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固形物と供に

栄養の豊富な固形物を食べる。いかにも燃料になりそうな中身の沢山つまったブロック状の白い物体を口に放り込むと懐かしい味がした。今年になって再燃したスポーツへの情熱は、過去保持していた体力を再び取り戻す事にも注がれ、毎日一時間弱のランニングに繋がっている。途中途中の休憩地点で食する固形物に感じるノスタルジーはおそらく自分だけのものではない。

『あの頃は、これが美味しいと思っていたんだよな・・・』

スポーツをしているとエネルギーの消費が早い。それは物理的にも生理学的にも当然の話で、走ったら走った分だけエネルギーを補給しなければ人間という動物はフラフラになってしまう。学生時代の記憶の中には運動している事だけでなく、『ひたすら食べていた』という事もそれと不可分に混ざっている。あの日々と同じように食事をしていたら絶対に肥えてしまう歳になっても、運動する時だけは特別に食べなくてはならないという意識がずっとある。


<これ食べたらその分運動しなきゃ>

<運動したらこれ食べなきゃ>

<これ食べたらその分運動しなきゃ>


・・・


このループを続けていった先に待つのは肥えた身体なのか、筋肉質のスッキリした身体なのか分らないけれど、その間に自分の身体から水分だけではなく別の何かが出ている。熱である。比喩に違いないのだけれど、確かに身体が燃えている。熱を持った身体から流れ落ちる汗を何かの勲章のように感じつつ、この汗は火照った身体を冷ますために脳がきちんと働いている証拠なのだと知的に了解しながら、それでいて頭の中は次第に真っ白になってゆく。



恍惚にも似た、充実感。気分はハイになりかけていて、日頃あれこれ動かそうとしてもどうにもならない現実に今のような感じでなんとか抵抗して行けるのではないかという気持ちになってくる。


『動かす』というのは原始的には身体を使って物理的な事象のレベルで実際に何かを動かす事だ。意思の問題からすると身体を動かそうとして動かしているわけではないという話もあるが、少なくとも何もしなければこんな風に別に走らなくても良い状況で走ろうと思ったら意識して動かすしかないのだから、何もしないところから意識して「動かしている」事は確かだと思える。



そうなのだ。ばてている状態で、もう『走りたくない』と表層では思っているのに、それに逆らうように『いや、最後まで走りぬこう』という意志があるからこうして再び立ちあがり、足が動き始めるのではないだろうか。



カロリーは摂取した。生理学的にはそんなにすぐエネルギーに変わるわけではないけれど、もう『力』が湧いてくるのを感じる。最後には根性である。




私には、走り出せる力がある。まだあるのだ。だったら、走り切ろうじゃないか。




少なくとも、家に着くまでは「走り抜く為に」存在している私。一瞬だけだけど、その為だけに全力を振り絞る私。その先は、暖かい布団の中でゆっくり考えよう。私の一部と化した固形物と供に、私はゴールを目指す。
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