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春へ

四季の移り変わりはいつもいつの間にかで、大体のことは昨日と同じなのに、今日はなんだか春を感じさせる。世界のことは分からないけれど、春のことはよく知っている。今年も春がきた。柔らかな感覚が教えてくれる何かの始まりを、またこうして迎えられた事を喜びつつ、それでも季節に残して来たものを何となく思い出す今日。


「花が咲いたらここら辺は綺麗になるよね」


何気なく呟くと「今も綺麗だと思うけど」とつれないのかそれとも素直にそう思っただけなのか分からない返事が聞こえた。桜の咲く少し前に花見の下見に行く途中の桜並木の道。姉弟でこうやって歩くのはいつ以来だったろう。目を細めて穏やかな表情で桜の木を見つめる姉には久しぶりに来たこの町の情景が懐かしく映るのかも知れない。


「あたしこっちに戻ってくることにしたから」


突然連絡してきたのは3月の始め。色々と慌ただしいはずの年度末に仕事を辞め、地元でアパートを借り今は一人暮らしをしている姉に対して、家族は配慮してか無理に話をしなかった。4月になって、花見に誘ってみようという事になって日程を連絡したら、


「じゃあ、下見に行かない?」


と急きょ下見にゆく事になった。それにどんな意味があるのかは分からないが、多分彼女の性格上、気紛れと、「ちょっとした事」があるのだろう。姉は何かあると、「ちょっとね」と前置きをしつつ、完全には言い切らないで何となく自分が望んでいる事を仄めかすように伝える。地元を出て、県外で就職することになったときも、ちょうどこの道で、

「この景色ともお別れなのかな…」


とだけ言って、次の日には家を出て行った。誰も居なくなった部屋を見て「そうか…」と思ってしばらくボーっとしていたのを覚えている。その姉と今こうして同じ道を歩いているのは何となく不思議な気分だった。花見ができる丘は地元では有名で、シーズンともなるといろんな地域から人が集まってみんな親戚のように親しく話したりする。同じ名字の人が多いから、元をたどればみんな親戚のようなものなのかも知れない。そんなところだから地元を出てゆこうとする人は皆無ではないが珍しい。姉はそういう雰囲気が嫌だったわけではないとは思うけれど、家族の中でもどちらかというと一人だけ感性が独特で、ここら辺に住む人には珍しく新奇なものを良く好んだ。それでもそれを表立って表現する事はなく、いつも自分の中で着々と何かを育てて、ある日ふっと飛び立ってしまうような人だと思う。



丘の方を見る。


「俺子供の頃から思ってたんだけど、ここから花見の場所までって結構歩くよなって」


「遠いってほどじゃないんだけどね、あんたはただ歩くだけだから」


「景色見ながらだけど?」


「ここだけじゃなくって、前線が動いているんだなって思いながら見てるとここも向こうも繋がってるって思えるのよ」


「でも、俺はここはここだと思うけどな」


「そうね」


この「そうね」は姉の口癖だった。人の考えを否定しないというか、あんまり気にしていないというか、この言葉が出るとそれ以上のやり取りが無くなってしまうのも、姉のことを分かりにくくしているような気がする。でも今日はちょっと違っていた。


「あんたはそれで良いのよ。間違ってない。あたしがちょっと先を急ぎすぎちゃったの」


姉が何を言おうとしているのか、微かに分かる気がする。それは月日が教えてくれたことだ。


「俺は俺のスピードでしか歩けないからね」


そう言うと、姉は「ふっ」と笑ったような気がした。


「なかなか言うようになったじゃん」



二人で丘を目指す。春という名の季節はもうすぐそこだ。
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