が?疑問は尽きないが、起こったことは確かで、やっぱり振り返ってしまう。


鉄格子は、それに触れている僕を無言であざ笑っている。罪深き人だからという理由で。何の罪だろう?嘘をついてきた事とか、あんまり言いたくない事とか。後悔はしていて、何らかの形で償わなければいけないと思っている。それはそれでいい。だが、償いようのない事って、どうしたらいい?冷たい。ただひたすら冷たい。


「人形劇の中で、ハーディーはマリーを娶る。だけどマリーはハーディーの事をそんなに好いてなくて、好いていないことについて申し訳ないと思うけれど、どうしようもないと一方では思っている。君の心の中はこんなところかな?」

僕はハーディーよりもマリーに同情してしまう。その関係は長く続くはずが無いのに、続かせてしまう何かがある。それは経済的な事情だろうか、世間体だろうか。どっちにしても僕には関係がなくて、ただ、思うという事は常にその人のものだということをそこに事実として付け加えるだろうか。その人のものだから、どうしようもない。そしてその人のものだから、それに責任とか罪の意識を抱くのも仕方がない。そういうことだ。思うことはどんなに醜くても僕のもので、褒められはしないけれど、思ってしまうことは止められない。だからと言って、誰彼構わず伝えてしまうことは恐らく、もっと褒められたものではないのだろう。


人形劇の続きなんてどうでもいい。勝手に続いているのだから。それよりも空模様を知りたい。相変わらず曇りの多い日々なのか、とか。


何故だろう、行き詰っている。それはそうだ。鉄格子の中なのだから。でも生きてゆく事の出口がない事の方が、僕にとっては行き詰まりだ。


「なぜ有意義な時間ばかりを求める?君は君の歩みで認識してゆけばいいじゃないか。君には抱えようのない問題ばかりなのだ。君一人で解決させようなどと誰も考えていない。君は、君で生きなければ偽りの時間を過ごしている事になるのだ。」


例えば有意義が時間を過ごせるとして、僕という条件から解き放たれて思考できる立場にある他者というものを考える。その人は、僕という条件は望まないだろうし、むしろ僕を避ける為に思考しているとも言えないか?いやこれは僕を中心に考えすぎている。そうではない。有限の時間の中で関われる人を多くしようと思えば、僕のような閉じこもってしまうようなところにやって来る好事家はそんなに居ないという事だ。


「友人の話をしよう。その友人は全てにおいて優れていて・・・」


僕にそんな友人はいない。僕のリアリティーを少しでも生きたり、感じたことのある人は、そういう広がりのある世界に関係してゆける道が最初から閉ざされていると感じるのだ。


「君の友人は、外交的で明るくて、いつも笑顔の絶えない人だった。」


僕は床に寝転がった。ゴツゴツしていてとてもじゃないが安眠は期待できない。この空間で僕は、ありもしない事を想像したり、一瞬の白昼夢の中でそれを幻視する。何にもない筈の壁に見える、何かしらの像は、多分僕の脳が作り出したものに違いなくて、それが僕に世界を想像させる。僕には現実が何も見えない。何も見えないから、色んな事が想像できる。でもそれすら何の慰めにもならない。何で生きているのか分からない。



辞めよう。こんな話は辞めよう。僕はノートに鉛筆で書き記す。

『想像はどこにも連れてゆかない』

ノートは早くも残り数ページになってしまった。この記録にすらならない、一見すると狂った言明たちは、不毛で終わりを考えさせる思考を終わらせるための工夫である。

『「何故」と問うてはいけない。問うたところで何も起きないから』

これは最初から数えて2ページ目に書かれて、それ以降も似たような語句で強調しているわりと重要な教訓である。「何故」と問い始める時点で、気付いてしまうのだ。生存を否定したくなっているという事に。


ノスタルジックな人形劇など馬鹿げている。人形劇自体が既にノスタルジックではないか。そうとも限らないか。少し考えるテーマが出来そうだ。ノスタルジックな人形劇。具体的にはどんなものだろう?
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カウントダウン

 の最中なんですかね。もはや終わりが決められていて、それまでの間をどうやって過ごそうかという。何かをしてもどうせ途絶えるのであれば何をしても意味が無い。とは言っても何もしないでいるのは退屈過ぎるし、恐怖に向き合えない。
 まあ、そうなんだという仮定ですが、それは別に折の外でも同じ事。ただ、終わりが誰かの手によって決められたか決められていないかの違い。終わりの時は本人には決してわからず、或る日或る時唐突に訪れる。それまでの間、何をしたらいいのだろう。
 わたしは無駄と知りつつ物語を残そうとしている。

Re: カウントダウン

こんにちは。

これは何ていうんですかね、想像する余地がいろいろ残っているので説明しにくいかもしれません。仰られたように、無駄と知りつつ何かをしてしまう時間があるとしたら、こんな感じになるんだろうなと思います。
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Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

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