思考の始まり
「思考をする」というのは何よりもまず、当面確かだと思われる「仮定」を言語化して
立てるとか、受け入れるという事から始まる。分析的な思考もあるが、それにしても、
その分析している対象が「何なのか」という事、あるいはそれについて「○○である」
という命題を立てる必要がある。それはやはり「仮定」である。
「○○である」
というそれ以前までの常識としては自明でない事を先に立てる。そうしない限り、新し
い事は思いつかない。その「○○である」というのが偽であると証明されるか、真で
あると証明されるか、それとも証明も反証もできないような命題であるのかは、とり
あえず主張を把握していないと何も言えない。
つまり仮定となる主張をまず把握するところから始めるという思考がある。
何をきっかけに「○○である」、「△△でない」、という風に思うかは分からないし、
それをずっと固定観念のように抱きつづけたり、誇大妄想のように考え続けるか
どうかは人それぞれだが、それについて真であるか偽であるか思考する事はいずれ
必要かも知れないが、当面どちらかであると思ってそこから始まる思考、意識、想像
を追ってゆくのも一つの手である。そして真であるとも偽であるとも言えないような
何かについては精々想像を逞しく創作に用いるのが良いだろう。
現実的に思考として有用なものに制限して考えてみるのが地に足がついているやり方
だろう。
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