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ぐちいんふるえんす

こんなつまらない話をしていてもしょうがないでしょう、と思う事がある。実際のところの世の中で話題になるような事に自分が関わっているわけではないし、オチがつくような話など噺家でもない人間には正直言ってできっこないと言わざるを得ない。単なる愚痴に終始するのも馬鹿らしいし、いつのまにやら無口でいる事が多くなってしまう。


面白味のない人生だと思っているわけではない。ただ、この状況をよく理解している人間にとってはそこそこ重要で大切な事が幾ばくかある毎日は、他の人、つまりよく理解しているはずがない人たちにとっては面白味のないものになるだろうということは容易に想像できてしまう。個別的な生を生きているのに、それでも常識的なというのか、平均的ともいえそうな状況で生きている人が考えるような理論をほどほどに受け入れ、それなりに話を合わせてゆく事ができる今となっては、その人達が喉から手が出るような話題からは常に遠いところにいる自分というものが見えてきてしまう。


この、他の人にとってはつまらないし盛り上がりどころのないモノローグ自体も面白いと思っている自分だからしょうがないというのは分っている。別にこんなものを生産しなくても良い。だけど、どうせそのままだったら何もしない時間とおつむリソースを使わないよりは少しばかり活用して、わずかに偏狂質の匂いがする書きものを、後世の誰だかわからないような人向けに書いてみるのも良いのかも知れないと思っているのである。


といっても、最初に述べているように「こんなつまらない話をしていてもしょうがない」という思いがある為に、この文章はそれなりに『てきとう』である。『この』と言って、それ自体を指すようなメタな文章を意図して書くつもりはないのだが、だが、実際のところ話と言って思いつくことといえば、そういった「話についての話」なのだ。「話についての話」なんだから、具体的に話をすればいいのかというとそうではない。『話』なるものについて少しは見極めておく必要があるのはそうなのだが、これからする「つまらない話」をする自分はそこそこつまらない思いをしなければならないと分っているから、心情的にもやや辛い。こんな風に前置きでもしないと、「つまらない話」などやってられないのである。



じゃあその「つまらない話」とは一体何なのか。本当にごく普通の話である。ごく普通の話で、自分は必ずしも「つまらない話」とは思っていないのだが、誰かに話す場合には、「つまらないに違いない」と思ってしまってとてもではないけれど話せないような話である。そういう種の話は、話す機会がないから話さない。こうやって特別改まってするのでなければ話すまでに至らず、「こんなつまらない話をしてもしょうがないでしょう」と思って終わりなのである。



言い訳がましく聞こえるだろうか。さっさと話をしろと言われるだろうか。だけど、肝心のその話をしたところで返ってくる反応がほぼ予想通りだから、どうしてもこうなってしまうのだ。そして、そんな「つまらない話」よりも、「つまらない話」をしたくなくって実際に感じてしまう不毛さというものの方がむしろ伝えたい何かのような気がするのだが、それでは普通はオチのある話を聞きたいと思っている人達の気持ちとそぐわない。



まあ、前置きはこのくらいにしよう。そして普通に、ある日あった事を話す事にしよう。



それはとにかく、ある日の事だ。ある日とは具体的にいつだと訊かれると、幾つかの事情があって、精々今年の6月よりは前の事だったという限定的な情報しか与えられない。事情とは具体的に明かしたくないという僕の方の事情と、詳細な事は覚えていないというわりと普通の事情である。僕はその日、確か雨が降っている夜の事だったと記憶している。まあそんな風景はこの話にほんのわずかに彩を加えるだけで、筋には全く関係がないのだが、雰囲気も大事という話も聞くから、一応雨は降っていたという事にしておく。


その雨の中を独り歩いているとかそういう事だったらそれ自体で既に物語でも始まりそうだけど、その日の僕は残念ながら傘を持参していたし、あまり都合のつかない知り合いと珍しく飲みに行っただけという何にも面白くもない真実があるわけで、もう普通ならこれで大体後の事はほとんど予想できてしまう。あらかた『飲みに行って愚痴を言い合ったんだろう』と、まさしくその通りで、それ以上の何でもないから困ってしまう。



だが、そういう事実関係を確かめるだけの記述が大切だというのなら、僕の言いたい事の殆どは伝わらないと確信できる。その『愚痴』という言葉に丸め込まれてしまうような過程、プロセス自体が、僕が話の中身があるところだと思っているのである。


<なんだよ、愚痴をここで再現するのか、面倒くせぇな>


と思ってしまうのは仕方ないと、思ってしまった人に向けてフォローしておく。ただ、僕は悟性で捉えるような事実関係の方はぼんやりしているけれど、そこで実際に話した内容については結構あとあとまで覚えていたりして、僕が面白いと感じるのはそういうところなのである。彼はその時こう言った。


「俺さ、つまり情勢に対して逃げ腰なんだよね」


「それは情勢を知りたくないとか、そういう事?」


「いや、なんつーか、情勢を見極めるっていうけど、情勢って誰が見極めてんのって思うし、多分全部の情勢じゃなくって、何か自分が関心のある事の動きってくらいじゃないかって聞こえてくるわけ。つまり苦手なんだな」



耳を疑ってはいけない。僕等はこういう話を普通にしているのである。それは世界を動かす高学歴エリートとか、社会学の第一人者達の会話とかではなく、ど素人が世間話の延長で、世間話を踏み越えて会話をしてしまっているのである。普通なら、この話をしている人がいたら逃げ腰になるのは当然である。僕自身、話している流れで何となくついてゆけるが、この話を振り返ってよくよく考えみた場合には、きっとこの場とは違う事を言っているに違いない。僕はこう答えた。


「確かに、専門家しか知らない事だね。世界がいまどう動いているかなんてのは、自然科学的になのか、社会学的になのか、経済学的になのかで大分解釈が違うし、立場がちがえば見方も変わってくる。僕等一般人は、新聞を読んで情勢を知ったと思うしかないのだろう」


これは物凄く一般論である。自分で言っててつまらなくなるほどに、何の考察も具体例もない、誰もが言える一般論である。だが、そこには悲哀という感情と無力感が少しだけ滲んでいる。最近は実感としてそう思うのである。


「あと、逃げ腰っていうのはもう一つ意味があって、まあ普通に疎いままになってしまうって感じ」


「どうしようもないっちゃどうしようもないからね。何をどう動かしたいのかって考える時に、その情勢を知っておくと有利に進められるかも知れないってだけで、実際情勢そのものをどうにかするという問題意識でニュースを聞いている人は稀なんじゃないだろうか」


「とはいえ、『逃げちゃダメ』っていうのは分ってるんだけどな」


「そのフレーズ聞くと懐かしくなるけど、汎用性のある台詞だけに逆にその響きにならないように気を付けてる」


「ああ。見た事あるの?俺劇場版は見てないんだけど」


「僕も劇場版は見てないよ。中学生の頃に受けた最初のインパクトを取っておきたい気持ちがある」


「あれ結構グロいよね」


「昔はそう思ってたけど、まあ今見るとマイルドだと思う」


「マイルドかどうかは『グロ耐性』によるらしいよ」


「そうなんだ」


『福音』が主題なんだかそうでないんだかよく分からない超有名アニメの話に脱線しかかる僕ら。そしてその脱線から早くも脱線し、食事処ではあまり好ましくない話題になりかかる。


「まあ、とにかく『逃げちゃダメ』っていうのは確かに言えてるね。いくら手におえないものでも、最初から諦めてはいけない」


長時間の会話では『正道に戻す』という意図的な行為が必要である。この時すでにかれこれ一時間は話し込んでいた。


「と言っても、具体的にどういう切り口で情勢を理解していったものかよく分からない。こう言っている間にも刻々と情勢は変わってゆくし」


「色んな問題があるからね。分かり易い所で言えば経済っていうのは数値化されているし、金の動きがある程度把握できるから、直観的に理解できるんじゃないの?」


「と思って、経済学を少しばかり勉強はしたんだけど、何というか理論が正しいのかどうか疑問で疑問でしょうがないところまでは行けない感じかな」


「実際、経済学者が経済に直接介入した時点で、変数が多くなるというのか、余計混乱しそうな感じもするけど、まあなるべく穏やかにコントロールできるならそれに越したことはないけど」


「穏やかじゃないね。っていうか面倒くさい事をいうと資源がどうたらで…」


「そう、『資源がない国なんですよ』と言われているこの国だけど、厳密に言えば海洋資源はあるんだよね。普段はそれでも石油がないから致命的だと思ってしまって終わりなんだけど」


「厳密に考えるというのも面倒くさくはあるんだけど、世の中と言うのは結構きっちりしているからね」


既にある程度お分かりかと思うが、こういう話には着陸点がないのである。つまり「情勢について」という大きな問題提起があるのだけれど、それに対して答えられる事がない。結局僕等は何を話したかったのだろうか?それが大きな謎である。


「まあね…」



どうにもならないと二人の間に沈黙が続く。現状を確認する過程はこんなもんである。現状に対してどうする事もできない。という共通認識ができたようなものなのだけれど、僕はせせこましくも家に帰った後にそういう話をした後に、記憶に残るものについてはちょっとだけ考えてメモをしたりしている。それはある意味で、僕が少しばかりいつもより大きく物事を考えるきっかけになっているのである。だけどそれはその人と会話をするという事があるからこそ関心事になるようなテーマで、他の人にすると「なんでこんな話をする必要があるのだろう」と思えてしまって全然できやしない事なのだ。



「こんなつまらない話をしていてもしょうがないでしょう」。それは確かに一面的な真理だ。多くの人にとってこんな話は何にもならない。何故なら、自分がそれに対して何かが出来るというわけではないから。でも、こんな「つまらない話」でも、真面目くさって考える事の出来る相手が居るという事を僕は心強く思う。




これは単純な事なのだ。何も起こりはしないけれど、そうやって規模のデカい括りで世界を見ている者同士がどうにもならないということを確認したのに、全然諦めてないという事を確かめ合うだけの、ごくごく普通の物語なのだ。
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