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境界の店

この町の「テナント募集」となっていたある場所に雑貨店が新しくオープンしたと聞いて、少しだけ話題と物に飢えている私は電車で一駅で行けるその商店街の外れの店を訪れる事にした。店の前に立つとショウウインドウにアンティークと小物が小奇麗に飾ってあるのが見え、雑貨店らしく外装も商店街の店よりも大分凝っていて美術的ですらある。


<これは期待できるかも知れない>


と思いつつ入店すると、『カランカラン』とドアに付けてあった鈴が鳴った。店内は外から見るよりも広く感じ、物はそれほど多くないようである。とはいえ、雑貨店なので色とりどりのオブジェとか、額縁で飾っている見たこともない絵柄の絵画とか、実用と美術性を兼ね備えている食器などが丁寧に並んでいた。


<物を大事にしているんだな>


というのが最初の感想だった。芳香のあるものも置いてある為少し甘い匂いがするが、それほど不快ではない。「カチカチ」と音がした方向を見ると、新品であろうピカピカの白い時計が壁に掛けてあって、針は丁度10時を指していた。しばらくそうやって商品を眺めていたのだが、ここである事に気付く。店主が居ないのである。ドアには「OPEN」が掲げてあったし、この時間だから外しているという事もないはずである。



「すいません」と声を掛けようかと思ったが、雑貨店だし気になるものが無ければそのまま立ち去るということでいいのかなと思い直し、そのまま徘徊を続ける事にした。この店に来る前には欲しいものが具体的にあったというわけではなかった。ただ、欲しいとか欲しくないとかではなく気になる商品も幾つかあるわけで、自分でも何故それが気になるのかよく分からないまま見入っていた。


特に猫の置物が気になった。もともと猫は好きで猫派を自称してやまないが、その置物は特に生命感があるというのか、普通は生気を感じない瞳がしっかり何かを見ているようにも見えた。置物は二つあって、黒猫と白猫のセットのようである。どちらを好むかは人それぞれかもしれないが、最近は白かなと思っていたりする。



「白よりも黒の方が良いと思うわよ」



突然背後から聞こえた言葉に思わずビクッとしてしまう。声と口調から女性であるようだった。振り返るとそこに長い黒髪でブラウンのパンツに、白の長袖シャツを合わせた比較的ラフな出で立ちの女性が立っているのが見えた。


「え?なんで白って分かったんですか?」


「いえ、分らなかったけどただ黒の方が良いと言ったまでよ」


「あ、そういう事でしたか」


「やっぱりあなたも白が好きなの?」


「あなた「も」というのはどういう意味ですか?」


「私も最初白が好きだったんだけど、黒もなかなか魅力的だと思い始めたのよ」


「あぁ。そうですか…」


納得しかかったのだが、<つまりそれって自分が黒が良いと思うから「黒が良い」と言った事にならないだろうか>と考えてしまって少し気になった。だがそんな事よりもこの人が誰なのか分らなかったのでそっちの方が気になり始めた。


「ところで、あの、あなたは?」


「立華京子よ」


「『タチバナキョウコ』さん?あのもしかして店主ですか?」


「そういうことになるわね」


店主だとしたら、お客に対する態度ではないから自信がなかったのだが、どうもこの女性がこの店の店主らしい。


「あなたは?」


店主は訊いてくる。


「客です」


と答えた。するとジロリと見つめられて、


「そうじゃないわ、あなたの名前よ」


と続けた。何故お店で名前を名乗らなくてはならないのだろう。疑問に思ったのだが、最初から女性のペースだったのもあって、つい


「大城博です」


と本名を名乗ってしまう。


「『オオキヒロシ』さんね、分ったわ。で、その猫買ってゆくの?」


「買うかどうかは今のところ決めかねているのですが、なんか惹きつけられてもう少し見ていたいんですよね」


それは素直な感想だった。それなりに飾っているつもりの自宅には合わないかも知れないが、この置物単体でも持っておきたいなという気持ちになってしまう。それは合理的ではないちょっと不思議な気持ちだった。


「白の方は、」


店主は何やら解説を始めた。


「これまでその持ち主を幸福にさせてきたわ。ただその幸福が表面的かも知れなかったといえばそうかも知れないわね。黒の方は逆に、目立たないけれど確かに所有者の人生に彩りを与えたわ。要するに、実際的な事よ」


「実際的な事?」


「そう。もう少し実際的な事の方を知りたいと思う事は危い事もあるけれど、今の私ならそっちを選ぶのよ」


「それは比喩ですか?というかメタファーとでもいうのか…」


「あなたが白を選べばメタファーのままで、黒を選べば実際的な意味になる…かもねっていうところかしら」


なんだか哲学的というのか、不思議な言葉だった。


「哲学的なのか不思議なのかよく分からないですね」


私はそのまま言った。女性は謎めいた微笑をたたえている。


「夢ではないというのは確かよ。でもこう考えるのは面白いわ。わたしの言った事が本当かどうかは別にしても、白を選んだあなたはわたしの言った事をメタファーとして捉える世界観で生きることになって、黒を選んだあなたは実際的に本当だということを確信した世界観で生きることになる、という分岐が実際に起るかも知れないという事よ」


「つまり、今は不思議と哲学の間にあるという事ですか?」


「あなたは詩人というか散文家かもしれないわね。今のままだとどちらとも言えない」


私は既に変な雰囲気の中にある事を感じていたが、一時期文学に傾倒していた私は幻想文学の香りが漂うこの会話をそのまま楽しんでいた。多分、この立華さんもそういう話が好きなのだろうと思う。私はもう少しだけ気の利かせた事を言った。


「でも、この二つがここにあるという事は、まさにそのどちらも可能なわけですね」


「ええ、可能ね。でも…」


「でも?」


「このどちらかが売れてしまう可能性があるわ。そうなった場合は望まない方を選ぶかも知れない」


「一つだけ確認させてもらっていいですか?」


「何?」


「立華さんは、黒い方を選びたいのですよね」


「そうね」


「だったら一つ提案があります」


「言ってごらんなさい」


「私が白を持ち帰るのです。そして、私はこの店を訪れるたび、メタファーとして黒を選んだあなたの話を聞くことにするのです。おそらくその話が本当なら、白を選んだ私は黒を選んだあなたの話はメタファーとしてしか聞けないでしょうから」


「つまりあなたは不思議よりも哲学を選ぶのね」


「いえ、選びきってはいませんよ。私はこれを『借りたい』と思います」


「なるほど、そういう手もあったわね」


「そうです。あなたが黒猫と供に体験する不思議が丁度良い頃合いになったら『返し』ます。そして私が返したあと、またこうして話しましょう」


「それでどうなるのかしらね?」


「私は思います。もしその黒猫を所有している事によって大きく影響されてしまうような事が起るならば、そして白猫を所有する私にとってはメタファーにしか思えないような事だったら、同じようにメタファーとして受け取る人と、同じように実際的な事として受け取りはじめる人に分かれ始めると…」


「それで?」


「最終的に、また二つが揃った時にどういう受け取り方が良いのか自然に決まって来るように思います」


「でもあなたにはメリットが無いわ。あなたは白を手放す事によって幸福を手放す事になる」


「いえ、正確には幸福のように見える幻想から目覚めるだけですね」


そう言うと、何かびっくりしたかのように立華さんは目を見開いて私を見つめた。そして不敵ともいえる表情で笑った。


「ところで、立華さんはその話をどこまで信じているんですか?」


「まあ、今のところ半信半疑というところね。でも信じたいという気持ちが黒を選ばせるのかも知れない…」


「いえ、そうではないかも知れません。信じてないからこそ、実際に経験してから判断したいのだと思いますよ」


「それならあなたもそうよ。大城さん。既に信じている部分があるからこの話に乗って、『返却する』という保険を掛けているのよ。そして信じたくないから、白を選ぶのよ」


「ふふ…」


私達は互いの顔を見て笑い出す。そう、これはきっと多分、比喩的な話なのだ。店の中の商品をいかに魅力的に思わせて買わせるかという為に用いる作り話と、作り話には乗らないけれど、店の常連になるという事を約束してしまった二人の間の。


☆☆☆☆☆



半分冗談とも言える話をしていた私と立華さんだが、さすがに彼女の店は雑貨店だし猫の置物を「借りる」というのは本気にしていなかった。ちょうど気に入ったティーカップがあったのでそれを買って帰る事にしたのだが、その時彼女は言った。

「この猫持って帰らないの?」

と普通の口調で言うものだから、私は慌てて


「いえ、先ほどの話はちょっとした冗談というか、だって商品を『借りる』わけにはゆきませんよ」


と返したのだが、立華さんは特に問題とは思っていないようで、


「大丈夫、アンティークの方は例外的に貸し出しをする事に決めたから」


と事もなげに言う。


「え?そうだったんですか?」


「ええ。さっき決めたわ。だってその方が面白いでしょ?」


結局そのまま白い猫の置物を『借りる』事になった私。
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