苺の友達
目の前に宝の山があるとする。普通なら飛びこまないわけがないのに、勘繰ってしまって躊躇するような人だったら、多分友達だ。それってどうでも良い事なんだけど、どうでもいいというばかりでもない。つまりどういう事かと言うと、それなりになにかを示している。
ただビールを飲みたいと思った。今日はぱっとしない一日で、特に何があったわけでもないのに集中力がなくて、ちょくちょくケアレスミスをした。帰りがけ、甘ったるい匂いを放つ洋菓子店の前を通ったら妙にお腹が空いて、『苺のタルト380円』を2つ買ってしまう。甘いものがそれほど好きだというわけでもないけれど、真っ赤な苺が視覚に訴えてきて、「この日にワタクシを召し上がらないと次はなくてよ」と言われたような気がしたのだ。
家で包みを開けて、しばらく眺める。
「美味しそうだ。でも食べるのが勿体ない」
夕方のテレビでは「焼き肉」のチェーン店に取材に行ったキャスターが脂が浮いている焦げ茶の物体を口に運んで「うまい」と一言。でもこっちだって負けていない。フォークを入れて、一口サイズにして持ち上げると甘そうな蜜が滴る。
「焼き肉ばかりでもないんです、世の中」
久々に食べたタルトはまるで初めて食べた時のような感動を与えた。世の中にこんなに美味しいものがあるのなら、その為に生きようと思ってもおかしくはない。おかしくはないけどちょっと大袈裟である。まあそれはそれで、気が付くとあっという間に2個目に手を出そうとしていた。その前に冷蔵庫から取り出していたビールで喉を潤していると、玄関のチャイムが鳴った。誰だろう?こんな時間に。ドアを開けたが、そこには誰もいない。「おやっ」と思って廊下に出てみると、フードを被った人が忍び足でそろりそろり向こうに行こうとしているのを見た。
「あの」
思わず声を掛けるとその人が振り返って気まずそうに笑っていた。
「えへへ…ダメでしたかね」
何が「ダメ」なのかよく分からなかったが、イタズラをしたという事ならそれはダメである。
「私はその…不審者じゃないですよ」
明らかな不審者に不審者じゃないよと言われても信用できるわけがない。
「じゃあ何なんですか?」
と訊くと、ヘラヘラ笑いながら
「幸せを届けに来たんですけど、面倒くさくてやめたところです」
「は?」
思わず威圧的な調子になってしまったので、フードの人は一瞬ビクッと驚いたようで、それを誤魔化すように言った。
「いや~…その…信じてください。本当に本当なんです」
「信じるも何も意味不明です」
こういう風に答えるのは当然である。
「じゃあ証拠を見せます。ほら」
と言うと、その人はフードを取った。その下はセミロングの髪で、背丈も考慮に入れるとどうやら女性だという事を知らせたかったようである。確かに声もやや高い印象があったので、性別については判明したとして良いだろう。問題は、女性である事と「幸せをもたらす」という事がどう関係しているのだろう?
「あの…信じてもらえないかも知れないけど、私『苺の遣い』なんです」
「苺食べたいの?」
「いえいえ、そうではなく苺の何というか、代弁者なんです」
「意味が解かりません。頭大丈夫ですか?」
するとその女性は急に目に涙を浮かべて今にも泣きだしそう。
「いつもそうです、みんな私が本当の事を言っても信じてくれないで、頭がおかしいっていうんです」
非難がましい女性の言葉に、少し心が痛み仕方がないので少しだけ話を聞いてあげる事にした。
「泣かないで…その話は聞いてあげるから」
「あ…優しいんですね、ありがとうございます」
袖で涙を拭った彼女は、つかつかと歩み寄ってきて「では失礼します」といって家の中に侵入してきた。これには呆気に取られたが、話を聞いてあげると言った手前、追い出すわけにもゆかなくなった。甘い。
「あー、ありました。これです、この苺さんが」
「タルトの事?どうしたの?」
すると彼女は驚くべきことを言った。
「私、この苺を食べる人にどうしても幸せを届けたくってやって来たんです」
「何故に?っていうか、どこから来たの?」
「その、食べてもらうのが嬉しかったんです。…農場から来ました…」
「農場?」
最初ピンと来なかったが、苺農場の事かも知れないと思い至ってそこで何となく了解した。
「もしかして、あの洋菓子店に卸してるの?この苺?」
「はい。実はそうなんです。今日ちょっと店の様子を窺ってたら、その商品が売れたのを見て、こっそり…」
「尾行しちゃダメでしょ。駄目でしょ」
「はい…すみません。でもどうしても感謝したくて…」
「非常識ですね。非常識過ぎて、呆れています」
「う…そんなに意地悪しないでください…」
するとまたしても目を潤ませている。「全くこういう人は得をするな」と思った。
「いいですよ。赦します。で、感謝って何をしてくれるの?」
「う~ん。勢いで来ちゃって何も用意していないんですよね…あ、どうすればいいですかね?」
「全く、本当にあなたって人は…女同士だから良いものを、そんな無防備だと危ないですよ」
「よく言われます」
にっこり笑顔。イラッとするが、なんとなく面白いような気もする。そうだ。
「こうしましょう。折角だから私と友達になってよ」
「友達ですか?」
「お酒一人で飲むのちょっと寂しかったところ」
「あ…こんな時間から飲んでたんですか?しかもタルトとビールなんて信じられない!!おじさんみたい!!」
「うるさい!!もうあなたみたいに可愛い盛りは過ぎちゃったんだからどうでもいいの」
すると彼女はにやにやし出した。
「タルト美味しかったですか?」
「…まあまあね」
「私達、いい友達になれそうですね!!」
なんでそう思うのかは分からないけど、何となく分ってしまうから不思議である。