ATJ アナザー⑲
気が付くと6月も終わりになろうとしている。相変わらず梅雨の季節だが週末は比較的天候に恵まれている。活動のある土曜日も曇ってはいるが、雨は降りそうにない。前と同じように駅前で待っているといつもよりも少し早く、あの大きく膨れたバッグを持って松木さんが現れた。私は「貸して」と言って自然な流れでバッグを預かる。今日は車ではないので歩いて移動である。道中他愛もない事を喋っていたのだが、しばらく経って松木さんに、
「今日はNさんちょっと雰囲気が違いますね」
と言われた。特に意識したつもりはなかったが、どうも直接会って話していると友人や高橋さんに言われたことが気になってしまい、少しぎこちない返事になってしまうようである。
「そうかな…いつもと変わらないと思うけど。バッグを持っているからかな?」
誤魔化してみたが、実を言うと松木さんの目を見て話せていないので松木さんは既に気付いていると思う。松木さんは少し意地悪く言う。
「じゃあ私が持ちますよ」
「いや…重くないし大丈夫…」
バッグの影響は無いと言っているようなもので、明らかに変な会話になってしまっている。これ以上この話題を引っ張ると墓穴を掘りそうだから、ちょっと話題をずらしてみる事にする。
「あ、そういえば今日何か準備してくるって言ったけどどんなものが入ってるの?」
松木さんは一瞬首を傾げたが、すぐ気を取り直して答えてくれた。
「はい。主に『ケロ子』の小道具ですね。前は玩具のマイクだけでしたけど、今度はちょっとした飾りとか。あと…」
「あと…?」
「それは後のお楽しみという事で…」
「うん?」
ちょうどその辺りで駄菓子屋が見えてきた。遠目で彩月さんが外で待っているのが分かった。私達は手を振った。
「いらっしゃい。今日もありがとうね」
私達を出迎えてくれた彩月さんは今日もとても良い笑顔である。見ているとこちらまで嬉しくなってしまう。
「今日もよろしくお願いします」
「こちらこそ」
前と同じように店の奥の居間で準備をさせてもらう。今日で3回目になるこの格好だが、回を重ねるごとに違和感が無くなっている。松木さんが用意してくれたアイドル歌手が身につけるようなアクセサリーを『ケロ子』の上に着けて、いつもよりちょっとおしゃれな女の子の出来上がりである。
「あらー可愛いわね!!」
彩月さんが褒めると松木さんは嬉しそうに応える。
「準備した甲斐がありました!」
準備が整い、外に出る。やや体感温度は高いので脱水には気をつけないといけないなと思っていたが、松木さんは首尾よくペットボトルの水を持ってきてくれていた。最初の一時間は特に何事もなく経過した。お客さんも疎らで、「ケロ子」の事を知らない子供達は、皆一様にびっくりした表情で「ケロ子」を見つめる。そして色々言いつつも最終的にはすっかり慣れて、帰り際にはちゃんと手を振ってくれる。
「もうすっかり『ケロ子』ですね」
恐らく私の演技というか、成りきった姿が彼女の理想に近かったのだろう。創造主からお墨付きをもらえた私は『ケロ子』の中でちょっと笑って、ピースサインで応える。
「なんか頼もしいです!」
そう言ってもらえる事は嬉しかった。あとは、この『ケロ子』をより多くの人に認知してもらい、そして喜んでもらえたら最高なのかも知れない。私は高橋さんの言葉を噛み締めている。
「あ…また居たよ!!」
「あー「ケロ子」だ!!」
2人で店にやって来たのは前回の時も来店してくれた男の子である。一人は私に駄菓子をくれた子である。
「こんにちは!覚えてくれててありがとう」
「お姉ちゃん、僕先週も来たけど居なかったよ」
「あら、ごめんね…」
「僕ね、居ると思ったから友達を誘って来たんだけど、居なかったからみんながっかりしてた」
「そうだったの…」
「ケロ子」がいるという事を既に期待している子供もいるという事実に私は少し驚いていた。認知されるという事は、ある意味で期待される事でもある。松木さんは申し訳なさそうにしていたが、この活動は不定期にならざるを得ない。いつもそこにいるというイメージを持たれるのは良いことだが、その分期待に応えなければいけないのかも知れない。それはとても難しいところだった。私はその子の頭を撫でてあげた。
「ありがとう」
それでも男の子は嬉しそうである。もう一人の子は「他の子も呼んでくるから待っててね」といって、どこかに走り去ってしまった。私達がいる事を知らせる為に子供なりに必死である。私は男の子に『ケロ子』の特技の歌のポーズを取る。すると松木さんは、「あ、ちょっと待って」と言って私に近づき、耳元で「Nさん、マイクについているボタンを押してみて!」と小声で伝える。何だろうと思って押してみると、マイクから音楽が鳴りだして
「いま~わたしの~ねが~いごとが~かなう~な~らば~つば~さ~が~ほし~い~♪」
と女性の声で唄が聞こえた。声は少し高めに変えているようだがどうやら松木さんのものらしく、この仕掛けは松木さんが準備したものに違いなかった。私は咄嗟に音楽に合わせて身体を揺らして『ケロ子』が本当に唄っているような動きを作る。「翼をください」は私でも知っている定番の曲だから、合わせやすかった。この辺りも計算していたに違いない。私はひそかに感心していた。一番が終わったあたりで曲が止み、聞いていた男の子が一生懸命拍手をしてくれる。
「凄い、凄い!!本当に唄えるんだ「ケロ子」!!」
「どうだった?」
「上手だった!!」
男の子もまあまあ大きいから、マイクの仕掛けも分っているに違いない。それでも、まるで本当に唄っているように見えれば感動もあるはずである。何より、こういう心憎い演出は子供だけでなく大人も好むものである。さっきのもう一人の男の子が他にも何人かの友達を連れてきて同じことをやったところ、少し近所迷惑になりそうなくらい大きな拍手をもらった。
「ふーん、結構本格的だね」
少しませた子は、評論家よろしく語りかけてくる。そういう例外もあるけれど、大体の子は『ケロ子』に対して素直に喜んでくれている。純粋無垢な笑顔が眩しい。その後徐々に人が集まってきて、結構いい具合に活動できていた。お昼になって一時休憩となって、私は居間で松木さんに訊ねた。
「松木さんが言ってた『お楽しみ』って、あのマイクの事だったんだね?」
「えっと…それもあるんですけど、本当はこっちなんです…」
と言って、私は思いもよらない物を見る事になった。松木さんがおずおずと差し出してくれたのは緑色が鮮やかなお弁当箱。
「え?もしかしてこれ、作ってきてくれたの?」
「はい…あんまり自信がないんですけど…」
松木さんはそうは言ったが、蓋を開けてみるとなかなか素晴らしい出来で、女の子らしい可愛らしいお弁当だった。最初は純粋に嬉しかったのだが、またしても友人その他の人の言葉が思い出されたり、横で見ていた彩月さんが「あらあら…」と声を洩らすものだから、段々恥ずかしくなってしまって、
「あの…そのどうも」
と何か堅苦しいお礼になってしまった。松木さんはまた首をちょっと捻って、不思議そうに私を見ている。お弁当はとても美味だった。高城さんが言っていた事から勘案すると、もしかすると松木さんは味にうるさいのかも知れない。