FC2ブログ

捧げられた変奏

どうってこともないように続いているけど、それなりに世の中では色々な事が起っているのを知っている。誰かが何かをやらかして話題になって、大々的に取り上げられてそんなにいい意味でもないのに時の人になって、数日もしないうちに語り尽くされ何でもない事になって、他の事が大事でどうでも良くなったころに、ちょっとした更新があって、でももうその頃には本当に意識の端っこでちょびっとだけ動いて、<まあそんなもんだよね>って言い合って終わりみたいな。


そういう話は私の人生にとって何の意味を持つのだろう。どう意味付ければいいのだろう。確かに一人で生きているわけではない世界で、でも私に加わった情報が一体私の人生をどう動かしたかなんて、もしそうじゃなかったらを確かめる事が出来ない私にとっては考える事すら出来ないわけで。ただ、私は起った事を認めて、自分でも話の種として、世間並みに知っているという事を証明するための手段として、その出来事を自分なりに消化している。


世間なんて、広いものではない。少なくとも私にとっては、活発に話がされているだろうなという事を確かめて、自分の考えがどこら辺に属しているかを少し気にしながら適当に広大な情報の海を漂っているその間ですら、自分が屈託なく喋れる僅かな時間を供にする友人との間に構築された関係以上に広がったという気がしない。


でも、いつもそういうわけでもない。



3月に起こった某タレントの文化論とも言えるのか、批判を伴う微妙な発言によって私の属しているような小さなコミュニティーに小さなひびが入った。サブカルに少し毛が生えたようなちょっとした文化的な活動でもしようというコミュニティーなのだが、某タレントの影響力はそこそこ大きく、もともとは創作活動をしている人達に向けられた発言だったが、コミュニティーの中にも個人的に創作を行っている人も何人かいて、私も含めて微妙にその発言を気にして自分達の行っている事の是非というか意味や価値を考え直さなければならないというような意見がある人から出てきたのである。



そもそもこのコミュニティーの繋がりは強固ではない。それぞれが続けたいと思えば続けて、気に入らなくなったら勝手に出て行って構わないように作ってある。その緩さが現代的というのか自分の趣味にあったからあまり群れない私もちょっとした気紛れも手伝って一員に加わっていた。その関係は直接的ではないし、リアルで会うという事も滅多にないから、関係と言えるほどの関係かは分からない。でも、それなりに互いが互いを意識して各々がやりたいことを続けたり、コミュニティーを立ち上げた人の提案で、共同で創作みたいなことをやっていたり、コミュニティーとしてちゃんと機能していた。



問題の発言は、「好き勝手に創作しているみたいだけど、身内だけで受けているって事もちゃんと弁えておいた方が良いよ」というもので、私のように大衆化など望めるわけもない文章を書いているような人間にとっては、自覚していたし正論に思えてしまった。タレントは文化人とも言えて、おそらくある程度の事をなした自分と他の一般の人の差が無いように同じ目線で指摘してくる人達に対してちょっと思うところがあったというのが本当だったのかも知れない。案の定というか、この発言は炎上気味で、


『別に自分達が面白いと思っているからいいじゃないか』

とか、

『あんたの「○○」がそんなに受けていると思えないけど』


とか、対抗する意見が押し寄せられ、中々対応に苦労していたようだが、そもそも既に地位を確立しているのもあって、諦めを含んだ擁護も目立った。創作が大衆のものになったともいえる現代からすると少し軽率にも見えなくはないのだが、評価されないとか評価が曖昧なところで趣味としてやっているような創作と、生業として続けるような創作を一緒くたには出来ないというのも大半の意見だろう。無論、別な意見もあるし、マイナーなものは評価されにくいし、今は評価されなくても将来的には、という可能性を蔑ろにしている時点でつっこみどころは多いように思える。



「と言っても、自分はこれで良いのかちょっと悩み始めたのが本音だよね」


「まあ、ちょっとは気になるかもね」



小さな世間である友人との直接的な対話で、その話を説明して自分の気持ちを伝える。友人はある意味で私の創作についても生暖かく見守ってくれるような感じで、良いものについては「良いね」と言ってくれるけれど、色々気遣ってか批評は避けている。コミュニティーの人が積極的に評価してくれるのとは違っているが、あくまで友人は私と会話しているのでこれはこれで正しいのである。等身大の、まさに何でもない私が普通に考えている事の方が大事だと、そう考えているようだった。



「どう思う?正しいといえば正しいけど、別にみんなが評価されたくて書いているわけじゃないと思うけど」


「俺は創作は実際よく分からないけど、最終的には自分の趣味に合うかだと思うけどね」



友人が変わっている事があるとすれば、友人は友人の考えを持っていて、そのタレントもタレントだからと言って特別視しない、そういう平等さがあった。考えてもみれば、作品なんて読んで何も思わない人もいるはずだし、分る人にしか分かるようになってなかったら、結局趣味じゃんと言えるところにあるものなのである。ただ、創作をしていて、それなりに時間を掛けて作ってみると、誰かの心を揺さぶるようになるのかも知れないから、価値がある場合は価値があると思って良いのではないだろうか。難しい。


「でもさ、それでコミュニティーの活動が委縮するようになるっていうのなら、まあなんというか…」



「なんというか?」


友人は少し言い辛そうにしている。ちょっと視線を逸らして目を擦りながら、



「そういうもんだったって事じゃね?」


「・・・そうだけど」


仕方ないという意味である。仕方ないといえば仕方がない、盛り上がりそうになっていた企画もおそらくその発言の後に停滞気味になっている。文章でやり取りしているから感情の方はあまりはっきりとは分からないが、どこか自信なさ気というか、迷いがある。多分、それまで無批判にやれていたのが良かったのだが、一括りとは言え、まとめて否定されたような気持になって、これで良いのか考え直している人もいるのだろう。



「でも、大切なことはさ、」


友人は躊躇いがちに、それこそ自信なさ気に言う。


「良いものを創りたいって思う事が出来るかどうかだと思う。それを聞いて見返してやろうと思った人もいるだろうし、本気でプロを目指し始めた人もいるかも知れない。だから、君がやりたいと思うなら続ければいいんだよ」


それは続けろという意味ではないし、ましてや辞めろと言っているのでもない。創作を通して評価しているのではなく、友人は私を見ている。いつも大切なのは私が続けるかどうかなのだ。


「応援してくれるかい?」


「やれ、その方が君らしいから」


友人は笑ながら言った。案外、広くも何ともない世間で、本当に友人との関係で半ば冗談後押ししてくれるというのは心強くもあった。そう、私は続ける事なら出来るのである。何はなくても続けているそれを、ただ続けるのに理由なんて要らない。ぐだぐだになりながらも、不恰好で歪であっても、それを続けている私の方が私らしいのは決まりきっている事なのだ。




一か月後、タレントの発言が殆どの人に忘れ去られた中で、私は少しづつ動きを取り戻しているコミュニティー向けに私史上もっとも情けなくて、どこが面白いのか自分でも全く分からないような、へんてこりんな作品を公開した。



『肩慣らしに捧げる不届きものの賛歌』



そんなよく分からないタイトルの不条理ものは良くも悪くも、変な作品だと内輪の評価が定まって、これなら『評価しようがないから』あり得ない事だがもしそのタレントが読んでも何も言えないだろうという事だけは言えそうで、何にも言えないだけに何にも反応がないのが寂しいが、それはそれで人生のアイロニーになっているようでどことなく奥深く、友人に見せたところ、



「わけわかんね」


と笑ながら言われたので、総合的に良しとしようと思った。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

なんとかさん

Author:なんとかさん
ナンセンスな物語を書くつもりです。リンクフリーです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
普通のカウンター
投票
無料アクセス解析
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR